各地区の紹介 J [小 竹] |
ここの野仏たちは何処へ? (約6.9キロ) |
コース |
志津コミュニティセンターー1.0ー小竹三叉路野仏群ー0.1ー後谷津庚申塔ー0.5ー西ノ作地蔵堂ー1.5ー御岳神社ー0.5ー四社大社ー0.4ー西福寺 ー0.4ー旧江戸道と道標ー0.1水神社ー0.1ー(旧江戸道と道標)ー0.7ー秩父巡拝塔道標と庚申塔群ー0.3ー小竹五郎の墓・小竹城ー0.2ー道祖神社ー0.1ー古墳上の三山碑と風邪の神ー1.0ー志津コミュニティセンター |
今回は小竹地区をご案内しましょう。今回のコースは歴史的な見どころが沢山あり、参加者を楽しませてくれること請け合いです。また、昔からの景観を数多く残している地区ですが、ここにも開発の波が押し寄せています。先ずはこちらからどうぞ。 |
地図のプリントはこちらから スライドショーはこちらから |
地図 |
今の現状(20.10.29) かっての様子(18.3.8) |
小竹三叉路野仏群 |
25基あった野仏が撤去され、木々も伐採、野仏は行方不明。(今回の現地調査で庚申塔などが後谷津の三叉路に無造作に置かれているのを発見しました) |
次の後谷津庚申塔は小竹三叉路からほど近い所にあります。三叉路の台地に4基の庚申塔があり、その中には延亨2年(1746)の銘が入った庚申塔があります。 三角形の角地には、安産祈願の「また木」に梵語を書いた枝が建てられています。 |
次の西ノ作地蔵堂は小竹小学校を左に見ながら坂を下り途中から右に入ります。地元の女性たちにより十九夜講が続けられています。お堂には、地蔵菩薩坐像と薬師如来立像が祀られているとのことです。 |
御岳神社を目指します。途中には「NGO里山を愛する会」の管理している竹林の入口の前を通り、山際の道を進みます。かってどこの農村にもあった「農村の景観」を見ることができます。 |
山際の道から坂道を進み、台地にでます。右折し畑の中の道を進むと突き当たり、そこに御岳神社が鎮座しています。付近一帯は「小竹登戸遺跡」と称され、神社は「小竹古橋原1号古墳」の上に祀られています。木曾の御嶽山がご神体の山岳信仰です。 |
道路から神社までの間に、ハヤトウリが実をつけ、フウセントウワタが開花し実をつけていました。 |
四社大社 |
井野八社大神の祭神12柱のうち4柱を遷座して祀られました。毎年、秋には祭礼が盛大に行われています。境内には小さな祠が多数あり、多くの神様が祀られています。近くの民家に昔懐かしい「ナツメ」の樹があり沢山の実を付けていました。 |
西福寺 真言宗豊山派、山号は長谷山、本尊は阿弥陀如来です。山門は最近取り払われ無くなっていました。入口付近に秩父巡拝塔や十九夜塔群があります。また、ボタンのお寺としても有名で、四季折々の花が楽しめます。 |
次の目標は旧江戸道と道標、 旧道(佐倉道)にある道標で、明治31年12月と刻まれています。山沿いには旧道が残っています。 |
水神社 旧小竹村の鎮守で水神として崇められています。周りの神社林に古木がありましたが一部伐採されています。 |
秩父巡拝塔道標と庚申塔群 興隆寺霊園上の台地に5基あり、明治33年の道標や寛延3年の庚申塔がありま。この場所から広大な興隆寺霊園全体を見下ろすことができます。 |
小竹五郎の墓 明治26年11月、小竹家の子孫である高橋家により供養されたお墓。小竹五郎高胤は臼井から蓮華寺(現千手院)を常陸の僧澄秀に命じて井野に移させた人でもあります。 |
小竹城跡 舌状台地に東西70m、南北50〜60mの居館形式の城でありました。高さ3mの土塁に囲まれ空堀もあり、入口を虎口という。 |
道祖神社 千手院を臼井から移す時、道中安全を祈願して建てられたとのことです。祭神は猿田彦神(賽の神)で、疣(イボ)の神様としても知られています。 |
古墳上の三山群と風邪の神 出羽三山信仰の碑が11基あり、碑は享保2年や天保6年から平成5年まで続いています。 三山塚の右隅に小さな石仏があり、村人に風邪の神と信じられています。 |
以上で小竹関係の紹介を終わります。ユーカリの街中を通り、志津コミュニティセンターに戻りましょう。 |
<参考文献> 宮武幸吉著 志津の史跡と名所 志津郷土歴史同好会発行資料 |
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