青い石の少女  −7−



 翌日、朝食をすませると、アゴルは、みんなより早く宿を出た。
 遅れて、アウインとジーナ達が待ち合わせの場所へ行くと、馬が
四頭、用意されていた。
「あれ、一頭多いよ。イザーク」
 ノリコが聞くと、アゴルが教えてくれた。
「三頭に五人が乗るのは、辛いだろうと思ってな。できるだけ早く
白霧の森へ着きたいし。アウイン、君は馬に乗れるな」
「ああ、大丈夫だ」
「だったら、ジーナをいっしょに乗せてやってくれないか」
「ジーナがよければ、かまわないけど」
  アウインは、ジーナの方を見た。ジーナは、ノリコと手をつない
で歩いている。今日のジーナはその腰帯に、ビーズ細工の丸い小さ
な鏡を下げている。今朝、ジーナが櫛とその鏡を取り出したとき、
アウインは故郷のお守りの真似をして、鏡に紐を通して、ジーナの
腰に下げてやった。
「お父さん、今日はいっしょじゃないの」
 ジーナが父親に尋ねている。
「その方が、馬の負担が軽いから、早く着くよ」
「それなら、いい。アウイン、お願い」
「わかった」
 アウインは、素直に従ったものの、どこか釈然としないものを感
じていた。
「ノリコ」
「はい」
 イザークが一頭の馬の手綱を引いて、ノリコを呼んだ。先に、ノ
リコを馬に乗せ、彼自身も馬に飛び乗る。馬が少し足踏みをしたが、
ノリコは慣れているのか、声ひとつあげない。
 アウインがふたりの様子を眺めている中に、ジーナは、アゴルに
馬に乗せてもらっていた。促されて、アウインは馬の手綱を取ると、
できるだけ静かに馬に跨がった。ジーナは、アウインの頭ひとつ分
小さい。前が見えにくいこともないし、ジーナも馬に乗るのは慣れ
ている様子だった。実際、世界各地を旅しているジーナは、馬に
乗っている時間だけなら、アウインよりはるかに長いのだった。
 アゴルとバラゴがそれぞれの馬に跨がると、一行は、白霧の森へ
進路をとった。
 馬で駆けて行けば、白霧の森へは、半日ほどだ。出発が早いから、
昼過ぎには目的の場所へ着けるだろう。
 道中の先頭は、バラゴが務めた。次にノリコとイザーク、続いて
ジーナとアウイン、最後がアゴルだった。
 先に進むにつれ、アウインには、彼らがかなり旅慣れていること
がわかってきた。東大陸から帰ったきたと言っていたが、どう見て
も商人ではないし、渡り戦士にしては、家族ぐるみというのも変な
話だ。
 しかし、アウインは、そのことをとうとう誰にも聞けなかった。
 一行は、馬を休ませるために数回休憩をとっただけで、それすら
も無駄な話などできない緊張感があった。
 アウインは、少しでも早く白霧の森へ行きたいと思っていたが、
この様子では、昨夜の中にひとりで出発しても、ジーナ達に追いつ
かれていたのではないか、と考えた。彼らも、自分同様、急いてい
るのだ。
 そして、白霧の森を見下ろす、丘の上へ到達したとき、やっとイ
ザークがアウインに声をかけたものだ。
「あれが、白霧の森だ」
 眼下に緑濃い森が広がっている。その森は、遠くに見える山脈の
裾野まで続いていた。
 アウインは、目を見張った。この森の、どこに兄がいるのだろう
か。
「行くぞ」
 イザークの号令に、バラゴが続いた。戸惑っているアウインを、
アゴルが促す。
  一行は、森の中の街道をしばらく進んだが、途中から、イザーク
は茂みの中へ馬を進めた。バラゴは何も言わずに着いていく。
 アウインは、アゴルに聞いてみた。
「どこへ行くんだ」
「昔の集落跡だ。森の中のことは、ノリコが詳しい。心配ない」
  途中、ジーナが、声をあげた。
「変だよ、お父さん」
 ジーナは、しきりと顔を上に向けている。
「森のみんながいない」
「ジーナも?」
 ノリコが身を乗り出して、後ろを向いた。
「お姉ちゃん」
「あたしもなのよ。森に入ってから、イルクに呼びかけているんだ
けど、返事がない。どうしたのかしら」
 アウインは、首を傾げた。
「イルクって?」
 それに、アゴルが答える。
「俺たちが訪ねようと思っている、人物、というか、目的地という
か」
 歯切れが悪い言葉に、アウインは苛立った。
「一体どこへ行くつもりなんだ。おれは、兄を早く見つけなきゃな
らないんだ」
「大丈夫だよ」
  ジーナが、アウインを仰ぐように顔を向けた。
「アウインは会えるよ」
「ジーナ?」
「白霧の森の奥に、朝湯気の木が生えているの。うす紫の葉っぱに、
白い幹をしている、とってもきれいな木なの。あたし達、そこへ行
くのよ」
「そこに、兄がいるのか」
「アウインは会えるよ」
 ジーナは、アウインの問いに答えず、ただにっこりと笑ってみせ
