青い石の少女  −2−



 しばらくして、バラゴが、部屋に呼びにきた。
「ジーナ、アゴル。宿の食堂に来てくれよ」
 アゴルが怪訝な顔でバラゴを見ると、彼は頭を掻いた。
「いやな、宿のかみさんがさ、みんなで話すんなら広いとこがいい
だろうって、食堂の隅っこを貸してくれたんだよ。イザークの奴も、
ちょいといい酒を手に入れたからって」
 そう言って、バラゴは、アゴルに目配せをする。
 ジーナは、そんなバラゴの楽しそうな気色を感じて、父親の手を
握りしめた。
「お父さん、いこうよ」
 もちろん、アゴルにも否やはない。
「そうしよう。ジーナ、バラゴと先に行ってなさい。お父さんは、
部屋の戸締りをしていくから。バラゴ、頼むよ」
「おうよ。ジーナ」
 バラゴは、アゴルからジーナの華奢な手をあずかると、ゆっくり
と歩きだした。
「バラゴさん、ありがとう」
「はは。ジーナに『ありがとう』って言われると照れるなあ」
 ジーナは感じていた。バラゴさんは、その細い目が見えなくなる
ほどクシャクシャの顔をして笑っているだろう。この先に、きっと
余程楽しいことが待っているにちがいない。何だろう。
 食堂の前で、アゴルがジーナに追いついた。バラゴからジーナの
手を返してもらい、アゴルが先に立って食堂へ入っていく。奥の
テーブルに、ノリコとイザークが待っていた。
「ジーナ、待ってたよ」
 長椅子に腰掛けたジーナの右横に、ノリコが坐った。アゴルは
ジーナの左隣に、イザークとバラゴは向かいの椅子にそれぞれ腰掛
けた。
「なあに。みんな、とっても楽しそう」
 ジーナは、自然と笑みをこぼした。
「あ、わかる?」
 ノリコの声がはずんでいる。
「実はね、これから、ジーナのお誕生日のお祝いをしようと思うの。
本当はお部屋でと思ってたんだけど、宿のおかみさんがお菓子の残
りを分けてくれるって。ここも使っていいって言ってくれたから」
「誕生日?」
 ジーナは、首をかしげた。うれしくない訳ではない。ただ、日に
ちが少し早いのだ。
 ノリコが言った。
「だって、明日は、ザーゴ国の宮殿にいるジェイダさん達に会いに
行くでしょう。そうすると、ジーナの本当のお誕生日にちゃんとお
祝いしてあげられないじゃない。だから、早めにと思って」
 そこへ、香ばしい匂いが近づいてきた。
「はい、お嬢さんへのお祝いだよ」
 宿のおかみが、籠にいっぱいの焼き菓子を運んできてくれた。人
数分のコップも、一緒にテーブルへ置く。
「少し、温めたよ。いい香りがするだろう」
 ジーナは、大きく息を吸い込んだ。
「ほんと、おいしそう。どうもありがとう」
 ジーナが礼を言うと、おかみは少し俯いて笑って、黙ったまま下
がって行った。
 ノリコは、焼き菓子の籠を、ジーナの目の前に置きなおした。
「さあ、どうぞ」
「うん」
 ジーナは手を伸ばして、菓子を一つ取る。それを見届けてから、
ノリコも一つ菓子を取った。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
 ノリコが言うと、ジーナも真似をした。ふたりして菓子を頬張る。
「おいしーい」
 ふたりの声が唱和した。
「女ってのは、甘いもんが好きだよな」
 バラゴがあきれたように言う。
「いいじゃないか。ジーナが喜んでくれるなら、お父さんは菓子を
いくらでも買ってやるぞ」
 アゴルが、やさしい声で言った。
 そこへ、イザークがくすくす笑いながら話しだす。
「ノリコ、何か言い忘れていないか」
「え?」
 言われて、ノリコの顔が真っ赤になった。ジーナの方へ向き直る。
「ジーナ、12歳のお誕生日、おめでとう」
 そして、ジーナは次々に仲間たちから、お祝いの言葉をもらう。
「どうもありがとう」
 ジーナは、微笑み返した。
「贈り物は、まだあるんだぜ」
 バラゴが言うと、イザークがテーブルの下から、一本のビンを取
り出した。
「これは、バラゴとおれからだ」
 それは、桜桃酒だった。酒といっても風味だけで、アルコール分
はほとんどない。
「おいおい、イザーク。酒を買ったって、それのことか」
 バラゴが不満そうに声をあげる。
「ジーナに飲んでもらおうと思って、選んだんだ」
「いい酒を買ったっていうから、オレはてっきり」
「酒なら、夕食の時に飲んだだろう」
 イザークがさっさと栓を開けて、コップに桜桃酒を注ぎ分けた。
ふんわりと、甘酸っぱい匂いがする。
「飲んでごらん」
 イザークが手渡してくれるコップを、ジーナはしっかりと受け
取った。顔に近づけると、かすかに酒の匂いがする。おそるおそる
口をつけてみると、さっぱりとした甘味を感じた。
「……」
 ジーナは、コップを持ってじっとしていた。
 気に入らないのかと心配になったイザークは、ジーナの顔を覗き
込む。
「ジーナ、まずいか」
 ジーナは、びっくりしたように、顔をあげた。
