嘉翡と愉快な仲間・・・達?


ここでは中国留学中に出会った動物達と記憶している簡単なエピソードを紹介します。




NO.1


 とある留学生が飼っていた犬(ミックス?)。
人懐っこくて可愛かった記憶があります。名前も飼い主が誰なのかもはっきりとは覚えていませんが、うっすらと残る記憶では飼い主が日本へ連れて帰ったという・・・。あれから十二年あまり・・・元気にしているのであろうか。(語言学院塔楼14階にて撮影)

名前・・・ベンベンだったかなぁ?



NO.2
ハムスター
 このハムスターの名前はシンイチ。体育大学在学中に私が飼育していたペットである。このシンイチとの出会いは体育大学の外国人宿舎「小白楼」の正面にある植え込みの中でした。ある夜、夕涼み(だったかな?)で外に出ていたおりガサガサと音を立てる植え込みを怪しんでひっ捕まえたのが出会いでした。もし病気を持ったドブネズミだったら・・・と考えるとよくも確認しないまま手を出したなぁとひやひやしました。「何でこんなところにハムスターが・・・?」と思いましたが、後々ある日本人留学生が帰国を前に逃がしたものと判明。許可を得て私が飼育することに。しばらくの間は私の部屋でおとなしくしていましたが段ボール箱を破って逃走するようになり、最後は部屋の隅でひっそり死んでいました。死因は・・・詳しくありませんがゴキブリホイホイが半分以上かじられていたことからそれが原因かもしれない(粘着液での窒息死とか)と思っています。ちなみに画像の黒いサークルは買ったばかりのカーペットの上に熱したままの鍋を置いてできてしまったものです



NO.3

体育大学在学中にとある学生が飼っていた犬(ミックス?)。名前はV8だったかな?、何故V8かは忘れてしまいましたが・・・。小さい時はコロコロとして実に可愛かった。よく借りてきては部屋でハムを食べさせてあげたものです。ある時、私の部屋で桂花陳酒(甘口のお酒)をあげると喜んで飲んでいたので調子に乗って飲ませすぎ、酔っ払ってしまいまいた。暫くその場でくるくる回っていました。「おお!八卦掌やってるぜ」なんて笑っていましたがゼーゼーいって最後にはダウン。私も可哀想なことをしたと反省しましたが、きちんと「お漏らし」という形で仕返しされました。飼い主が責任を持って日本へ連れ帰ったという話を聞いているので、きっと幸せに暮らしていることでしょう。飼い主によると中国での検疫書類では足りなくて日本で追加検査をして十数万円の追加費用がかかったとか・・・(T_T)。



NO.4
サル
体育大学の留学生が飼っていた猿・・・いや猴になるのか?名前は悟空。私はエテと呼んでいたが・・・(笑)。小さい頃は実に可愛かった。しかし、いたずらが過ぎると飼い主からの厳しい躾・・・というより鉄拳制裁を受けた事も多々あった。写真中央にもあるようにおもちゃの手錠をしておとなしくさせられていたことも。しかし、そんな厳しい躾の中も甘ったれ坊主な悟空は飼い主べったり!寝るときは飼い主と一緒に寝ないと「キーキー」騒ぎ、また他人が飼い主の側に座ったり、ましてや触れようものなら「ぐるるる、ぐるるぅぅ」と檻の中で威嚇していたものです。そんな悟空も一時大変な時期がありました。体育大学の宿舎から飛び降りて(落ちて?)瀕死の重態に。飼い主の看病と病院の治療でとりあえずは一命を取り留めたのでした。しかし、暫くは半身不随状態で歩くこともままならず、その場に座ってくるくると回ることしかできませんでした。悲惨だったのがその状態でお漏らしをしてしまうこと!サルはどこでも垂れ流し状態ですので仕方ないのですが、この時ばかりは回転しかできないので大も小も回る石臼のように悟空のお尻によって絨毯に擂りこまれてしまうのです(泣)。私が体育大学を離れて暫くして会いに行くと悟空は随分大きくなっていました。身体もすっかり回復し、頭も力も成長しているようでした。久しぶりに悟空の反応を見ようと飼い主の隣に近づくと相変わらず唸り声を上げて威嚇してきます。しかし、今までと違うのは自分で檻を開けて攻撃を仕掛けて来ることです私も何度か足を引掻かれたり咬まれたりしました(ToT)。さて、そんな悟空ともお別れの時が・・・、飼い主が長期不在の時に世話を任された人物の隙を突いて逃走し、そのまま行方不明にになってしまったとのです・・・。体育大学は周りに畑も多く、少し離れた山に行けなくも無いでしょうから元気に生きていてくれると思いますが・・・。上の3枚の写真はまだ小さくて可愛い頃のもの。マジック化粧をされたりしていました。私の思い出で一番傑作だったのが洗面所で風呂に入れられて、手で支えてもらいながら気持ちよ〜くくつろいでいる所を飼い主が悪戯でパッと手を放してお湯に落とすのです。突然溺れた状態になる悟空は大慌てを通り越して必死の形相でお湯から飛び出してきます。「ぐるるる、ぐるるぅぅ」と飼い主はおろか側にいる私にも唸ってきます。これが面白くて何度も楽しみました。また悟空も懲りずに何度やってもお湯に落ち込むんだよなぁ。いや〜楽しかった。そういえば・・・白酒飲まされてベロベロになっていたこともあったなぁ。生意気につまみを食べながら。(笑)



