特別展「三国志」

会場は上野「東京国立博物館平成館」です。
2~3世紀中国「魏・蜀・呉」の三ヶ国が覇権を争い、曹操や劉備、孫権、諸葛亮らのあまたの英雄が
活躍した 「三国志」の時代の考古資料の展示会です。
曹操高陵(河南省安陽市)の墓室が原寸大で再現されて、曹操高陵の決め手の一つになった
「魏武王常所用挌虎大戟」と刻まれた石碑を見てきました。

 
  東京都写真美術館

東京都写真美術館は、写真と映像に関する総合的な美術館として、1995(平成7)年1月に
恵比寿ガーデンプレイス内に開館した。施設の入口はJR東日本恵比寿駅からおよそ400メートル南に
あります、恵比寿駅までは動く歩道「スカイウォーク」(往復)があり酷暑、酷寒の厳しい時期は
天候に関わらず気分良く行ける。
「恵比寿ガーデンプレイス」は1994年(平成6年)10月8日に開業し、オフィスビル、
デパートを含む商業施設、レストラン、集合住宅、美術館等で構成されており、事業主である
サッポロビールの本社も所在する。  
  第14回「再生可能エネルギー世界展示会&フォーラム」 RENEWABLE ENERGY 2019

日本から世界に向けて、再生可能エネルギーに関する最新情報を発信!
持続可能な地球を創り出す先進技術を集めた展示会&フォーラムで,会場は「 パシフィコ横浜 」です。
再生可能エネルギー(Renewable Energy)とは、石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である
化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった自然界に常に存在するエネルギー
のことです。その特徴は「枯渇しない」「どこにでも存在する」「CO2を排出しない」の3点です。
2017年現在日本の電源構成に占める再生可能エネルギー比率は約16%となっており、
ドイツやイギリスといった諸外国と比べて、低い水準にあります。
 
  錦糸町 河内音頭

1982年に始まった錦糸町河内音頭、小さな規模から始まった2日間のこの盆踊りは、
夏の東京の下町の風物として定着し、全国からファンが3万人以上集まる最大級の盆踊りに成長しました。
錦糸町河内音頭は、全編生唄・生演奏。伴奏は三味線や太鼓、エレキギターと野外フェスのような熱気で、
参加者も老若男女問わず、若い世代が毎年増加しています。誰でもその場で参加するスタイルで、
連を作ったりするような制約はありません。
「手踊り」や「マンボ」といった河内音頭特有の踊りについても、大阪・河内のスタイルから
30余年の間に東京スタイルに変化し、今なお新しい芸能として進化し続けているところが特徴です。

 
   イタリア公園(新橋)

「日本におけるイタリア2001年」を記念しイタリアから寄贈された公園です。
本格的なイタリア式庭園の外観でイタリア製の彫刻、噴水が印象的です。汐留地区の代表的な公園として
憩いの空間になっています。面積は3,660.02平方メートルです。
14世紀から16世紀にかけて、イタリア郊外で発達したイタリア式庭園は、丘の中腹にある隠れ家のような
敷地の中に、軸線(ビスタ)を通し、左右対称に構成し、人工物を配置することで、訪れる人々の目を
楽しませるものです。人工物として、園内に12体の彫刻が置かれています。
  日比谷神社

日比谷神社は、旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神、
旅泊(さば)稲荷明神と称していた。
日比谷神社が日比谷公園の中にあった頃、全国の苦しんでいる旅人たちに神社の社務所を開放し、
無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験が著しくあらわれ、旅人や周囲の人々は「旅泊(さば)稲荷」
と唱えました。 新橋に遷った後に魚の鯖に変わるようになり、鯖稲荷と称し、特に昔、虫歯、虫封じに
苦しむ人が御祈祷をうけると霊験があるとされ、鯖を食べる事を断ち祈誓をかけると治った、
それ以降、治った人々は鯖を奉納すると言われてきた。 
  「水戸 弘道館」

旧水戸藩の藩校である弘道館は、徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の1つとして開設された。
天保12年(1841)8月に仮開講式が挙行され、さらに15年余の年月を要し安政4年(1857)5月に、
本開館された。藩校として全国一の規模を誇る敷地内には、正庁、至善堂を
中心に学問を学ぶ文館、武術を学ぶ武館、医学館、天文館、馬場、調連場などがあり、
総合大学の様な施設でした。幕末の動乱期を経て明治5年の「学制」発布により弘道館は閉鎖された。

 
「国営ひたち海浜公園」

花と緑に囲まれた都市公園「国営ひたち海浜公園」は公園の総面積は350ha、
開園面積約200haの広い園内は7つのエリアに分かれ。春にはスイセンやチューリップ、ネモフィラ。
夏にはバラ、ジニア、ヒマワリ。秋にはコキアやコスモスと四季折々の草花が楽しませてくれます
この公園は、1938年に水戸陸軍飛行学校、大日本帝国陸軍水戸飛行場(前渡飛行場)が建設され、
第二次世界大戦後の1946年6月には、アメリカ軍水戸射爆撃場として利用されていた。
その広大な跡地は、1973年3月に日本国政府に返還された。
「首都圏整備計画」の一環として 1979年に事業着手、1991年に約70haが開業した。