「ちがうの。とってもおいしい。おいしくてびっくりしたの。だっ
て、お酒って、へんな臭いがして苦そうだなって思ってたから」
「あはは。確かにそうだよね」
 ノリコが笑いだした。
「へんな臭いはねえよなあ」
 バラゴが唸っている。
「これは、酒の飲めない女性用に特別に作られたそうだ。アルコー
ルは入っていないから、ジーナが飲んでも大丈夫だ」
 イザークが安心したように笑った。
「それにしても、甘いな」
 アゴルが、自分の分の桜桃酒を飲んで、つぶやいた。アゴルも甘
いものは決して嫌いではなかったが、酒の匂いがするのに甘いと、
飲みにくいらしい。
「お父さん、がんばって。今日はあたしのお誕生日のお祝いなんだ
から、残しちゃだめ」
「わ、わかった」
 微笑ましい親子の会話を聞いて、ノリコとイザークはうなずきあ
う。ひとり、目のやりどころに困ったバラゴは、なめるように桜桃
酒を口にした。
 それぞれ桜桃酒を楽しんだところで、次は、ノリコとアゴルの贈
り物を披露することになった。
「まずはこれ、新しい櫛だよ」
 ノリコは、市で選んできた櫛を、ジーナの手に握らせた。細かな
彫り物の細工が、手に心地よいものだった。
「わあ、ありがとう。お姉ちゃん。お父さん」
「今まで使っていた櫛は、だいぶ古くなってなものな。よかったな、
ジーナ」
 うんうんと、ジーナがうなずく。
「それから、こっちは」
 ノリコは、てのひらに乗る、小さな丸い鏡を取り出した。
「鏡なんだ。裏にビーズ細工が施してあってね、お守りになるん
だって」
 ノリコは、ジーナに鏡を渡そうとした。しかし、ジーナは両手で
新しい櫛を握りしめているので、渡せない。
 戸惑うノリコの気配を察すると、ジーナは顔を赤らめた。櫛を
テーブルにおいて、ノリコの方へ手を伸ばす。
 少しのためらいのあと、ノリコはジーナの手に鏡を乗せた。
 ジーナは、それを両手で挟むように持ち直した。こうすると、大
きさの違うビーズが裏一面に並んでいる感じがわかる。ジーナの脳
裏に、キラキラと光が反射する様子が浮かんできた。
 ジーナは思わず、にっこりとする。
「とってもきれい。ありがとう。これ、宝物にする」
 ちいさな鏡を胸に抱きしめて、ジーナは言った。
 その言葉に、ノリコは安堵の溜め息をもらす。
 それから、しばしの歓談のあと、イザークがみんなに聞こえるよ
うに、ノリコに語りかける。
「もうひとつ、あるだろう。そろそろ出したらどうだ」
 ノリコの緊張が、ジーナにもわかった。アゴルもバラゴも、何事
かとノリコを見る。
「やだ、そんな。たいしたものじゃないのよ」
 ノリコはあわてて言った。
「もう、イザークったら」
「せっかく作ったんじゃないか」
 イザークが笑いながら、ノリコを見ている。
 その場にいる者全員の視線を集めてしまい、ノリコはうろたえた
が、深呼吸をひとつしたあとに、ポケットから巾着を取り出した。
それは、手のひらよりも一回り小さくて、光沢のある、深い藍色の
やわらかな布でできていた。
「そのう、市できれいな端切れを見つけて。ジーナの守り石の袋に
どうかなって思って。宿のお部屋で急いで縫ったから、縫い目、ヨ
レヨレなんだけど」
 そう言いながら、ノリコは、ジーナの目の前に、巾着を差し出し
た。
 もともと、ノリコは、あまり裁縫が得意ではない。しかも、短い
時間で急いで縫ったから、お世辞にも上手に仕上がっているとは言
いがたい。それでも、そのやわらかな袋を見ていると、穏やかな気
持ちがこみ上げてくるのだった。
 ジーナは、首から巾着をはずすと、中から青い石を取り出した。
古い袋は、アゴルにあずけた。そして、ノリコの手に自分の手を重
ねて巾着を取り上げると、青い石をその中にしまい、そのまま首に
架けた。新しい巾着は、こうしてジーナの一部になった。
 ジーナは顔をあげて、今日何度目かの言葉をノリコに告げる。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
  ノリコは、照れて笑った。イザークと目があうと、子どものよう
にはにかんでいる。
 いいな、と、ジーナは思った。
  ジーナは、そっと胸の巾着に手を添える。
 ひとつ、またひとつと、大切なものが増えていく。こんなすてき
な日が、これから毎日続くようにと、ジーナは祈った。
  そのとき、ジーナの頭の中に、一本の木が浮かび上がった。うす
紫の葉っぱに、白い幹。それは、白霧の森にあるはずの朝湯気の木
だった。木の根元には、男が立っていた。そして、もうひとり、向
かい合うように、細身の剣士が立っている。
 ジーナの体が、強張った。



(C) 飛鳥 2003.7.16.

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