宵明けの青空に -1- 飛びたがりのさかな3

       






そこは雲に根を張る神ノ木の根の辺りだった。
最もそれが分かったのはこの後だったのだが。
魚は網にとられたように根っこに突き刺さっていた。
銀色の絨毯の上は意外と暖かく平地と変わらないのではないかと思うほどであった。
そして、神ノ木の数百メートルはあろうという幹の間から、
一人の男がこっちに向かってきた。
「あれが神様か。」
「神様というのは、人間のなりをしているのか。」
「私たちは他に誰とお会いするのです。」
今にして思えば散々な会話だった。
近づいてきた彼には翼が生えていた。
僕たちの中では、彼は天使であろうということで決着が付いていたが、
彼はお辞儀をするとこう言ったのだ。

「みなさんようこそいらっしゃいました、しかし翼を持たれていないようですね。
一体どうしてこちらに。」
「僕たちは死んだのです。」
「見て下さい、あの魚に乗って僕らは空を飛びました。
本当なんです。」
「ですが、僕らは落ちてしまった、そのためこちらの世へ来たのです。」
「よくわかりませんね、あなた方は死んでいる。ですが、私は生きています。
残念ですが、本当は私が死んでいるのか、実はあなた方は生きているのではないですか。」

彼はエヘンと咳払いをするとこう続けました。
「まわりくどい言い方をしましたが、私もあなた方も生きていますよ。
そしてあなた方はきっと迷い込んでこられたのでしょう。
ここは空に住む人々の住む場所神ノ木の根です。いまだかつて
ここに迷い込んだ地上の人は一人しかいません。」
僕らは顔を見合わせた。さっぱり分からなかったのだ。
「私は空に住む人でジョンといいます。あなた方の様な地上の人が
私のひいおじいさんです。
私の生きているうちに地上の人を迎えることが出来るなんて夢の様です。
立ち話も何です、私の家で話を聞かせて下さい。」
まだ分かっていなかったが、僕らは神様だとか成仏だとかで
一杯の頭のまま、そのジョンとやらについて行ったのだった。




君はチョコミルクを知っているだろうか、
ここでは温めた牛乳に、チョコレートを溶かしただけのものなのだが、
飲み物一杯でこんなに感動するのだろうか。
だが、この一杯で僕らはまだ生きている、
そう感じたのである。少なくとも、僕はそうだった。
「そのひいおじいさんというのは、どんな人なんでしょう。」
僕はジョンになんとなしに聞いてみた。
「ひいおじいさんが残した日記がこちらです。」
僕らはその日記に釘づけになった。
そう、それは1505年という日付の入って残された、
彼の手帖そっくりだったのである。
一目見て違っていたのは、表紙に書いてある魚の夢という言葉が、
鳥の夢に変わっていたことだった。

「ジョンさん、この日記を借りてもよいでしょうか。」
図々しくも僕は思わず聞いてしまった。
「いやそれは困りますよ、地上に持って帰られてしまっては取りに行くのが大変ですから。」
その返事は分かっていたので、
僕は地上で見つけた手帖のことは敢えて伏せたまま、
日記を写させてほしいとお願いをした。
すると、ジョンはこう言ったのでした。
「日記にはこうありました、"雲雀の夢を見るか、ペンギンの夢を見るか"
あなた方はペンギンの夢についてご存知なのではないですか。」
「僕らは魚の夢について知っています。」

ジョンは思わず立ち止まって、はじめて聞くという表情をした。
「魚の夢とはあの根っこに突き刺さった魚のことなのです。」
「貴方がたはその魚の夢を叶えたということですか。」
「そうなるのでしょう、ですがそのペンギンの夢を見なければきっと僕らは地上に帰れないのでしょう。」
お互いに初めて知る事実にしばらく頭を打たれていたが、

