旧井野村は明治22年に発足した「志津村」を構成した町村の一つでした。
 近年宅地造成により、ユーカリが丘や宮ノ台などが誕生したため、これらに旧井野村の一部を割愛したため、かなり変形した『井野』となりました。


井野の辻切り
 毎年1月25日の早朝より井野本村(いのほんむら)と井野原(いのはら)で計8体の大辻が作られ、塞神(さえのかみ)の御札を奉じて村境の大きな辻の傍らの木に掛けられます。


 
「辻」の語意は十字路や道端ですが、道だけでなく辺りの空間をもさす言葉で、他の村に通じる大きな辻に「大辻」と呼ばれる大蛇を、家の入り口の小さな辻には「小辻」と呼ばれる小さな蛇を作って掛けます。
 この行事は村の外から悪疫や邪悪なものが入ってくるのを村境で防ぐとともに、五穀豊穣をも祈願して行われてきました。

 不幸があるとこの行事に参加できません。これは辻切りが神事であることを意味します。

 辻切りの起源は文献等の記録が皆無であるために、親から伝承された話に頼るほかなく、江戸時代末期までしか遡ることができませんでした。

参考文献 
    長 典子氏 井野の「辻切り」ー各組の取組から
(通算第55回)
       。 
      
                  
     各地区の紹介 B [井 野@](辻切り特集)
              辻切り」は井野の伝統ある民俗行事です     (約6.2キロ)  
                         
コース                   
ユーカリが丘駅ー0.7ー井野原組大辻ー1.0ー井野4番組大辻ー0.2ー4番組当番宅ー0.4ー井野2番組大辻0.2ー井野1番組A大辻0.4ー        井野1番組@ 大辻0.ー井野会館(井野3番組・2番組の大辻製作場所)・井野3番組大辻0.井野5番組大辻1.8ー          井野原2組大辻ー0.ー志津駅 

     地図のプリントはこちらから        平成21年1月の辻切りはこちらから 



 ユーカリが丘駅からモノレール線路沿いに北に約700m(一里塚公園南側)、第1の大辻に出会います。井野原1組の製作です。この大辻はモノレールとの出会いを見たいものです。新旧の出会いがこれです。

 2番目の大辻はここです。担当は井野4番組、ここまでは1kmですが志津コミニュティセンターとモノレールの間を通り、山道を登って到着です。少々手こずるかもしれません。
 この組だけが今でも農道に溝を掘り本来の辻切りが行われています。村境の柿の木に大辻をかけ、道路を鍬で掘り炒った五穀(米、麦、粟、稗、豆)を播き、埋め戻しました。五穀は参加者が持ち寄るので、豆は各種入り混じっていました。
当番宅はこちらから
 

 次に井野2番組製作の大辻にまわります。この大辻は山際の農道に睨みをきかせています。

 小竹橋近くの山際の木に巻きつけているのが井野1番組Aの大辻です。以前は道路を横切って掛けてあったそうです。

 山際の道を宮の杜公園の方に300m程進むと次の辻切りへの道の入口に出ます。この入口の道は狭く滑りやすい山道です。ここの入口から登ると程なく次の大辻に出会います。(井野1番組@製作)ここの特徴は頭の無いことです。今年はまだ新しい大辻はありませんでした。

山道を登り切り古刹千手院の前を通り西進すると程なく2番組・3番組製作の本拠『井野会館』です。
   
 ここでは9時30分ごろから1時間たっぷり見学させていただきました。 男性6人(大辻担当)、女性7人(小辻担当)で、大辻2体、小辻は会員分だけ作っていました。大辻製作の男性の熱気が伝わってきました。 大辻のうちの1体は井野会館のすぐ脇の坂道の途中の大木に掛けます。担当:井野3番組

 ここから西へ約600m、井野5番組製作の大辻に出会います。道路の向こう側は大規模区画整理事業が進んでいます。ここの大辻は、これ以上の大規模開発はいい加減にして欲しいといいたげに睨みをきかせています。

 8番目の大辻はここから1.8km、気をつけて進みましょう。

 国道296号信号交差点から少し入った所にあります。この大辻のみ目に赤い布で綿を入れています。(担当:井野原2組 
 
 以上で昔から井野地区に伝えられている「辻切り」の紹介は終わりです。紹介した8箇所の大辻(大きな藁の蛇)は来年1月25日に新しいものに取り替えられます。

 お帰りは志津駅からどうぞ。