三顧の礼・襄樊編


(1)

 南陽武侯祠を離れ、バスでさらに南の襄樊へ向かった我々一向は南陽の南・鄧州を経由して午後四時半に襄樊にたどり着いた。今も河南から湖北への風景の移り変わりが思い出される・・・鄧州から湖北へ入ろうとする辺りから畑の様子が変わってくるのだ。乾いた畑の麦やトウモロコシから瑞々しい水田の稲作へ、動物では短い角で黄色い皮の牛(黄牛)から、長い角で黒い烏牛(水牛)へ・・・。地域性の分岐点を見た気がして何故かうれしかった記憶が蘇える。途中、南へ向かう列車と併走しながらの風景は実にのどかでいいものでした。

 さて、襄樊市にたどり着いた我々は早速ホテルにチェックイン。ホテルは駅前の臥龍飯店!(だったはず)二日にわたるバスの旅で疲れていた我々は日暮れまで休んで、夕食をとるため夜の襄樊へ繰り出した。襄陽城内までタクシーで乗りつけ風景区内の店で小籠包に舌鼓を打つ!日記にはこの小籠包のことをを書いてはいるのだが、今となってはどう美味しかったのかなんて記憶にはない。

 襄樊市は北の樊城と南の襄陽に別れ、その間には長江最大の支流・漢江が流れている。都市の規模では樊城のほうが整備され開けているのであるが、旅行者にとっては・・・特に三国志マニアにとっては城壁が残る襄陽の方が好みでしょう。襄陽にて食事を取った我々は夜の漢江を眺めて樊城のホテルへ戻っていった。しかし、襄陽へ行くときは取られなかった漢江大橋の通行料を要求され、もめた事を覚えている。

翌日の夜の列車で洛陽へ帰る計画を立てていた我々はそのまま駅に向かい切符売り場へ向かう。
当然ながら切符売り場は行列ができていてなかなか買えそうにない。仕方がないので奥の手を使う!連れの二人のパスポートと居留書を預かり、駅員専用口に出向き、あえてたどたどしい中国語で訴える・・・

嘉飛「わ、私は留学一年目の留学生です。初めて襄樊に来て切符の買い方がわかりません。
もうすぐ新学期も始まるので急いで帰りたいのですがどうしたらよいのでしょうか・・・?」



駅員A「そうか、君達留学生か?日本人だね。」

嘉飛「はい、そうです。洛陽へ行きたいのですが切符は買えますか?」

駅員A「今は無いが明日なら買えると思うので明日来てくれ。準備してるから。その時もパスポートを忘れずにね」



こうして翌日の切符購入の目処が立ったのである。
無論心配ではあったのですがコレしか頼る道は無い。夜は翌日の切符と武侯祠の話題に華が咲いたのでした。


(2)
翌朝・・・洛陽に帰るための切符を購入するために襄樊駅に向かう。

パスポートを持った私は再びたどたどしい口調で・・・

嘉飛「昨夜洛陽までの切符をお願いした日本人留学生ですけれど・・・」

駅員B「しらないよ、聞いていない」

嘉飛「・・・・(やはりそう来たか)昨夜の駅員さんはいますか?」

駅員B「知らないよ」

私の頭に洛陽までのバス旅と席無し切符の無座の旅が頭をよぎる。

何とかしないと・・・・と粘っているうちに昨夜の駅員Aが現れた!

神にすがる思いで声をかける・・・

嘉飛「あの~、昨夜洛陽までの切符をお願いした日本人留学生ですが・・・」

駅員A「おぉ!待ってろ待ってろ。・・・おい、洛陽までの切符を3枚頼む」

切符売り場の奥でやり取りが遠く聞こえる。
私はというと、連れの二人の手前、留学生の先輩としての威厳(そんなものあったのか?)を保つため何とか切符が手に入るように願ってはいたが、万一のために実は賄賂を握って待っていたのだ!


しかし、駅員Aは気持ちよく切符を準備してくれたのだ!硬臥3枚を!!これで洛陽までは寝て帰れる!!!

嘉飛「ありがとうございます」

駅員A「今度はもっとゆっくりと時間を見て襄樊に来なさい。気をつけてな」

この時ばかりは「ナイス售票員!人民万歳!!」と喜んだものだ。


こうして無事に切符を手にした我々は嬉々として部屋をチェックアウトし目的地の古隆中に向かったのである!!



