心に残る風景・橋  心に残る風景・街


心に残る風景教会・寺院

Borgund Stave Church

サント・カトリーヌ教会

ピサの斜塔

メスキータ

サグラダ・ファミリア

きよしこの夜礼拝堂

オーベルジユの教会

サンフランチェスコ大寺院

サンミッシェル修道院


古来人間は民族に関係なく、森羅万象に人間の及ばない力を信じ、またその力にすがり、何かに崇拝する風習が長い間続き、やがてキリスト教、イスラム教、仏教など主たる宗教が体系的に纏められ、自発的であれ、強制的であれ、政治的であれ、多くの人達が信者となり、教会・寺院などを建設してきた。

これらの建物は幸い戦火にも遭うことがなく現在まで、良く保存され、その美しい姿を我々に見せている教会・寺院が沢山ある。またどの町、どの村を訪れても、幾つかの教会・寺院がある。旅で出合った教会・寺院の中で何故か心に残る教会・寺院がある。

Borgund Stave Church−ノルウエーのヴァイキング時代の教会
ノルウエーのフィヨルド(氷河で浸食された深い谷に海水が内陸まで入り込み独特の景観を造っている)の村、ラルダールに近いボルグンド・ゴールBorgundStave Churchがある。

1150年頃に建てられ、1868年までボルグンドで唯一の教会でした。

1877年にこの教会の所有権が村人達からノルウエーの文化遺産として移管されました。樽板で造った木造の教会、そして屋根の頭部に立つ中世の時計塔は現存するものとしてはノルウエーで唯一のもの。 

当時、身体の大きい、ひげ面のたくましいヴァイキングがこの教会で何の祈りを捧げたのでしょうか。

 

サント・カトリーヌ教会−フランス・オンフルールにあるバイキング色の教会
パリからルーアンを経てイギリス海峡に流れこむセーヌ川河口に絵から抜き出た様なカラフルな港町に着きます。小舟やヨットが停泊し、ノルマンディ様式の旅籠、建物がいまも健在で活躍しています。サント・カトリーヌ河岸から西に向かった広場に14世紀船大工達によって建てられたサント・カトリーヌ教会があります。

そして向かいに立つ木造の鐘楼が町のシンボルとなり、教会、鐘楼ともにノルウエーで見られる板葺きの屋根に素朴で力強い彫り物を施したすばらしい柱が見られる。その後に建てられた周囲のカラフルな建物と全く異っているが、何となく双方が調和している不思議な風景でした。

 

 

 

ピサの斜塔−イタリア
「ピサの斜塔」を知らない人はおそらくいない。フィレンツェから西に90 Km離れた処にある白亜の大理石で作られた塔は想像以上に美しい。

でも、大きく傾いています。1118年に建てられたイタリア最古の大伽藍といわれたピサ・ロマネスク様式の大聖堂の東側にある。 1174年に着工され1350年に完成。

途中10Mほどの高さになった時地盤沈下で傾き、そのまま建設が続き54M(北側54.8M,南側55.65M)となった。かつてガリレオが羽毛と鉄の球を落として「落下の法則」を発見したと伝えられている。

現在も進行中の傾きを止めようと太いロープと重石で塔を引っ張り支えていました。

傾いている塔側にアパートがあり、このアパートの部屋代は他に較べると安いとか。極く最近の情報では傾きの進行がくい止められたので一部塔内の観光を始めたとか。

 

メスキータ−スペイン・コルドバ

10世紀コルドバ・カリフ王国の首都として栄えた。当時は沢山のイスラム寺院や豪奢な宮殿が建ち並んでいたと言われる。

メスキータは西方のメッカとする目的で8世紀に造られたモスクで、イスラム寺院としては世界第二位の規模を誇る。

その後、キリスト教の侵攻で、内部はルネッサンス様式を取り入れたキリスト教がメスキータに同居したアンバランスムード。

赤と白の縞模様の柱が立ち並ぶイスラムムードの教会内部を奥に進むと教会中央に燦然と輝く金色のキリスト教の祭壇がある。何とも異様な感じがする。

祭壇に輝く膨大な金はどこから持ち込まれたものだろうか?もしかしたらスペイン人が略奪したインカの涙が入った金だろうか?そんな事を想像させる異色の教会だった。

ΛTop

                                         