NO.5

世界文化遺産に登録されるという河南省登封県にある少林寺に学校の旅行で行った時のこと!皆で達磨堂まで登った後、来た道を外れて道なき道を降りることになったとき足元にいたのがこの虫。はっきり言って
「うきゃ〜」て声を上げるくらいの気味悪さでした。まさに人の嫌がる様な動きをする虫(ムカデ?)でした。色も黒くて節々が少し黄色くなっていたのを覚えております。ウゴウゴと動く様はまさに毒虫!未だにその正体は分かっていませんが(調べてもいないけど)強烈な出会いを記念して写真を取りました。



NO.6
フクロウ
上に同じくやはり少林寺で出会ったフクロウ売りのおじさんとフクロウの雛です。確か門前付近にいた記憶があります。はっきり言ってフクロウの雛なんてめったに見れるものではないと思いましたので記念に写真を撮りました。値段はいくらだったんだろう?この可愛い毛むくじゃらのフクロウの雛は私が見つめるとジーッと見つめ返してきました(写真左)さすがに猛禽類らしく鋭い嘴と爪が印象的でした。ちなみにこの年の夏に襄樊でフクロウを食べようと思ったのは決してこの雛を見たからではありません(笑)。



NO.7
にわとり
このぶら下がった鶏を見て何を感じるだろうか?「もしや・・・?」と思った方もいるだろう。正解です。そう・・・この鶏はこの時すでに私の手によって首を斬られています。当然この日の夜のメインディッシュになるためです。三門峡の知人宅の門外での一コマです。一度はやっておかねばならない経験・・・そう心に決めていたこの計画もいざ実行に移すとなるとなかなか足が前に出ませんでした。春節間近の市場はそこいらに活きのいい食材が並んでいます。この鶏はその中で一番でかくて重いのを選んで買いました。値段は50元だったはず!この鶏をさばく様子は
雑記録に収録しましたので見てやってください。鶏さんありがとう!実に美味しかったです。どうか成仏してください。



NO.8
子豚
河南省ケ州市郊外の農村で武術の調査をしていた時に見つけた子豚達。ブキブキ鳴きながらちょろちょろ動き回る可愛いその姿に思わずシャッターを切りました。飼い主の農民は・・・「こんなの写真に撮ってどうするんだ?」と聞いてきました(笑)確かにそうなんですが、まぁこうした形で役に立っていると思えば無駄ではないでしょう。農村では子豚ばかりだけでなく親豚も放し飼いです。



