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スカウト活動を始めた頃

 

 スカウト活動を始めたのは、息子の善也がカブスカウトに入り、母親か、父親のいずれかが世話役として奉仕することを半ば強制的に求められてからである。小学校の3年の時だから、36才の時かと思う。自分が小学校5年の時に、担任の先生であった荻野先生が、ボーイスカウトの話をよくしてくれた。”一日一善”とか、”It's a rule.”と言ったボーイスカウトの精神をことある事に話していた。”みんなで決めたことは必ず守ろう”と言うのだ。規則を守るのに理由は要らない。それはもともと規則なのだから”と言うのだ。子供心にどれだけ理解していたかはさだかではないが、この言葉がとても印象的で、それ以来、スカウトについては漠然と憧れのようなものを持っていた。そんな気持ちがあったから、自分の子供がそのチャンスを与えられたら是非やらせてみたいと考えていた。そして、自分もデンダットという小グループの世話役を一年の間引き受けることにした。

 この時は月に一度程度の集会に、小3〜小5の子供達につきあって、ゲームをしたり、キャンプに行ったり、冬は歳末の街頭募金に立ったり、スケートをしたりという奉仕活動であった。

 カブスカウトには、リーダーの他、育成会という支援グループがして、初めての、しかも、一年だけの参加であったし、大した活動もしなかった。

 二度目にスカウトの世話をするようになったのは、それから4年経ち、善也がボーイスカウトになって活動していたときである。この頃になると四街道も住人が増え、隊員が多くなり過ぎ、スカウト活動も一団で行動するには、何かと支障をきたすことが多く、連盟の規定にしたがって分団した直後であった。

 ボーイスカウトの組織は、百年の歴史があるだけに大変うまくできている。もともとが、軍隊の下部組織であっただけに、集団が最も公立的に活動できるように、組織の単位、隊員の役割が明確にされているのだ。活動の単位となっているのは、団であり、団の構成は、ボーイの場合だと4つの班となっている。通常はこの班のなかに8人の隊員がいる。小6から中3まで、各学年に2名ずつがおり、スカウトのクラスは、見習いから始まり、初級スカウト、2級スカウト、1級スカウトとなっている。各スカウトとも訓練によって様々な技能を身につけ、そのレベルに従ってランクづけされている。特に優れているスカウトには、県連のほうから菊スカウトの認定が与えられ、これは大変名誉のあるスカウトと言うことになる。上のスカウトはしたのスカウトの面倒を見ることになっており、こうして人は変わっても前の技能が毎年毎年少しずつ改良されて次のスカウトに受け継がれていく。こうして、隊は恒久化することなく変化していくが、そこには、自然としっかりとした伝統が生まれている。このことは人を育てると言う上では非常に大切なことで、一人のスカウトがあるレベルで優秀であるからといつまでも、その地位に甘んじていれば、本人自信も進歩しないし、次の世代にも育たない。このため、スカウトではこうした班制度で、しっかりと組織の中の役割分担を明確にすると共に、進歩制度というものがあって、各個々人が目標をもって技能を身につける制度が出来ている。

 生活の知恵とも言うべき、基本的な技能、例えば、ロープを使った縄結びの技術、ほん結び、もやい結び、てこ結び、巻き結びなど、こうしたものは実生活のうえでも大いに役立っている。この他にも、救急法や、地図の読み方、手旗信号、モールス信号、野草料理、野外生活、キャンプの仕方、地域の歴史の勉強など、基本的なことを学ぶ。個人の努力に対して、隊員みんなで、この努力を認め、みんなの前で表彰することになっている。

 さらに、専門的な技術を身につけると技能章と言うのが貰える。この名誉ある章は、かなり本格的な知識と訓練が必要で、継続的な努力と、厳しい審査にパスして初めて貰えるものである。技能の目標は自活自営できる程度と非常に高く、ボーイスカウトで取るのはなかなか大変であり、普通は彼らよりワンランク上のシニアスカウトがこれを目指して努力している。

 このシニアスカウトの最終目標は富士スカウトだ。技能ばかりではなく、人間的にも、世の中の指導者樽にふさわしいと認められなくてはならない。富士スカウトになれるのは毎年各県で1〜2名と聞いている。晴れて、富士スカウトになると天皇陛下の主催の昼餐会に招待されると言う。大変名誉あるスカウトとなる。

