JR銚子の新駅舎

 
JR銚子駅の新駅舎は銚子特産のしょうゆ蔵をイメージした木造建築の内装や、犬吠埼灯台を
想起させる白い外観が特徴です。
「にぎわい」をコンセプトに、観光の玄関口として生まれ変わった。旧駅舎は旧海軍の飛行機格納庫を
転用して昭和23年から使われたが、
改築から約70年が経過し老朽化と耐震性の問題から建て替えを決定し平成28年8月に着工し、
平成30年3月末に完成した。
工事費は約5億円。内部は伝統的なしょうゆ蔵の雰囲気を再現するため、
天井や壁などの仕上げ材に県産の「山武杉」を使っている
   太田「摩加多神社」

太田の熊野神社(大田の権現様)を過ぎ佐倉南高校に向かって道なりに歩き中程で左の道に入り5
メートル位の所にあります。印旛18麻賀多神社あるうちの一社です。
麻賀多神社は、佐倉市内に11社・隣接する酒々井町2社・成田市2社・富里市2社・
八千代市1社を数えます。
本殿裏には小さな祠が3つ祀られています、「鷲宮神社」「三峰神社」「天満宮」です。
隣は昭和45年まで根郷小学校分校として1年生から4年生が通学していました、現在は青年館として、
地域の集会所として使われています。参道は長く(5~7メートル)、静寂な地区にあり
雰囲気のある神社です。市内鏑木町にある「麻賀多神社」旧佐倉藩の総鎮守です。
  六崎「熊野神社」

JR佐倉駅南口から徒歩で約15分位の六崎に「たんたん山」と呼ばれた所があります。
  名前の由来は 昔々、この山の上に、六崎六郎という武士が住んでいた。
お屋敷の大きな門は、あけたてするたびに「ギーッ」と音をたてる。門の開く音をきくと、
朝食を食べて田畑に行き、夕方には、この音で仕事をやめて夕餉の支度にとりかかるのだそうだ。
 武士の屋敷近くそこには清水が噴水のように湧き出て、
やがて滝のように落ちて田んぼに続いていた。
その流れは「たんたん」と流れていたので、「たんたん山」と呼ぶようになったという。
そのあたりには今もなお、小さな清水が流れている。「たんたん山」の六崎にある「熊野神社」です。
  城佐倉城址公園「あやめ」

6月の或る日佐倉市の城址公園内にある菖蒲田には、紫・黄・白など色とりどりの花菖蒲約9,000株が
咲き誇っていました。佐倉城は江戸時代のはじめ、徳川家康の命を受けた
土井利勝により築城され、以後、9家20代の佐倉城主が誕生しています。
アヤメは、高さは30~60cm。開花は5月上中旬、花弁の根元に黄色の網目模様があり、葉は細く、
葉脈は目立たない、アヤメとカキツバタは、共にアヤメ科アヤメ属の植物で「いずれ菖蒲か杜若」という
諺もあるように見た目も似ている。古語で「アヤメ」と言えば、「ショウブ」を指す。
 
  「千葉ポートタワーからの風景」

ポートタワーからの眺望で、JFEの製鉄所方面です。タワーの他、美術館、公園等もある。
千葉ポートタワーは、千葉県千葉市中央区に建つポートタワーで、
1983年9月に千葉県の人口が500万人を突破したことを記念して建設され、
千葉県民の日である1986年6月15日に開館しました。
一辺の長さ15.12mの菱形の断面形状をもち、展望フロアを除くタワー全面を
合計5,571枚の熱線反射ガラスで覆ったハーフミラーのタワーで、遠方より容易に確認出来る。
建物は地上4階、塔屋2階建て、高さ125.15m、施工は竹中工務店。
  「密造院」(真言宗・大聖院末)

日光山密蔵院光明寺は佐倉市寺崎にある。鏑木町の大聖院の末寺で現在とは別の字大近台にあったが
火災の為焼失し現在地に移設された。本尊は阿弥陀如来で真言宗豊山派の寺院です。
薬師堂の本尊は寛永年間に鹿島川の薬師淵に漂着していたのを引き上げ安置した薬師瑠璃光如来、
両隣りには十二神将立像が安置されている。
歴博入口の磨崖仏(レプリカ)

歴博入口に大分県臼杵市深田の臼杵石仏(磨崖仏)群の中の一体を復元模造したものです。
高さは3メートル弱の大日如来座像です。
臼杵石仏は四群からなる六十体を超える石仏群の事で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて
彫られたと伝えられている。
レプリカの石仏は仏・菩薩像など十三体の中心をなすもである。
臼杵石仏は奈良市の頭塔石仏・栃木市の大谷石仏と並び日本を代表的な石仏と言われている。
   成田山(旧本堂)薬師堂

成田山参道の途中にある薬師堂です、この薬師堂は明暦元年(1655年)に建立された。
成田山は真言宗智山派(総本山は京都の智積院)ご本尊の不動明王は
嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海がみずから彫刻して開眼し
護摩法を修せられた尊像です
護摩法とは真言密教の秘法で、護摩壇に燃え上がる火はお不動様の
知恵を象徴し、薪は煩悩を表しています。(案内パンフレットより)