(3)

この日は古隆中以外にも襄樊の地図に載っているその外の三国志史跡を回ることが控えていたため思い切って
タクシーチャーターを決行!いざ憧れの地・古隆中へと向けて出発したのでした。

街中を抜け、街郊外を走り暫くして山を囲むような白壁が現れる(多分そんな感じだったと思う)。
横目にちらほらと見え始める史跡に興奮を覚えながらに進んだのでした。



 
古隆中牌坊
ここより先はまさに三国志・孔明ワールドなのです。






ここには蜀を支えた文武官が祭られています。
著名な人物から「こんな人物もいたの?」っていうものまでいました。






一度はやってみたかった孔明のコスプレ?孔明の手押し車に乗りたい人は多いはず!
しかし馬の尻尾で作られた髭が気持ち悪かった(>_<)



ここにはちょっとした孔明テーマパークみたいなもので武侯祠、草蘆亭、野雲庵、三顧堂、六角井戸、抱膝亭等当時の孔明を偲ぶに十分な「設備」がある。実際、孔明は南陽にいたのか、それとも襄樊の古隆中にいたのかははっきりとはわかっていないという。話によれば南陽派と襄樊派に分かれた議論があったらしいが、結局「どちらにもいた・・・」という結論にいたったとか・・・実に中国らしいですね。まぁ、1800年の時を経て衰えることの無い三国志と孔明の人気を考えればどちらも観光資源として「重要なスポット」でしょうから譲り合ったのでしょう。孔明も自分が争いの種になるのは嫌でしょうしね。ちなみに観光地としての規模から言えば襄樊の古隆中に分がありそうですね。 




孔明が耕してたといわれる畑



周りの雑木林にはクヌギの木が随分生えていました。
ふと頭によぎった事・・・「中国のカブトムシってどんなものなんだろう?」
思わず足がクヌギの木に向かう。そして・・・クヌギの木に見たものは!?





「おおぉ!カブトムシ!!日本と同じじゃないか!!!」

そう、中国湖北省のカブトムシは日本と同じ形状をしてたのだ!!




しかし・・・その・・・実は・・・このカブトムシ死んでいたんです
死んで落ちていたカブトムシを木に引っ掛けて撮った写真なんです。
地面に転がっている死体を撮っても面白くないので記念に細工をさせていただきました。




さて、古隆中を後にする前に古隆中の門外で食事をすることに決定!
地球の歩き方にはここでは「猫頭鷹」が食べられると聞いていたので・・・え?猫頭鷹は何かって?
字のまんま鷹の胴体に猫の頭を乗せて見ましょう・・・というわけで答えはフクロウです。
わからないですよねぇ・・・?中国人にはフクロウの頭は猫に見えるんでしょうか・・・。

・・・話がそれました。

帰り際にタクシーに乗りながらゆっくり進んで屋台に並ぶ籠を見ていたのですがどこの屋台にもフクロウは見つかりません。
どちらにしろお腹も減っていた我々はので適当なところで店に入ることにしました。

帰り際タクシーに乗った我々を客引きのおじさんがず~っとしつこく追い回していたのですが、絶対にこのオヤジのところでは食事を取らないと決めていた我々。無視をし続けて選んだお店に入ると偶然にもそのオヤジの店だった。ニコニコしながら話しかけてくるオヤジに多少腹も立ったが仕方が無い。選んだ私のくじ運が悪かったのでしょう。

さて、開き直ってオヤジに聞く。

嘉飛「フクロウは無いの?」

オヤジ「無い、そこに並んでいるものが材料だ!」

そこには籠の中に閉じ込められているハリネズミの姿が・・・。
現在SARSの怖さを知った我々では決して食べることが無いこうしたゲテモノ系?の食材ではあるが当時の我々は

嘉飛「しょうがないからコレをチャレンジして見ようか?」

と二人の同意を得て注文したのでした。

するとオヤジは嬉しそうに聞き返してくる。

オヤジ「どれがいい?これか?それともこれか?」

嘉飛「じゃ、そいつにしてくれ!」

オヤジ「これか?これだな?これでいいんだな!よし、待ってろ!!」

すると僕に指名されたハリネズミの足にくくられていた紐をつかんだ!

我々は「あぁ、指名されたがゆえに厨房で殺されてしまうんだなぁ、ちょっと可哀想だなぁ」なんて話していたら・・・

オヤジは紐をつかんでそのままハリネズミを振り回した!そしてそのまま地面にドカッ!!と叩きつけたのだ!

ハリネズミが「ギッ」と声を上げて足をバタつかせる。

当然我々も思わず「ウォ~ッ」と驚きの声を上げた!

続いててオヤジが第二撃を放つ!ドカッ!!

ハリネズミの足の動きが止まり口からわずかに血が滴っている。

そしてすかさずオヤジが次の動作に入る。地面にハリネズミを置いておもむろに包丁で腹を割いたのだ!

「ギギッ」ハリネズミの最後の断末魔の声が・・・。




そうして命を絶たれたハリネズミは奥の厨房で調理されに行ったのでした。


少しばかり・・・いや、結構カルチャーショックを受けた我々はハリネズミが美味しく調理されることを祈るのでした。


暫くすると変わり果てた姿のハリネズミの炒め物が出てきました。



変わり果てたハリネズミ君
ポインターを置くとすると瀕死の姿が・・・グロいので注意!