NO.9
子ヤギ
 河南省ケ州市からさらに南へ下り、湖北省との境界線おそらく湖北省に入っていると思われる農道を心意拳を求めてさまよっていた時にであった子ヤギ達。メェ〜メェ〜とひっきりなしに鳴いていました。まだ足元がおぼつかないような子ヤギもいました。トコトコ歩く様子が可愛く、ピョンピョン撥ねる姿はアルプスの少女ハイジ(公式サイト)に出てくる”ユキちゃん”のようでした。地図にもきちっと載っていない農村地区、私を乗せてくれるような車なんかすれ違うことが無い舗装された農道(砂利道も含む)を荷物を担いで半日さまよった淡い思い出(ToT)。手持ちの水も飲み干し、食べるものも無いまま真夏の炎天下を歩きました。途中で缶ジュースを売る店を見たとき泣きたくなりましたよ。え?心意拳はどうしたかって・・・・?(-_-;)



NO.10
沙皮狗
今年の干支にちなんで犬をアップしました。日本ではあんまり聞かない犬種と思います。沙皮狗・・・皮膚が砂のようにザラザラしているからそう呼ばれているらしい。まさに読んで字の如くの容貌である。以前武術通信の蟷螂猿拳で劉家に飼われている沙皮狗のドゥドゥ(ページ下部)を紹介しましたがこちらの方が一回りほど大きかった記憶があります。私がこの写真の沙皮狗を見たのは河南省のケ州市内。バイタクの客席に陣取っていたので目に付きました。ちょうど運転手が私の目の前で買い物を始めたので内緒で撮影してしまいました(^^)b。劉家のドゥドゥを知っていたのでこの犬種が沙皮狗とわかりましたが、もし事前の知識が無かったらただの”しわくちゃな顔をした犬”程度にしか思わなかったでしょう。それにしてもこの情けない表情・・・ (*^_^*)。顔周りの垂れた皺、特におでこの皺がなんともいえません。そして開いているのかわからない三角形の目、申し訳なさげに垂れている耳・・・。なんか”じじむさい犬”ですが、そこが可愛かったりもします。周りにいる知り合いのおじさんの中にもいそうな顔ですね。もともとは闘犬種でたるんだ厚い皮が身を守っていたのだとか・・・。一時は絶種寸前とまで言われたらしいのですが70年代に保護活動が始まり「中国沙皮犬倶楽部」が成立、これにより命脈を保つことができたとの事です。(中国名犬網



NO.11
その卵は有精卵なら孵して育てますがそうでないなら食べてしまうので無精卵は私の一存でアーバオの餌にしていました。喜んで食べていたのを覚えています。この頃から私がアーバオの躾を行うようになりお手、お代わり、伏せ、待て、を教えました。こういう場合の中国語がわからなかったので相談して右手、左手、臥、慢として躾けました。このアーバオは頭がよくて私のいる短期間に大体できるようになりました。餌をあげる時に我慢をさせる躾では私の「好」の一言をもらうまで5分も我慢できるようになりまして買老師も随分感心しておりました。しかし私がいないと散歩にも連れて行くことが少なかったため極端に体力が無く往復200mほどの距離で息切れしてへたれ込んでいました。よって私が武術を学んでいた時期はアーバオは早朝練習場所まで一緒に連れて行きついでに朝飯も一緒に食べるという生活をしていました。アーバオと一緒にいると必要性から牛羊スープが食べられて私も助かりました。実は買老師の好む定番の朝食では必ず私の苦手なスープが出てくるもので、アーバオの世話は苦手なスープから逃げるいい口実になりました。周口では犬に鎖をつけて散歩をする人は少なく、アーバオを連れ歩く私はよく遠巻きに嫌味を言われました。
この犬は私が周口の買西山老師宅に泊まりこみで武術を学んでいる時にもらわれて来た犬(メス)でした。豹(バオ)と名付けられ、みなで阿豹(アーバオ)と呼んでいました。雑種だと思いますが狼狗と呼ばれていたのでシェパード犬種の血が混ざっているのでしょう。寂しがり屋で夜は人の側にいないと鳴き続け私も随分夜鳴きに悩まされました。あんまり犬の世話に慣れていない買先生の息子達に代わって私が面倒を見ることが多く、餌の世話から下の世話まで面倒を見ることが多かったのを覚えています。ドッグフードなんか無いので粉ミルクを購入して饅頭に浸して食べさせることからはじめ、朝食に食べる羊肉スープや牛肉スープに焼餅を浸したものに徐々に変えていきました。                           
私が次に買老師のお宅にお邪魔したときアーバオは随分大きくなっていました。買先生の息子さんと古い棚を利用して小屋を作ってあげたのを覚えています。闘鶏用の軍鶏の側につないでいました。この頃になると食欲も旺盛で私が自腹を切って肉を食べさせたものです。後ろに見える軍鶏の面倒も実は私が見ていました。当然餌やり掃除まで(笑)この軍鶏はメスもいて卵を産みます。
このアーバオともお別れのときがやってまいりました。それはあまりに突然でした。この写真よりも更に大きくなっていたアーバオは当時買老師が武術を教えていた施設に番犬として置かれていたそうなのですが、その施設を利用されることを望まないその土地の前オーナーの人達に毒を盛られてしまったようなのです。突然元気が無くなり、病院に連れて行く準備もあるためその日は様子を見ようと思っていたがそのまま息絶えてしまったそうです軍隊時代に軍犬の扱いをしたことのある買老師も「アーバオは随分大きくなり歩き方にも優雅さが出てきて立派になったんだぞ!」と私に話していたので成長した姿を一目も見れないまま別れることになってしまい私はがっかりでした。当時私は買老師の息子に当り散らした事を覚えています・・・、買老師の息子もアーバオを可愛がっていたので私にも責められ辛かったようです。(ちなみにきっちり報復もしたようで後日、夜中に乱闘騒ぎが起きました)アーバオの件で唯一の救いはきちんと埋葬してもらっていた事。回教徒は狗肉は食べませんからね。周口のような田舎の漢族だったら多分食べられてしまうか、皮を剥がされて売られていたでしょうから・・・(-_-;)



