(通算第61回)
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     各地区の紹介 H [下志津A]
          昔からの集落を散策しませんか         (約4.2キロ)  
コース                   
 西部地域保健福祉センターー0.3ー野仏ー.3ー屋敷神様たちー0.2ー薬師堂0.2報恩寺0.1ー大口館と春日神社0.2笠付庚申塔ー0.3ー飯郷作遺跡(県立佐倉西高校内)ー0.4ー神楽場遺跡0.5ー咳の神の木0.1野仏群0.3ー浅間神社0.9薬師寺奇妙井戸跡ー0.4西部地域保健福祉センター
 今回は下志津(2回目)をご案内しましょう。この下志津の集落は昔からあった古い集落で多くの出会いがあることでしょう。
 
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野仏
 今回の最初の出会いは、矢橋旧道沿いの田んぼの隅にひっそりと祀られているこの野仏です。すぐ近くにはコンビニもあり近くを通る人は多いが気が付いている人は非常に少ない。
 ここからは台地に向けて坂を登ります。まずはこの神々たちとのご対面です。
屋敷神様たち
 畑の木陰にひっそり祀られたり、また屋敷内に数か所の屋敷神様が祀られています。
 
薬師堂
 薬師如来が安置されています。境内には馬頭観音・風の神・喉の神が祀られています。
報恩寺
 臨済宗妙心寺派 山号 大雄山、本尊 釈迦如来、創立 14世紀前半、開基 志津次郎胤氏、開山 夢窓国師。
 このお寺では、年が変わる12時に竹で作った灯篭にロウソクを灯します。非常に幻想的な雰囲気を醸し出します。ご紹介しましょう。
 
                撮影:(左上)21.1.1 午前0時2分            (右上)21.1.1 午前7時47分

すぐ近くには、「大口館」や「春日神社」が鎮座しています。立ち寄りましょう。
大口館と春日神社
 大口館は、千葉氏の居城があったといわれ、周りを土塁が囲んでいたのが偲ばれます。
 春日神社はこの居城の一郭にあったといわれています。
 祭神 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、創建 貞和5年(1349)鎌倉中期、境内には5社(八坂神社、子安神社、古峯神社、天満宮、八百稲荷神社)が祀られています。
 元は春日大明神と称していましたが、明治元年4月に「春日神社」と改称しました。
笠付庚申塔
 東邦大学医療センター佐倉病院の近くの階段の上に2基あります。元文5年庚申年11月(1740)と寛政12庚申年11月の銘があります。
 
飯郷作遺跡
 県立佐倉西高等学校の校庭に遺跡の一部が現状保存されています。この遺跡は佐倉西高の新設に先立つ、昭和51・52年の発掘調査で発見されました。前方後方噴が2基、方墳4基、方形周溝墓22基、竪穴住居跡109基が発見されました。
 
お願い
 遺跡は県立佐倉西高等学校の敷地内にありますので、奥の棟にある「事務室」で許可をもらいましょう。また、マナーに気をつけましょう。
神楽場遺跡 
 「かぐらば」とは、「狩り場」と呼ばれていたから、といわれています。縄文時代の遺跡で、いくつかの古墳が確認されています。    

 引き返しましょう。病院の前からケアセンター「くつろぎの里」の前を通り、「咳の神の木」に急ぎましょう。
 エノキの古木が「咳の神の木」です。風邪を引いた時にお茶などをお供えして治癒を願っています。
 畦田への道を横切るとすぐ畑の中に「野仏群」があります。畑の中に13体の石仏が半円形に並んでいます。宝永3年丙戌(1706)、正徳2年壬申(1713)と刻まれた地蔵尊や如意輪観音像などがあります。
浅間神社
 木立の中に素朴な鳥居があり、浅間様を祀っています。

 ここからは中志津の西部地域保健福祉センターを目指しましょう。
 途中にある「薬師寺奇妙井戸跡」に立ち寄りましょう。
 碑の前の湧き水から、金の仏像が発見されたことから、奇妙な井戸の記念碑が建てられています。
 以上で下志津Aの紹介は終わりです。
 間もなく出発地点の西部地域保健福祉センターです。

<参考文献>
宮武孝吉著  志津の史跡と名所
志津郷土歴史同好会発行資料