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童話 天上の宮  (一)





 すねちゃったイワンのために……



 ある穏やかな日のギルモア邸に、小包がひとつ届きました。
「イワン宛だよ」
 包みを確かめたジョーが、イワンを呼びました。
 フランソワーズの腕の中で、イワンが手を叩きます。
(頼んでいた本だね。はやく読んで)
 それは、小さなキューピットの物語です。



 天上の花園に、竪琴の音が響きます。
  花たちは風にそよぐのを止め、小鳥たちは東家の屋根に、その翼
を休めます。
  少しはなれた小さな窪みに腰をおろしているのは、女神フランソ
ワーズです。美しい女人の姿と、長い亜麻色の髪を持つ、天上界で
最も麗しい女神です。彼女は、その手に竪琴を持ち、たおやかな調
べを奏でます。
 花々は、フランソワーズを囲んで誇らしげに咲き誇り、甘い匂い
をはなちました。
 それに誘われるように、一人のキューピットがそっと、花の影か
ら頭を出しました。小さな羽をふるわせている、小さな彼の名前は、
キューピット=イワン。銀色の髪に、ふっくらとした顔だちの男の
子です。
 イワンは静かに、女神フランソワーズを見つめ、その背中の羽を
調べにあわせて動かしました。蝶のように、白鷺のように、羽は躍
ります。
 天上界で羽を持つものは、天使に限られています。それは、天上
神ギルモアより与えられた、役目の為です。天使は、その羽を用い
て、天上界と地上界を行き来します。
 キューピットは、天使の中でも、重要な役目を仰せつかっていま
した。
 生きとし生けるものはすべて、愛に生まれ愛に生き、愛に包まれ
て天寿を全うします。それを見守るのが、キューピットの役目でし
た。
 特に、若い見習いのキューピットは、愛の矢で以て恋人たちの仲
を取り持ちます。徐々に経験を積むに至って、やがては弓矢を必要
とせずとも、命あるものの生を司ることが出来るようになりますが、
この物語に登場する、キューピット=イワンはまだ見習いのキュー
ピットでした。
 でも、今日のイワンは、弓矢を持っていません。どうしたので
しょう。
 そこへ、もう一人、年若いキューピットがやってきました。赤い
髪を持ち、子どもにしては少々高い鼻が目立つ男の子でした。彼は、
キューピット=ジェット。弓矢を二揃い、抱えています。
「イワン。やっと見つけたぞ。自分の分は自分で持てよ」
「やあ、ジェット、大変そうだね」
 イワンがすまして答えます。
「お前のせいだ」
 ジェットが、弓をイワンに押しつけました。
 イワンが、しーっと、口に指をあてて言いました。
「静かにしてよ。フランソワーズの音楽が聞こえない」
「おっと、悪い」
 ジェットは、頭を低くして、花園の中央を望みました。
 そこには、花々に埋もれるようにして坐り、竪琴を一心に奏でて
いる、女神フランソワーズの姿がありました。
「今日もお美しいなあ」
 ジェットが感嘆の言葉を紡ぎます。
「天上神ギルモアの娘御にして、花の女神に相応しいお姿。あこが
れるよなあ」
「そうだね」
 イワンも相槌を打ちますが、その声は小さなものでした。
 ジェットは、ちらとイワンの顔を見ましたが、構わずに続けまし
た。
「そういえば、東家はまだ空っぽなのか」
「うん」
 言われて目を向ければ、屋根に日を遮られて薄暗い中に、椅子の
形が黒く浮かんで見えました。
「まだ、大天使は、お見えじゃない」
 ジェットは聞くなり、首を引っ込めました。
「イワンも隠れてろ。先にフランソワーズを見ていたことがばれた
ら、怒られるぞ。見かけによらず、嫉妬深いというからな」
「そんなことないよ。ぼく、一度も怒られたことないもん」
 イワンが言います。
「それを言うなら、おれたち、声をかけられたことすらないだろ
う」
「ぼくたち、まだ見習いだから」
 二人のキューピットは、しゅんと下を向いてしまいました。
 何百人、何千人といる天使の中で、大天使の称号を持つものは、
ほんの一握りです。大天使は、神の座近くにすまい、神を守り神を
補佐するものです。また、天上界や地上界を荒らす怪物と戦う、天
使軍の指揮官でもあります。そのため、一人の大天使があずかる責
務は膨大です。神や女神のように、いつも天上界にいるとは限りま
せん。
 でも、一人の大天使だけは、日に一度、必ずこの花園にやって来
ました。その時は決まって、女神フランソワーズが竪琴を奏でると
きです。
 空が、金色に輝きました。
 天空から、大きな金色の羽を広げた天使が、舞い降りて来ました。
大天使ジョーです。腰には、真理の剣を帯びています。彼は、天上
神ギルモアから特別に、金色の羽を背負うことと、真理の剣の所持
を許されているのです。金茶色の髪の毛に、赤茶色の瞳のジョーの
姿は、とても凛々しいものでした。
 花園に降り立った大天使ジョーは、真っ直ぐに東家に入り、椅子
に腰掛けました。それはちょうど、女神フランソワーズに背を向け
た恰好です。そして、静かに竪琴の調べに耳を傾けるのでした。
 すると、竪琴の音は、さらに素晴らしく軽やかに流れていきます。
女神フランソワーズは、ジョーの背を見つめながら、竪琴を奏でつ
づけます。
 一時の後、ジョーは立ち上がると、フランソワーズの方を振り返
りもせずに、天空へ飛び立ちました。
 残されたフランソワーズは、ジョーの姿が見えなくなるまで竪琴
を奏でつづけました。そして、彼の姿を見送ると、その場に静かな
風を残して、花園から姿を消しました。女神の宮に戻られたのです。
 花の影からのぞいていた、二人の小さなキューピットは、そっと
顔を見合わせました。
「ジョーは、今日もフランソワーズに話しかけなかったね」
 イワンが言います。
「じれったいよな。ばればれなのに」
 ジェットも言います。
「ねえ、ジェット」
「なあ、イワン」
 二人は、同時に言いました。
「キューピットの矢を放っちゃおうか」
 途端に、二人の後ろで風が鳴りました。イワンもジェットも、後
ろから羽をつままれて、宙に浮かびました。
 二人が恐る恐る顔を上げると、果して、目の前に、見習いキュー
ピット達の先生、ピュンマが白い羽を広げて立っていました。
「君達、また授業をさぼったね。ジェロニモ先生がカンカンだよ」
 イワンとジェットは、身を強張らせました。
 二人にも、よくわかっているのです。今、羽をつまんでいるのは、
ジェロニモに違いありません。
「ゴ、ゴメンナサイ」
 二人は、手足をじたばたさせて、あやまりました。
「それに」
 と、ピュンマがつづけます。
「天使に、恋の矢を打っても無駄だよ。天上界のものには通じない
と、何度も教えただろう。ましてや、女神に矢をむけるなんて、そ
んなこと」
 やってはいけない、と、ピュンマは二人を睨みました。
「さあ、帰ってジェロニモ先生の補習だ。みっちりやってもらわな
くては」
 二人の不平の声は、風の音にかき消されてしまいました。




 
                    童話 天上の宮(一)(C) 飛鳥  2003.10.12

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