NO.12
この犬の名前はアーバオ・・・そう、上で紹介されているアーバオが死んだ後にその後継で買西山老師宅にて飼われる事になったやはり狼狗系の犬種です。買老師の親戚が気分で買ってきたのを買老師の息子が気に入って譲りうける事になったのでした。初代アーバオよりもシェパードの血が多く出ているように見えますがはっきりわかりません。耳がピーンと立っていてなかなかりりしい面構えです。でも初代と較べてあんまり利口ではなかった記憶があります。私が帰国する一月前くらい前に来たので世話を見た時間はあんまりありませんでした。先日気になってこのアーバオがその後どう成長したか買西山老師に聞いてみたのですが帰ってきた答えは「あぁ、あげちゃった」でした・・・(ToT)。買家と犬は縁が無い・・・というか相性が悪いのかもしれません・・・(^^;



NO.13
犬が続いたので今回はアヒルです。
河南省南陽市郊外の「水溝」という農村にある清真寺にて撮影しました。黄色い産毛に覆われた一番可愛い時期のアヒルの雛、おしりをフリフリさせながら歩くその様はなんとも言えない可愛さと愛嬌があります。撮影から五年経っている今、さすがにこの雛たちが生きている可能性は限りなくゼロに近いでしょう。飼い主である阿洪
(アホン・イスラム教の聖職者・イマム)の手によっておそらく西天に送られて(食べられてしまって)いることでしょうから。



NO.14
今回は猫です。
買西山老師宅に飼われていた雑種。真っ白いが故に薄汚れて見えてしまうのが可哀想な所です。ハムを買ってきて細かく刻んで水にて軟らかくした饅頭とまぜて餌をあげていた記憶があります。買先生曰「この猫はなかなかすばやい動きをする猫で何度か目の前でネズミを捕るのを見た」との話でした。可哀想なのが常に紐につながれていること。理由は逃げない様にするため、今一つが盗まれないためです。中国では犬も猫も立派な財産!下手に放していると持ち去られてしまうとの事でした。ちなみにこの猫の話をしていた際、私は買先生に猫にまつわる技を学びました・・・名前を「猫戯珠」といいます。いつでもどこでも練習できて、人には何をやっているかわかりにくい物との事でした。



