心に残る風景・橋
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「橋」にどんな思い出がありますか。子供の頃、戦時中疎開先の畑の中の小川に架かっている丸太を組みその上に土を載せた小さな橋。その袂に腰を掛け、捕まえた蛙を餌に雷魚を釣ったり、畑のキュウリを失敬して小川の水で洗って空腹しのぎに食べたり。母の実家である浅草の隅田川に架かる橋の上から花火を見たり。それぞれ、懐かしい思い出、ほろ苦い青春の思い出など沢山あると思います。
海外の町を訪れるといろいろな橋に出合います。素朴な田舎に何気なくある生活の為の橋、長い歴史の中で人間の愚かさ、素晴らしさを見てきた橋、王侯貴族が自らの権力を誇示するために造った豪華絢爛な橋、大都市の重要な交通道路して長い間多くの人々を渡して来た橋、外部の侵入者を防いだ跳ね橋等々。この様な橋のなかで何故か心に残る橋を選んでみました。今後もすばらしい橋に出会えたら。
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カペル橋 旧市街地を流れるロイス川には真新しい、白木の部分を残した屋根付き橋がある。これがカペル橋。 1333年に作られたヨーロッパ最古の木造の橋で町のシンボルとか。 しかし、1993年焼失し、翌年に再建。橋には屋根があり、橋を渡ると屋根の下の梁にはLuzernの守護聖人の生涯を描いた110枚の板絵が飾られている。 この橋にも17世紀に流行した疫病を描いた「死の舞踏」と題した板絵が梁に掛けられている。 何故か日本のツアールートにはこの橋の見学が入っていない。時間の関係だろうか? |
ポンテ・ヴェッキオ橋 ピッティ宮に通じる橋がフィレンツェ最古のポンテ・ヴェッキオ橋。橋の上は貴金属店や土産物屋が並び一年中大勢の観光客がひっきりなしこの橋を渡る。 かつてヴェッキオ宮とピッティ宮との専用の連絡橋であったとか。かつての王侯貴族の奢侈の一端を垣間見る様だ。 |
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カレル橋 厚い雲に覆われた小雨模様のすっきりしない天候であった。プラハの町は百塔の町と言われる程沢山の尖塔が空を突き刺している。 これらの建物はほとんど17-18世紀に様々な建築様式で建てられた。外壁は黒く、煤ぼけた様で町全体が暗い感じがする。町の中央にヴルタヴァ川が横たわり川を夾んで旧市街とプラハ城を結ぶ橋がカレル橋。 19世紀まで旧市街とプラハ城を結ぶ唯一の橋とか。 1402年に造られたプラハ最古の石橋で、カレル4世が建築家ペトル・バルレージュに命じて架けた石橋。 全長515M,幅10Mのゴシック様式で両端にはタワー・ゲートが建っている。欄干には30体の聖人や歴史上の人物が並んでいる。プラハを訪れた観光客は必ず此の橋を渡る。沢山の人が集まるので、橋の上は出店や、大道芸人が多い。 そして歓迎されないスリも多く出没。このスリは身なりも立派で一見紳士、淑女風。「身なりで人を判断してはいけない」の良い例。 |
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リアルト橋 サン・マルコ広場まで続く運河の中間にある。運河の両岸はかつて豪商達が競って建てた装飾が施された柱廊のある建物(担保物件にするために一際豪華に建てた?)に囲まれ、橋の下をゴンドラが行き交い、これぞヴェネツィアと言う風景だ。 ここには13世紀に木製の橋が架けられていたが焼失や崩壊があり、アントニオ・ダ・ポンテの設計で1588-1591年に懸けて現在の大理石の橋に建造された。
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マへレのはね橋 この橋は1671年に造られ、現在もその姿を留めている。我々は成田からアムステルダムに着いた日に運河のナイト・クルージングでマへレのはね橋に行った。時差による眠気で夢うつつの中で見た橋はイルミネーションでライト・アップされ、運河の水面に映し出されたその姿は幻想的だった。 |
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タワ-・ブリッジ しかし、最近、ビッグ・ベンとテムズ河を隔てて対岸に大観覧車が出来、ここからの展望のほうが勝るのでは?夕暮れ、照明に照らし出されたタワー・ブリッジの姿を眺める方がすばらしい。 ロンドン塔から雨に煙るライト・アップされたタワー・ブリッジの姿もまた美しい。 |
ブリッジ・ハウス この町は人口は3000人ほどで灰色の石作りの家が並び落ち着いたたたずまいをみせている。町の駐車場をでたところに綺麗な小川があり、この小川を跨いで建つ小さな建物がブリッジ・ハウス。 17世紀に建てられたものであるが、手入れが良く当時の姿を今に留めている。うっかりすると見過ごす様な可愛い小屋だ。どこから眺めても絵になる。現在はトラストの管理下にあり観光案内の資料などの展示・販売所として利用している。
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Swilken Bridge クラブハウス、R&A Club Houseに向かってティショット。 左右に曲げられない狭いコース。行く手に細いクリークがあり、小さな石の橋がある。 過去多くのプレーヤー達はどんな気持ちでこの橋を渡ったのだろうか?入賞圏内で喜びに満ちて渡ったプレーヤー、バンカーでたたき過ぎ傷心の気持ちで渡った人。 この橋はこれらの多くのプレーヤーの姿をみてきた。この橋が「Swilken Bridge」だ。長い間、多くのプレーヤーに親しまれ、現在も尚、多くのプレーヤーがわざわざこの橋を渡って最終グリーンへと進む。 |
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アレクサンドル3世橋 するとこれまた金色に輝くパリを代表する絢爛豪華な橋がセーヌ河に架かっている。 1900年のパリ万博に向けて造られたもので寄贈者はロシアのニコライ2世。橋の両端に20M近い柱塔が立ち、その足元はブロンズ彫刻で飾られている。この橋から眺めるエッフェル塔の眺め、セーヌ河を行き交う遊覧船が一層の風情を醸し出している。 |