やがてジョンがこう切り出した。
「手帖の中、鳥の夢の締めくくりには"私と共に人類の夢を探そうではないか"という一文があるのです。
私も人類の夢が見たい。どうか私も連れて行ってはくれませんか。」
「それは結構なことですが、ペンギンの夢も叶えられずにどうして僕らが人類の夢を叶えられましょうか。」
ジラーがそれらしいことを言う。
「実は私が追っていたのはペンギンの夢だったのです。
ですが、私のペンギンはまだこの空を泳ぐことは出来ません。」

僕らは疑問で一杯だった。
「ジョンさん、貴方の背中についている翼で空は飛べないのですか。」
「飛ぶことは出来ます。ですが、地上までこの分厚い雲を突き抜けて、
もの凄い嵐に耐えてそれでもなお地上へ向かい続けなければなりません。
私たちの翼ではとてもとても。」

するとジョンの娘と思わしき少女が現れた。
「地上のお兄さん方は木の実をご存知でしょう。私たちは神ノ木に生る空の実を拾います。
ですが、あのきらきらの星に住む人々は星の実を拾うそうです。
もし、私が星の実を食べていたら、私はあの星に住む人になることができるのでしょうか。」
「今、僕らが空の実を食べたとして、君は僕らを空に住む人々だと思うか。
でもそれはあながち間違いではないな。」
「僕もそう思うよ、僕らは空に住む人のことは今日まで知ることもなかったよ。
だけれども、僕らは夢を見たんだ。いつか鳥のように、いつか空を自由にとね。」
そしてハントがこう続いたのだ。
「実際、食べてみたら分かるんじゃないですか。毒ではないのでしょう。」
あまりにひねりがなく僕とジラーは隠れて笑っていたが、みな笑っていたのだった。





ジョンのペンギンを見せてもらう途中、僕らの魚が取り囲まれているのに気が付いた。
そりゃそうだろう、あれだけの強い衝撃だ。
何だこの魚はと、どうにかされても仕方がないだろう。
実際、空に住む人々はためらいもなく魚の中に入ろうとしていた。
ジョンは申し訳なさそうにこう言った。
「あれはきっと鳥の夢を追う人々です。空に住む人々のほとんどは知らずのうちに
鳥の夢を追っています。みながみな、ああやって人のものを勝手にいじるわけではないですが、
中にはああやって自ら常識から外れてしまうものもいるのです。」
「地上も空も人は変わりないな。」
今度はジラーがそのままを言ったつもりだろうかなどと僕は無用な詮索をしていたのだが。
「声をかけてみましょうか。僕らも交通事故を起こして逃げたようなものと変わりないですし、
非常識の仲間ですからね。」
さすがハントだったが、それとこれとでは具合が違うのだった。

「素晴らしい。」僕らは声を揃えていた。
「これをジョンさんが一人で。」
「いえ、ひいおじいさんなら一人でできたかもしれないでしょう。
私はおじいさんの代から受け継いだものを娘のアルバとともに
何度となく改良しているだけなのです。」
「失礼ですが、こちらはまだ飛べないのですか。」
「そうなのです。図面通りなのですが、どうしてもエンジンすらかからないのです。」
ジラーとハントが僕の方を見たのが分かったが、僕は必死にペンギンの内部を追いかけていた。
「そんなに必死になっても、失礼だぞ。」
小声でジラーが僕にささやいたが、僕に気付いたジョンが
「ライアンさん、流石にこのあたりに欠陥は無いはずですが、何かお気づきでも。」

ほら見ろどうすんだとジラーが僕を試すように見ていた。
「実は見ていて思ったのですが、このエンジン周りの仕組みが魚にそっくり、
いえ、魚そのものなんです。」
これは本当だった。そりゃそうだろう、だって、魚の設計者と
ペンギンの設計者は同じに違いない。
「ジョンさん、もし良かったらこのペンギンの図面を見せていただくわけにはいかないでしょうか。」
「もちろんです。ライアンさん、是非ペンギンのエンジンをかけて下さい。お願いします。」
みるからにジョンの気分が高揚しているのがわかった。
僕の考えているところが大体分かっているようで、
ジラーは大丈夫かよと言わんばかりだったが、だからこそ笑っていたのがちょっと癪にさわったのだった。

  
  
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