た。
 そのとき、イザークが、後ろに向かって叫んだ。
「バラゴ、来るぞ」
「おう」
 バラゴは、すばやく馬から下りて、剣を鞘から引き抜いた。そし
て、先頭のイザークの馬の前へ走り出る。
 前の茂みから、見知らぬ男が飛び出して来るのが、アウインには
見えた。その男も抜き身の剣を握っている。バラゴが男の正面へ立
ちはだかり、剣を二回ほど振り回した。アウインには、それだけし
か見えなかった。男は、その場にくずおれた。
 キンと、金属のぶつかる音がした。
 アウインが横を向くと、アゴルがいつの間にか馬を下りて、剣を
構えている。アゴルの前には、やはり見知らぬ男がひとり、剣を
持って立っていた。こちらの男はすでにふらついており、アゴルの
当て身に声をあげることもなく倒れた。
 バラゴの声が聞こえた。
「こいつら、盗賊の残党かねえ。飲まず食わずって感じだな」
「おおかた、逃げ出したのはいいが、森の中で迷ったんだろう」
 アゴルが相槌を打つ。
「おい。喋れるか」
 バラゴが、くずおれた男に向かって言っている。
「お前ら、護送中に逃げ出した盗賊だな。なんで、この森にいるん
だ」
 男の掠れた声が聞こえた。
「グゼナへ……抜けようと……」
「で、道に迷ったのか」
「そうだ」
「なぜ、オレたちを襲ったんだ」
「……水と、馬を……」
「そりゃあ、運がなかったなあ」
 バラゴが、イザークの方を見ながら、頭を掻いた。
「どうするよ」
「逃げたのは、お前たちだけか」
 イザークが馬上から詰問する。
「ち、違う。もうひとり……」
 バラゴが大声をあげた。
「いるのか」
「ああ。でも、はぐれた」
  バラゴが、イザークに向かって言った。
「イザーク、先に行けよ。オレ達は、こいつらを縛って、後から追
いかけるからよ」
「ああ。任せる。この先の集落で待っててくれ。イルクの様子を先
に見てくるから。アウイン、行こう」
 アウインは、アゴルの顔を見た。
「ジーナを頼むよ」
  アゴルは、アウインとジーナに手を振った。
「お父さん、気をつけてね」
「ああ。ジーナもな」
 親子の交わす言葉を聞いて、アウインは馬の腹を蹴った。イザー
クの後ろに遅れないようついていく。
「先刻も、イルクって言ったな」
 アウインは、揺れる馬上で、ジーナに話しかけた。
「うん。イルクツーレという名の、朝湯気の木の精霊なの」
「精霊?」
「この森を守っているのよ。でも、様子がおかしいわ。お姉ちゃん
と仲良しで、森の中で呼べば、いつもすぐ来てくれたのに。やっぱ
り、何かあるのよ」
 急に、目の前が開けた。
 無人の集落跡だ。崩れかけた家々の前を、二頭の馬は駆け抜けた。
 再び、茂みの中に入り、奥へ突き進む。
 どれくらい進んだのだろうか。
 アウインには、まわりの樹々が、白っぽく光っているように見え
てきた。だんだんと木がまばらになり、青空がのぞけるところまで
来ると、アウインは、その光景に息を呑んだ。
 目の前に、うす紫の葉を繁らせた、大きな木が立っている。幹が
透けるように白い。
 アウインが言葉をなくしていると、ノリコとイザークは馬から下
りて、朝湯気の木の方へ近づいていく。すると、ノリコの目の前に、
うすい色彩の少年が現れた。銀色の髪にすみれ色の瞳を持つ、その
少年は、宙に浮かび、体が透けていた。
……ノリコ、よく来てくれたね……
 まわりに、風のような声が響く。
「イルク、どうしたの。何かあったの」
 ノリコが、不安そうに尋ねている。
 彼が朝湯気の木の精霊か、と、得心がいったとき、アウインの耳
に、精霊の緊迫した声が聞こえた。
……気をつけて、ノリコ。気配を消すのが上手い人間が、森に入り込
んだんだ。森のみんなに探してもらっているんだけど、今もどこに
いるのか、わからない。盗賊のようなんだよ。それから、男の人が、
倒れていたんだ。ほら、あっちの方に。拳より大きな青い石を持っ
ていて、とても衰弱している……
 アウインは、これを聞くと、馬から飛び下りて駆けだした。
……だめだ、近づいたら……
 精霊の声が聞こえたが、アウインはかまわず走った。草地のはず
れに、男が横たわっているのが見える。くすんだ亜麻色の髪の毛に、
アウインは見覚えがあった。
「兄さん」
 アウインが呼びかけると、男の胸から青い石が浮かび上がった。
青い光を発したかと思うと、アウインは、見えない何かに弾かれて、
尻餅をついた。



(C) 飛鳥 2003.7.16

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