 こうしてスカウトの目標は延々と続いているが、それぞれの隊員は、いつでもすぐ目の前の目標があり、これに向かって各人が絶えず努力している。

 ボーイスカウトは本人の技能のレベルの評価とともに、それ以上にその努力を評価するようにしている。こうして各隊員の活動はイキイキとしてくる。しかし、実を言うとこれを指導する側からすると隊員以上の努力と労力が必要で、これをボランティアでやるのだからたいへんだ。

 

 スカウトを途中で止める子がいる。勉強が忙しくなり、クラブで疲れて、スカウトどころではないと言うことのようだ。しかし、本当の所どんなに忙しくてもスカウトは続けた方が得だと思う。何も年がら年中出る必要はない。それよりもカブからボーイの初めの頃までみんなと一緒にキャンプをし、料理を作ったり、ロープワークをしたり、いろいろと面倒を見て貰ったのだから、今度はそれをみんなに教えるよう頑張って貰いたい。人に教えることほど自分のためになることはない。

 親もまたいい加減なものだ。人手のかかる頃はさんざんスカウトにいれて面倒を掛けていながら、人手がかからなくなったらポイと止めてしまうのだから。

  それにしても、中学生がクラブで縛られ過ぎているようだ。普段の日は当然のことながら、毎週毎週土曜、日曜と練習、練習、対外試合と詰まっている。子どもに自由な時間を与えると素行が悪くなるとの発想で、とにかく、学校に縛り付けておけば不良にならなくて済むと言うのだそうだ。これが現在の義務教育の姿かと思うと情けなくなる。むしろ、積極的に子どもに好きなことをやらせて、その中で社会的に受け入れられるものとそうでないものとの区別が出来るように指導してやるのが本当の教育の姿かと思うのであるが。そんなことを言っても、それの出来る先生がいないのだから、教育も地に落ちたものだ。とにかく、先生のレベルを上げることが、国家百年の計の基本であると思う。せめてボーイで好きにのやらせてあげたいと言うのが、今の偽らざる心境である。

 

 スカウト活動のこと

  スカウトのリーダーとして数年の経験をしたが、とにかく、この間は自分でも時間がいくらあっても足りない毎日であった。スカウトの活動は実にスケジュールがしっかりしている。オリンピックと同じで4年に一度、世界ジャンボリーが開かれる。この世界ジャンボリーを目指してそれぞれのスカウトが長い時間をかけて自分のスカウトとしての技能を磨き、訓練をする。そのために、世界ジャンボリーの開かれる前の年には、日本ジャンボリーが開かれる。だから日本ジャンボリーも4年に一度と言うことになる。さらに、この日本ジャンボリーの参加するスカウトを訓練するために、更にその前の年に、各県で県キャンポリーと言うのを開催する。日本ジャンボリーには、4万人強のスカウトが全国から集まり、盛大な祭典を催す。一方、県キャンポリーも2〜3,000人のスカウトが県下から集合して、各地区間で友好を深める。更に、この県キャンの前の年には、地区毎のキャンポリーが開かれる。県下のだいたい4〜5の市のスカウトが集まったキャンプで、このキャンプも規模は小さいながら、殆、日本ジャンボリー並のスケジュールが組まれる。この様に、スカウト活動はあくまで世界ジャンボリーに参加することを目標としてプログラムが組まれているが、しかしながら、その世界ジャンボリーが開催される年が既に決まっているために、これに参加できるチャンスを持つスカウトは、参加するための技術の習得が必要であるために、自づと入ったときに限定されてしまう。

 とは言いながらも、多くのスカウトが息長く、自分の技能を努力して習得しようとするのは、スカウトの指導要領が非常にうまくできているからだと思う。たとえば、スカウトの指導では、班と褒賞と言うのがあって、長い歴史の中で築き上げられた制度がある。

 班とは、自分達の仲間であり、一つの班には、必ず、同じ年齢のスカウトが2名いることになっている。お互いが助け合い、補いあって、班の中での責任を果たし、また、お互いがライバルとして、競争しながら自分の技能を習得する。こうしたペアが、4組で一つの班を形成する。班の中にはそれぞれの技能、レベルに応じた役割が各メンバーに課せられる。この技能は、いつでも先輩から後輩に