さてさて、そのお味はというと・・・・はっきり言って不味かった!小骨ばかりが多くて肉も少なく、おまけにハリネズミの背中の皮と針が残った部分や歯の残った顎の部分があったりと実にエグかった・・・。また臭みを消すためだろうか・・・胡椒と唐辛子の味ばかりが目立って美味しくなかった。まぁ、ハリネズミの風味なんかがふんだんに出ていたら、それこそ食べられたものではなかったろうが。


さて、美味しくなかったとはいえ、まがりなりにも我等の胃袋を満たしてくれたハリネズミに感謝して旅に出ようとオヤジに勘定を要求すると合計で200元近い金額が要求された!驚いた私は早速抗議!するとオヤジはメニューの書いた小さな黒板を持ってきて見せた。そこにはハリネズミ一匹が140元と書いてあったのだ。

我々「しまった~、やられた!」

こんな不味いものになんと言う無駄なことを・・・。

嘉飛「こんな不味いのに何でこんなに高いんだ!?」

と言っても

オヤジ「味はどうあれ値段は値段」


と食事前の擦り寄り方とは明らかに態度が変わっている。正直、面倒だったので
言うがままの値段で店を離れた!ま、まぁいい思い出になったよね・・・と口ずさみながら。




(4)

さて、ハリネズミを食べた我々は次の目的地へ!

タクシーの運転手に史跡を記した地図を見せその場所へ案内してもらう。




馬跳躍壇渓
荊州の劉表に身を寄せていた劉備が蔡瑁に命を狙われ逃れてきた時、目前に迫る川に飛び込み(飛び越え?)追っ手から逃れたという伝説があり、その時劉備が乗っていた馬・的盧がつけた蹄の跡が残るといわれている場所。結局どれが蹄の跡かはわからずじまいでしたが・・・。頭に描いていた川と違って実際はようやく水が流れている程度の小川・・・というか下水に近いかも。1800年前にはきっと・・・もう少し大きかったはずだ(泣)!




  
漢江が近くに流れているここは龐統の家があったといわれる場所の近辺。地図にはきちんと印がついているのに実際は何にもない!ついでに言えば襄樊の地図には他にも徐庶宅や孫堅が劉表に討たれた場所もありましたが結局探し出すことはできませんでした(-_-;)。タクシーで随分走り回ったのに・・・。日本で描かれる三国志ではとかく立派に描かれることが多い軍船ではあるがこの漢水はそれほど深い流れではないとの事。きっと曹操から逃げる劉備を迎えに来た関羽も右上の画像のような薄っぺらい船に乗っていたのかもしれません。




地図が当てにならない事がわかった我々一向はこのままタクシーに乗り続けても意味が無いことに気づき、襄陽に引き返した。
襄陽城では城壁に登りそこから見下ろす漢水の風景に

「古の武将もこんな風に漢水を眺めたのかねぇ・・・」

と旅情にひたったのでした。



  
現在も残る襄陽城
しかし、三国志当時の物が残っているわけではなくこの城壁は明代のもの。それ以前のものはこの襄陽がモンゴルの南進を阻む南宋の重要防御地点であったことから最大の激戦地となってしまい徹底的に破壊されたという話も・・・。



襄陽城は現在風景美観地区(だったかな?)として街の整備が行われている・・・らしい。上の画像の街並みもそうした政策の一環として整備された現代の建物が多いのですが雰囲気がいいので良しとしましょう。こうして遠くから見るといいのですが、近くで見るとレンガの壁に灰色と白のペンキを塗っただけでしたので少々がっかりした記憶が・・・。



さて、前日舌鼓を打った小籠包を再び食べた我々は夕暮れまで襄陽城内で過ごした後、再び臥龍飯店へ。
夜十時の列車までホテルロビー前のソファーでのんびりしながら時間をつぶしたのですが、疲れがでたのかメンバーのHさんがダウン。結局皆それぞれ暑さにやられてぐったりしながらだらだらと過ごしたのですがこの時、喉を潤してくれたのが統一牌のレモンティ。この統一牌レモンティには中国にいる間に随分救われました。ちなみに、後年発売されたレモン緑茶は私の中では中国NO.1飲料水です。でも統一は台湾企業だった気が・・・。

さて、十時前にホテルを出て駅に向かった我々は無事に硬臥を確保。
時間通りに洛陽への帰途へと着いたのである。


翌朝、洛陽についたのは早朝の5時過ぎ。
眠い目を擦りながら留学先に戻った私は次の連休の国慶節には五丈原に足を運ぼうと誓ったのである。


終了