聖母教会・サグラダ・ファミリア−スペイン・バルセロナ

スペインはバルセロナに行けば必ず案内される定番観光名所。1884年ガウディの設計で着工したこの建物は1世紀過ぎた現在も建築中でその完成時期は判らない。

内部は一部観光者に開放しているが完成後の姿は凡人には想像もつかない。キリストの誕生をテーマにしたトウモロコシの様な4本の塔は象徴的で他所にはない独特の建築様式。

バルセロナ市内の随所に見られるガウディの手がけた建築物は曲線部分が多く、カラフルで他の直線的な建物とは相容れない雰囲気をもっていた。

 

きよしこの夜礼拝堂−オーストリア・オーベンドルフ
ザルツブルグから北に車で30分ほどで、塩で栄えたオーベンドルフの町に入る。川岸の駐車場に車を止め、徒歩で町中を進むと突然こんもりとした森のある一角に着く。スイスを想わせる木造の建物の前の小高い丘の上にドームの屋根を載せた可愛い御堂がひっそりと建っている。

1818年、クリスマスが目前に迫った頃、村の教会ではオルガンが壊れてしまった。困ったモール神父は村の小学校の先生と二人でギター伴奏の二部合唱「聖しこの夜」を作りイヴの夜に歌ったとの事。

教会は川の氾濫でその後流されてしまった。現在は「きよしこの夜礼拝堂」と言う白い御堂が建っている。クリスマスのミサには世界中から人が集まり御堂の周囲を埋め尽くすと言われる。御堂の内部は狭く、正面に祭壇、窓にはモール神父と小学校の先生の姿を描いたステンドグラスがはめられ、とても愛らしい御堂でした。

 

オーベルジユの教会−フランス・オーベルジユ

フランス・パリから北西に約30Kmほどの所にオーベルジュ・シュル・オワーズの町がある。印象派の画家ゴッホが自らの人生の幕を閉じようと選んだ終焉の地。

晩年の傑作「オーベルジユの教会」はゴッホが眠るお墓のすぐ近くにある。この教会はどこの村にも有るような建物で、町から坂を上る途中にひっそりと建っている。

ゴッホは人通りの無い、周囲が畑のこの寂しい教会をどんな気持ちで描いていたのだろうか?町中を散策するといたる所にゴッホが選んだ画材の風景を見ることが出来た。

 

サンフランチェスコ大寺院
−イタリア・アッシジ


フィレンツェからローマに向かう途中、オリーブ畑と糸杉並木ののどかな田園風景の中を進むと小高い丘に抱かれたアッシジの町に着く。

アッシジは要塞都市でもある。がっしりとした石作りの要塞の門をくぐり抜け石畳の道を暫く進む(登る) とサンフランチェスコ大寺院に出る。大寺院は丘に斜面に立ち上下二層からなっている。

下の階はルネッサンス様式で中世の画家達の壁画やステンドグラスで飾られている。上の階はイタリア・ゴシック初期の様式で、壁面には聖フランチェスコの生涯を28場面に分けフレスコ画で描かれていた。

我々がこの地を訪れた翌年の1997年これらの天井や壁面のフレスコ画の多くが地震で崩壊してしまった。

アッシジの教会は皆質素でシンプルで華美なところがなく、行き交う修道士達の服装も質素。

清貧を旨とした聖フランチェスコの思想が浸透し、清らかな信仰の地としては一番だろうと思った。

 

サンミッシェル修道院−フランス・モン・サン・ミッシェル
フランス西北部にあり、パリから250Km
ほどバスで一日がかり旅。鄙びた町を幾つか過ぎて行くと突然、視界が開け、海原の彼方に小山の様な大きな要塞がそびえ立つている。これがモン・サンミッシェル修道院。

初めての観光客は誰しもこの建物の大きさ、威容さに少なからず驚かされる。いかめしい門をくぐり延々と続く石段を登ると聖堂に至る。

聖堂の身廊はロマネスク様式。建物の3階
にあたるところに回廊があり、緑を配した中庭がある。回廊の奥には僧院食堂。下の階には巡礼者に施した救貧院、高貴な人をもてなした貴賓室や騎士の間など幾つもの部屋が迷路の様に作られている。

当時を偲ぶものは建物のみで家具・調度品はない。1789年のフランス革命で政治犯
の牢獄として使用された為だろうか。それとも略奪にあったのだろうか。

修道院は遠くから眺める不気味な姿に不思議な魅力を感じる人が多いのではないだろうか。

                                      △ HOME  △ PAGE TOP ▽ NEXT