NO.15
今回も猫です。やはり買先生の自宅で飼われていた猫です。上で紹介している白猫の伴侶猫です。見事に白と黒のペアだったので私は「陰陽猫」と呼んでいました。そうしたら生まれてきた子猫がこれまた見事に白黒の模様をしょっていました。陰陽から生まれた白黒の斑点模様がある子猫なので「八卦猫」とでも言えばよいのでしょうか・・・(^^)しかし・・・、生まれた子猫は3匹でしたが生まれて数日後、そのうちの一匹が何かの拍子で弱ってしまい瀕死の状態になってしまいました。するといつの間にかその子猫の姿が消えていたのです。世話をしていた買先生の姪っ子に聞いてみると・・・「多分親猫が食べちゃった・・・」との返事が。親が子を食べてしまう話は聞いたことはありましたが身近で起きたのは初めてだったので少々驚いた私でした。



NO.16
今回は仲の良い犬と猫です。
周口の張勝利老師宅にて飼われています。お互いいがみあう事も無く仲良く暮らしています。お酒が好きな張老師が飲み始める頃、酒の肴を狙って足元をうろついてきます。私も鶏肉や魚の骨などをあげた記憶があります。この二匹はあげた餌を取り合うことがないのでけたたましくならないのが良いところでしょう(^^)かえって庭にいる闘鶏用の鶏の方が騒がしい上にこの二匹の餌を奪ったりと暴れています。足の不自由な張老師の奥さんが大事に可愛がっているからでしょうか、二匹とも温和な性格に育ったようです(私は犬に何度か吠えられましたが・・・)。周口を離れて5年が経ちましたが、きっとこの二匹はまだ仲良く過ごしていることでしょう。



NO.17
今回は水牛です。
湖北省で武術探索をして農村を歩き回っていたときの写真です。河南省までは比較的に黄牛が主体ですが、湖北省に入ると湿地帯が多く、耕作地も水田が多くなり、牛は水牛が多くなってきます。華北に多い黄牛は長時間の労働や移動に強いのに対し、一日のうち、一定の時間水や泥に入っていないと生きていけない水牛は農耕はともかく長距離輸送には不向きとされていたとか・・・。この能力の差が北と南の軍事輸送力に影響していた・・・・と何かの本で読んだことがあった気がする。
ちなみに中国では水牛はその皮膚が黒いことから烏牛とも呼ばれているそうです。




NO.18
河南省周口陳州街の屋台で見た犬・・・(だと思う)
雑種であろうとは思いますが、妙に毛が短くて地肌がそのまま出ているような面白いスタイルでした。
世界一醜い犬のサム君に皮膚がちょっと似ているかも・・・?人懐っこくて可愛い犬でした。



NO.19
今回は虎です。
河南省周口の公園内にある小さな動物園での写真です。
この公園には買西山老師と買老師の娘さんを伴って遊びに行きました。やんちゃな買老師の娘さんも虎の前に来るとすっかりおびえてしまい、買老師が虎の檻に近づいて虎に吠えさせると泣き叫んで買老師にしがみついていたのを思い出します。私は買老師に「武松は素手で虎を殺したそうですね、近年まで虎や豹を素手で捕獲した人物がいるというような話を聞きましたが、人間が素手でこんな猛獣と渡り合えるものですか?」と訊ねると、「・・・・渡り合えると思うぞ」と返答されたので「買老師はどうですか?」と返すとニヤリと笑いながら「どうだろうなぁ・・・」と返されたのを覚えています。



NO.20
四川省の成都にある動物園で見たパンダです。
このパンダは寝てばかりでちっとも顔を見せてくれませんでした。反面、写真はありませんが室内のパンダは愛嬌を振りまき、可愛かったのを覚えています。意外と強暴だと言われているパンダではありますが、薄汚いぬいぐるみのようでした。次回四川に行くときは是非とも子パンダを抱きに行ってみたいですね。



NO.21
今回は昨年騒がれた風太・・・ではなく上のパンダと同じく成都の動物園で見かけたレッサーパンダです。私を見ると餌をもらえると思ったのかチラチラこちらを見ながら近寄ってきました。隣の中国人が遠慮なくポイポイ餌を投げ入れているのを見て、のそのそ近づいてきて投げ入れられていたピーナッツを食べているようでした。もっと欲しいかのような眼差しで私の方を見ていましたが貰えない事がわかるとやはりのそのそと去っていきました。やや内股気味に歩く姿が可愛かったことを覚えています。残念ながら風太のように直立をしてはくれませんでした。











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