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「佐倉コスモスフェスタ」京成電車が佐倉駅に近づく左側の車窓からオランダの風車が見えてきます、その先には印旛沼が、 |
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「千葉県立中央博物館」 千葉県立中央博物館は「房総の自然と人間」を常設展示の全体テーマとし,千葉県の自然と歴史について学べる総合博物館です,常設展示は,「房総の自然誌」,「房総の歴史」,「自然と人間のかかわり」の3つの主要な展示から構成されています。 隣接する生態園では、房総の代表的な自然が再現され,動植物の生態を身近に観察することが。 中央博物館HPより |
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「つつじ」の花咲く公園 我が家の近くには公園が5つあります、大きな公園が1つ、小さな公園が4つです、 毎年、五月の連休頃から幹線道路に「つつじ」が咲き誇ります。 公園の「つつじ」は咲く時期が若干遅れて、6月頃までで、 緑の葉と赤いつつじの花が私達住民の目を楽しましてくれます。 自然は時期になれば役割が決められていた様に四季を動かし、草木を育て花が咲く、 そして時期が過ぎると散っていきます、誰がその順番を決めているのだろうか?散歩のひと時、 公園の椅子に休みながらそんな事を考えてしまいます。 |
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成田「米屋」創業者諸岡長蔵の胸像 お不動様旧跡庭園に不動明王像があり「平成水守り不動」と命名されています。 成田米屋の創業者諸岡長蔵は、明治32年に成田山の門前に羊羹店を開業ました。幼少より成田山を尊崇し、お不動様の御心を体し社会奉仕を続け、昭和39年5月には成田市名誉市民に推されました。 胸像の右側には長蔵の遺墨になる古歌「にちにちに昇る朝日はおがめども入る日のかげをおがむものなし」の歌碑があります。今日一日の感謝と明日への反省をこめて、沈む夕日にいつまでも合掌していたいという気持ちを表わしたもので、この遺訓により胸像も西向きに建てられています。 胸像は、芸術院会員故朝倉文夫の作(米屋パンフレットから ) |
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「歴博エントランスからの夜桜」 「観桜会と言う飲み会」の会場から、歴博の夜桜を見に行きました、話には良く聞いていましたが、 見るのははじめてです。館内のエントランスから7枚のガラスを組み合わせた壁面 (高さ3.95メートル、幅13.5メートル)に浮かぶソメイヨシノの姿は、さながら「ガラスの屏風(びょうぶ)」といった風情でした。 漆黒の闇の中に、照らされた「桜」が浮かび上がり、まさに「一幅の絵」と言う圧巻の桜でした、桜、桜と騒ぐのはあまり好きではないのですがこの夜桜は一見の価値があると思います。 歴博のソメイヨシノの「夜桜見学」は入場無料です。 |
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成田山「平和の大塔」 |
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千葉県立美術館前「浅井 忠像」 千葉県立美術館は、千葉県千葉市中央区中央港にある美術館。千葉県ゆかりの美術家の作品を重点的に収集している。JR京葉線及び千葉都市モノレール「千葉みなと駅」徒歩8分。近くには、千葉ポートパークや千葉ポートタワーがある。 美術館の玄関前には、佐倉市出身の画家浅井忠の像が置かれている。 浅井忠は洋画家。父は佐倉藩士。明治8年(1875)国沢新九郎に師事し、翌年工部美術学校に入学、フォンタネージに師事する。22年日本初の洋画団体、明治美術会を創立。31年東京美術学校教授に就任。33年フランスに2年間留学。帰国後京都高等工芸学校教授に就任し、関西美術院を創立。渡欧後は印象派の画風を取り入れ、また水彩画にも多くの佳作を残した。門下に安井曾太郎、梅原龍三郎らがいる。 (Wikipediaより引用) |
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石川菅原神社 下総国印旛郡石川村の村社である この神社は、菅原道真を祭神としている。創建年代は不詳であるが、享和元年(1801)十月に、この神社の別当寺であった長永寺(現在は廃寺)の住職である宥宣の手になる「石川村天満宮延喜」にその由緒が記されている。その記載には「寺内に天満宮を勧請し奉り森々たり」とある。長永寺は天神山月星院長永寺と称したように、千葉氏と関係が深い寺である。この神社はその守護神という位置づけであったと考えられる。また、明治期につくられた「下総国印旛郡神社明細帳」には、「千葉県管下下総国印旛郡石川村字新屋前 村社菅原神社 祭神菅原道真霊 氏子戸数二十九戸」と記されている(境内の案内板より)。 |