当報告書のいきさつ (紹介文 鈴木 誠二訳)
はしがき
Robert
R. Archibald
President,
President, National Council of the Lewis & Clark Bicentennial
私は、12年間、モンタナに住んでいました。そこは、LewisとClarkがルイジアナ地方から出発し、足跡を残した州としては他のどの州よりも長い距離を旅した州でした。ですから、わたしは、1806年の春に、モンタナの西の州境近くにあるBitterrootの山々に遅い雪解けが訪れるのを探検隊が待っていた時の、William
Clarkのじれったさの気持ちを理解することができるのです。5月の遅く、Clarkは、凍りついた壮観が頂上から麓までひろがっている、これらの身のすくむような山々を越える最も有利なルートに居住しているNez
Perce族と討議をした。一人のNez
Perce族の男が、モンタナーアイダホの州境からの地図を描いた。それは、これまでに白人が描いたどんな地図とも似ても似つかないものであった。その地図は、インディアンが自分達の世界観から描いたもので、必ずしも詳細な地形図というものではなく、また、距離も正確というものではなかった。これは、彼らの歴史とか体験に基づいた生活に役立つ情報を解説するもので、世代と世代とを結びつける図表であり、そうした継承に基づいた説明書のようなものなのだ。そして、それはそこに住んでいる人や探検をする人たちが、そこにある丘の南側の草が何時ごろ緑に芽生えてくるのかとか、川のどちら側の道が今の不安定なものより都合のいい通路であるかなどを知る上で、非常に実用的なものであった。
私が最初のこの突拍子もない地図を見たとき、私はLewisとClarkの探検隊はさまざまな調査していたのでということに気づき始めた。東の方に行ったり、西に行ったり;これまで通ってきた道を戻ったり、われわれの過去であり、現在の一部となっている当時の未来に彷徨ったり;LewisとClark、そして、日誌を書き続けた他の隊員たちの観点を通して、そして、そこの原住民の世界観を通しての、探検隊が、いわゆる、何もない荒涼とした大地にもたらしたものと同じように探検隊に沢山の変化をもたらしたある一つの展望に気づいた。
LewisとClarkの探検隊は、21世紀にいるわれわれに、失われたパラダイスを再発見するという典型的なアメリカンドリームの蒸発とも言うべき、まさしくわれわれ自身の大叙事詩となって引き継がれているのである。事実、発見のための冒険は、生まれたばかりの合衆国に、それまでアレゲニー山脈の東側に住んでいたアメリカ人たちが、無毛の大地の代名詞のように考えていたところに、初めて注目の目を注がせたのだ。Thomas
Jeffersonは、彼の書いた指示書のなかで、LewisとClarkの派遣団の意図を実に明解に述べている。Lewisは、“この大陸を横断する実用的な水系”を見つけるつもりで、他の項目とともに、“その地域の名前や彼らの人口;彼らの領土の広がりとその境界;部族間同士の御互いの関係;彼らの話す言葉、伝統、遺跡;かれらの通常の生活手段”などについて学ぶつもりでいた。
Jeffersonや、他の多くの人達も知っていたように、ミシシッピー川の彼方の土地には別の人々が住んでいた。バージニアのブルー・リッジの山々の遥か西をJeffersonが眺めているその一方で、アメリカ人がルイジアナ領域と呼んでいた地域に、古代の先祖から、長い世代の間、延々とそこに住んでいたインディアン達は、東のほうをずっと見ていたのであった。Jeffersonは、統治するという彼の夢があったが、しかし、インディアンではないアメリカ人は、別の展望を推進しようとしていた。それは、彼ら自信のものとは非常に異なるけれども、しかし、合衆国がLewisとClark、そして、他のメンバーに任務を託したという派遣団には欠くことのできない世界観であった。
アメリカ合衆国が領土を主張した土地に住むインディアンの良心と支援がなければ、例え、LewisとClarkの探検隊の屈強な男達であっても、生存して帰還することはできなかったに違いない。今日のアメリカ人たちは、LewisとClarkの発見を、すなわち、“外国人”としての人々、彼らの伝統、そして、彼らの世界観が、少なくとも、われわれ自身の身近な、そして、局所的な視点となんら変わらない価値と重要性を持つものであるという発見の別の一面として、異なった文化の出会いを研究することができるし、また、それをしなくてはならない。LewisとClarkは、彼らの旅の早期の段階で、この概念に気がついていた。すでに200年の歳月を経ているが、しかし、その歳月は、われわれが今の時代に、そして、これからの時代へと引き継いでいくことのできるその分別を決して希釈するものではない。
LewisとClarkの探検、そして、その大事業、また、それに続いておこってきた様々なものが、まさしく、アメリカの歴史を変えたのである。しかし、この探検についての解説と、その偉大なる大冒険の圧倒的な評判は、比較的最近になって注目されたものである。1836年にWilliam