受け継がれ、後輩はその技能の習得のレベルにしたがって、様々な資格が与えられる。

 技能の習得に秀でたものは、その努力に対して、県のレベルでの優秀スカウトとしての認定、さらに優秀なスカウトには、日本レベルでの優秀スカウトの認定がある。このスカウトは富士スカウトと呼ばれ、たいへんに名誉あるスカウトとなる。毎年、新しく富士スカウトに認められた優秀スカウトに対して、天皇陛下から午餐会への招待がある。これは、昭和天皇が日本ボーイスカウトの生みの親であるところによるものである。

  県レベルの場合には、県知事からのご招待がある。こうした、日本レベル、県レベルの優秀スカウトは特別ではあるが、各スカウトは、これらの名誉あるスカウトを目指して、日頃の訓練に励む。その訓練での努力に対しては、技能章、特修章なる認定証を県のレベル、あるいは、自分達の仲間のレベルで発行し、みんなで讃えることになっている。これが、スカウトの褒賞制度である。

  こうしてみると、スカウト組織と言うのは、たいへん立派な組織論のもとに成り立っていることが分かる。効率よく、活動するために、技能の伝承が永遠に続くために、組織がその任務を支障なく遂行するために、などなど、あらゆる角度から考察して、まことにうまくできた組織だと思う。多分、新しい組織を作るときとノウハウがすべて含まれていると言っても過言ではないであろう。だから、今は、具体的な利用をするチャンスはないが、将来、自分で新しい組織の構築が必要になったような時には、スカウトのこうした組織論がたいへん役に立つものと確信している。

ボーイスカウトとは 

  スカウトリーダーとして学んだこと

 

  スカウトのリーダーを一般的には奉仕活動ととらえている人が多い。確かに、子供達と一緒になって野外活動をしているときは、何の報酬もないのに、大人が一生懸命になっている姿を端からみているとそんな風にしか見えないのかも知れない。しかし、これまでにも書いたように、スカウトのリーダー、すなわち、子供達をスカウティングすると言うことは、我々凡人にとっては非常にたいへんなことなのである。それこそ、大人が真剣になって物事を考えていかなければ、ベーデェン・パウエルが思いを描いていたようなものはなに一つ出来ないのではないかと思う。それだけに、子供達と接するときは、こちらが真剣そのものでなくてはならないし、子供達の心情をよくよく考えた行動を取らなければならない。

 スカウト活動を通して子供達に少しでも彼らの将来のために役に立つものをと思い、あれこれ自分で努力したつもりではあったが、それがどれだけ彼らのために役立ったかはまだ結論がでていないが、何をするにしても自分が、彼らのレベルに少しでも近いところで物事を考え、そして、必至になって真剣に努力したことは、子供達も少しは理解してくれたろうし、それが、何等かの形で残っていることが非常に自分のためになっている。

 スカウティングするために、まず、自分が学ばなくてはいけないし、また、どんな新しいことでも、自分がその気になりさえすれば、努力次第で何とかなるものだと言うことをずいぶん経験した。モールス信号がそうであるし、手旗を覚えたのも子供達と一緒にやったからだ。ロープ結び、星座、彫刻、尺八作りなどなど、教えるつもりでやったことが、ついつい自分の趣味となっている。

 こうして、考えてみると、スカウティングは子供達のためより、何よりも自分のためであることがよく分かる。教えるつもりで、随分といろいろなことを勉強させて貰ったスカウト活動を、ほんとうに、心底、”やって良かった”と思わずにはいられない。

 ボーイスカウト活動って

 リバモアの石灯篭

   ハイ-アドベンチャー-トリップ

  活動記録

 

    昭和  55

            デンダットとしてスカウト活動に参加

     昭和 60年   ボーイ隊の副長として           

                    研修所 BS千葉第23期

     昭和 61                ニホンジャンボリー  宮城蔵王

                    山中キャンプ

   昭和 62      日米合同キャンプ  日光

                     ライスさん夫妻がホームステイ

  昭和 63年    ボーイ隊隊長

                    地区キャンポリー 清宮グランド

        6310          リバモア訪問

                    石灯篭を建てる

     昭和 64      県キャンポリー    本埜村

    平成 元年      富士登山

     平成   2     シニア隊隊長

                   移動キャンプ  新島・式根島・神津島

                      〃    佐渡島

                   日本ジャンボリー  妙高高原  

    平成  3     アメリカキャンプ

                    カールソン氷河で HIGH ADVENTURE TRIP