陸軍鉄道第一連隊の演習場跡

千葉公園には、陸軍鉄道第一連隊の演習場があった、この写真は千葉公園管理事務所敷地にある鉄道連隊演習線トンネルです。明治40年に東京・中野にあった交通兵旅団の一個大隊が発展拡充して、鉄道連隊となった。明治41年に第二大隊、連隊本部、第一大隊が千葉町椿森に転じ、千葉に連隊本部、第一大隊、第ニ大隊、材料廠、津田沼に第三大隊という配置となった。大正7年10月鉄道連隊はニ個連隊へ増強され千葉の第一大隊、第ニ大隊を第一連隊、津田沼の第三大隊を第二連隊とした。
酒々井プレミアム・アウトレット

酒々井町に2013年4月19日開業したアウトレットモールである日本で9番目(首都圏ではあみプレミアム・アウトレットに次ぐ3番目)の施設となる。成田国際空港から車で約10分程度と近い位置にあるため、外国人観光客をターゲットにしたサービス展開も行っている。
酒々井町には「酒の井」伝説が伝わっておりその伝説から市の名前が付けられた、また佐倉市と酒々井町にまたがる千葉氏の居城であった本佐倉城は、約35万平方メートルに及ぶ中世城郭跡として規模が大きく、また土塁や空堀等の形状が中世城郭の特徴をよく現している。
「川村記念美術館」

佐倉市郊外にある、広大な庭園のなかに建つ美術館。 DIC(創業時は「川村インキ製造所」)の創業者・川村喜十郎をはじめとする川村家3代の収集品を公開するため、1990年(平成2年)に開館した。広さ30万平方メートルのDIC株式会社総合研究所の敷地内に建つ。
美術館前の芝生と、池が調和し穏やかな気分にさせてくれます、毎年5月には研究所内の一部が解放されツツジ等の花々を見る事が出来ます、前方、左側には運動場もあります。

成田山「聖徳太子堂」

平成4年(1992)建立、我が国仏教興隆の祖として崇められる太子の「和を以て貴しとなす」
の理念にもとづき、世界平和を願って建てられた。(成田山パンフから転記)
毎年成田山には節分が終り、人出も落ちつた頃に新年の参拝に行きます。当日は寒かったので、本堂に参拝し、お札を頂き、奥ノ院公園にも行かず帰って来ました。
境内の案内では間もなく「梅まつり」が始まる様です。
「萌」-佐倉市西志津「萌の広場」-

佐倉市西志津にある「萌の広場」に立つ彫像です。写真後方には佐倉市志津図書館があります。
作者は親松英治(おやまつえいじ)氏です。
親松英治は佐渡市両津地区出身の彫刻家です、1934年佐渡市に出生、5人兄妹の真ん中。
2005年日展 評議員就任、2011年日展 彫刻の部で内閣総理大臣賞受賞をしております。
「牧  歌」-佐倉市西志津図書館前-

佐倉市西志津図書館、西志津ふれあいセンターの前庭にある彫像です。
佐倉市西志津図書館、西志津ふれあいセンターは市民の文化向上と福祉増進、並びに市民の連帯意識を高め、 健康で文化的な近隣社会を作ることを目的としたコミュニティ施設です。
彫像の作名は「牧歌」作者は市川明廣氏です。
市川明廣は東京芸術大学大学院彫刻科を修了後、黒御影石や大理石などの石彫を中心に数々の作品を制作。
ブロンズ像やレリーフ作品なども手掛ける。公共施設のモニュメント制作から一般家庭のインテリア作品まで幅広く制作活動を行っております。

「千葉県議会議事堂」-房総のむら-

明治13年千葉市に建てられ明治44年まで使用された第2代目の千葉県議会議事堂を再現しています、屋根は、日本で古くから行われてきた平瓦と丸瓦を交互に置く本瓦葺きですが、前面のベランダや窓は西洋風で、擬洋風建築と呼ばれる和洋折衷の独特な外観です。
「房総のむら」は、伝統的な生活様式や技術を来館者が直接体験するとともに、県内各地から出土した考 古遺物や、武家・商家・農家などの展示を通して歴史を学ぶことを目的とした博物館で1986年開館した.
笹川繁蔵(中央)、勢力富五郎(左)の碑、平手造酒(右)の墓

笹川の「延命寺」にあります。講談や浪曲、三波春夫の「大利根無情」で有名になった「天保水滸伝」の舞台です。ストーリーは、笹川繁蔵と飯岡助五郎の確執が緊迫した後、“大利根川の決闘”という紛争に発展、笹川一家に軍配は上がったものの、賭場帰りの繁蔵は、飯岡側の闇討ちにあい殺害された。
「笹川繁蔵」は下総国須賀山村(香取郡東庄町)に生まれた。生家は代々醤油と酢の醸造をしてきた村きっての物持ちで、幼少の頃から漢字や数学、剣などを著名な師について学び、人間的にも優れた人物だったと言われる。子分に、平手造酒や、角力(力士)の勢力富五郎等がいる。「平手造酒」は剣客。笹川繁蔵の食客となり、大利根川原の決闘の際、繁蔵を助けて戦い死亡した。
勢力富五郎の碑(S3年)平手造酒の墓(S3年)笹川繁蔵の碑(S15)の建立です。