Grimshawの合衆国の歴史という本が、このLewisとClarkの探検について、2ページに渡って紹介していた。彼の記述によれば、熊は野生の敵が殺されるほど危険であった。インディアンは野蛮で、彼らの習慣は好戦的でこっけいであるか、あるいは、好色的でみだらであるかのどちらかだった。Grimshawはその野生的なものの中にある生まれつきの価値をなんら理解していなかった。探検隊の最も大事な成功の意味は、ルイジアナ買収によってアメリカの領地となった地域の、商業、ならびに、農産業の将来性について集められた情報にあつた。Grimshawが書いたのは、アメリカの第一次産業革命に伴っておこった経済的な大発展の中に根付いた、国家的な楽観主義の旺盛なときであつた。その時代は、自然に存在する資源の限りない供給に支えられて、経済的の成長は永久に続き、無限のものだと思われていたのである。ほとんどのアメリカ人が、未開拓の自然や原住民たちに何の関心も抱いていなかったし、ロマンチックな意識にふける時間も持ち合わせていなかった。その自然や原住民達のいずれもが発展のためには障害となり、常に、開拓をするか、根絶をするかの問題がつきまとうのである。
Grimshawの展望は、19世紀の終りを通して、アメリカ人の考えの中に僅かながらの変化をした形で浸透していった。1890年に書かれた、Thomas
Jeffersonの二期目の就任期間におけるアメリカ合衆国の歴史という著作のなかで、Henry
Adamsは、LewisとClarkは、“彼らが自分達の来た旅の道を引き返すことができる・・・・
時が来るまで、
とてつもない厳しい状況のもとで、こせこせとしたみすぼらしいインディアン達と一緒に冬を過ごさなければならなかった。”と書いている。Adamsはこの探検隊こそ、“アメリカのエネルギーと偉業達成”のよい例であると認めていたが、彼の結論は、“彼らは、科学的なものとか、健康に関する蓄積などはほとんども何ももたらしていない。ミシシッピーから西の広大な地域が市民権の及ぶ範囲となるまでに多くの年月を経なければならないのだ”ということであった。
第一次大戦の終結までに、開拓精神は金銭の後方に隠れてしまった。増大していく都市化の光景と、インディアンの敗北と居留地への封じ込めなどと結びついた、アメリカの大国としての象徴の複雑さが、インディアンでないアメリカ人を、一方で“市民権”の優位性を保ちながら、原住民のロマンチックで回顧的な思いや開拓精神の野性味に順応させるような風潮を育てた。1929年に発刊された、Ralph
Henry Gabrielの「開拓精神のわな」という本はこうした立場を反映したものである。この本がLewisとClarkを英雄的な存在にまで押し上げ、Charles
M. Russell や他の者達によって描かれたロマンチシズムの芸術を蘇らせたのである。Sacagaweaはヒロインの象徴のよう扱われているし;自然は美しく、そして有益なもの、そのものであった。
このわれわれ自身の時代に、LewisとClarkは先駆者的な自然主義者として、そして、環境保全主義者の先駆けのように描かれている。この探検隊の展望は、他のものと同じように、われわれ時代の関心と、未来に対するわれわれの関心によって具体化されていくものである。今日、われわれは、自然の資源というものが無限のものではないということを認識している。荒涼とした大自然が珍しくなったことと辺境の地がなくなってゆくとともに、われわれは未開の地の美しさとその価値を見出し、そして、残されているものを一生懸命に守ろうとしている。もはや、われわれ自身の市民権の価値の優位性になんの確証もないし、われわれは、インディアンが御互いの間でもっているような関係、あるいは、運星とのかかわりを決めているような様々な価値観というもののなかに心の惹かれるものを見いだすのである。
探検隊のとてつもないような旅は、記念式をするに十分値するものではあるが、この探検隊の200年記念は生産的な思考をするまたとない機会でもある。この本はMissouri
Historical Societyが主催した、合衆国200年記念展覧会の、LewisとClarkに関する手引書であり、ここでは、200年前のさまざまなもの、樹木、動物たち、大地、そして、もっとも重要なことは、その当時の現地の人々について、もう一度よく考え直しているのである。この仕事はその変化、なされた選択、そして、それに続いて発生したわれわれの先祖の行動というものを評価している。そうしたことを通して、われわれはわれわれ自身、そのものを見つめることができるし、また、われわれが未来の世代のために残す世界を想像することができるのである。
当報告書は次のような項目から成り立っており、それぞれには、非常にたくさんの写真と、それらの学術的な説明が詳細になされている。
これらの報告書、並びに、写真については、すでに全文が小生により訳されており、それらの一部を紹介する。本文、並びに、写真の日本語訳は、筆者の個人的な興味によりなされたものであり、原著者の責任に帰するものではありません。
はしがき | ||
第1章 アメリカの描写 | Imaging America | |
第2章 外交的手腕を学ぶこと | Learning Diplomacy | |
第3章 女の世界 | A World of Women | |
第4章 大地の描写 | Depictions of the land | |
第5章 動物たちとの出会い | Animal Encounters | |
第6章 大分水嶺の横断 | Crossing the Divide | |
第7章 取引と財産 | Trade and Property | |
第8章 治療と植物 | Curing and Plants | |
第9章 相互の発見 | Discovering Each Other | |
第10章 画面を画きつくすこと | Filling up the Canvas | |
当世の味方 | Contemporary Voices | |
我々の目的としたものが辿った道 | The Journey of Our Objects | |