アメリカ東岸白鯨ツアー・4

 
(探鯨熱中人の集合写真)
7月12日、Hyannisのホテルを早朝出発。9時頃Cape Codの先端にあるProvincetown着。
ここでホエールウォッチング船に乗る。船は北上し海底が盛り上がった「バンク」
Stellwagen Bank 上にあるクジラ生息地に向かいました。風圧が強い船上に出て、
「つわもの」は双眼鏡で探鯨体勢に入り熱中、真剣にクジラを探しました。

数隻のホエールウォッチング船の近くで遊び・餌を食べている多くの
ザトウクジラ・親子を発見。海鳥が多く浮き、また飛び交い、海藻が流れ漂う潮目に
ザトウクジラは汐を吹き、尻尾を上げて潜ったり、口を大きく開けてバブルネット
・フィーディングをしていました。バブルネット・フィーディングとは口から泡(バブル)
を餌の周囲に円形カーテン状に出し餌を集め、大きい口で一口に鯨飲することです。
ザトウクジラのバブルネット・フィーディングは一頭または集団でも行います。

めずらしく、ミンククジラも数頭見ることが出来ました。
今回は2種類のみ、船内は「観鯨」の歓声に沸きました!!。
船はクジラが見える一方に人が移動するため傾きます。
もっと見たかったがいつの間にか船は港に 引き返していました。
物足りない感じでしたがちょうど時間でした。ハイ!これまでよ!

見たいと思っていたセミクジラが見られず残念でした。

午後1時頃Provincetownに到着。昼食後は長時間の街中探鯨。
ピルグリム・モニュメント(ピルグリム記念碑)に登りCape Cod湾と
Provincetown港・Cape Cod海岸国定公園の砂丘を一望、すばらしい景色でした。
このあとProvincetownミュージアムを見学。
捕鯨の資料と最初に上陸したピルグリム達(清教徒巡礼始祖団)
の歴史展示の勉強をしました。

夕刻、Provincetownを発ち、Bostonに向かいました。約3時間で到着。
ここで4人の方は別行動で数日滞在されるため、お別れになりました。

7月13日残りの5人はBostonから空路Chicagoへ、Chicago乗り換え 、成田へ。
Chicago空港にシカゴオリンピックの大広告が出ていました。

”””””東京オリンピック頑張れ!”””””

7月14日午後5人は成田着。 成田で無事到着を祝い、記念撮影しての解散。
楽しかったの一言。
皆さん有難う。


CAPE COD・ PROVINCETOWN ・ WHALE WATCHING  


  
『ホエール・ウォッチ船会社のチケット販売所』   『ホエール・ウォッチの船」  
  
『ホエール・ウォッチの仲間』 
  
『ホエール・ウォッチの船上・熱心な探鯨者』  『見えたザトウクジラと海表面の波紋(リングという)』
多くのザトウクジラが方々で汐を吹き、クチを大きく開けて餌を食べている場面も見られました。
数頭でのバブルネット・フィーディングと思われます。 また小さな曲った背ビレをした
ミンククジラも見ることが出来ました。アメリカ近海のクジラ資源がかなり多いことが分かります。
 
『船首部分から見たザトウクジラの尻尾』

『ザトウクジラの背ビレ部』
ザトウクジラ:座頭鯨の名前の由来は「座頭(盲目の人)が
琵琶を担いだ後ろ姿に似ている」という背中のコブ部分です。
英名の由来:ラクダにもある背中のHumpback  (隆起:コブ)のこと
の方が分かりやすいですね!
ラクダを見たことがない時代のご先祖様が付けた名前です。御免なさい!

(参考:ネット辞典大辞泉)座頭とは
1 室町時代、盲人の琵琶法師の官名。当道座の四官の最下位。
検校(けんぎょう)・別当・勾当(こうとう)に続くもの。
2 江戸時代、僧体の盲人で、琵琶・三味線などを弾いたり、
語り物を語ったり、また、あんま・はりなどを業とした者の総称。
3 盲人。
 
『熱中探鯨人』
  ザトウクジラとミンククジラの生物学教室  
 
■ザトウクジラ■
学名Megaptera novaeangliae
学名語源Mega(大)ptera(翼) nova(丘)angli(一つ)
英名Humpback whale
英名語源ラクダにもある背中のHumpback(隆起:コブ)
漢字表記座頭鯨
漢字語源座頭市が琵琶を担いだ後ろ姿に似ている
特徴 アゴと頭に沢山のコブ状突起がありフジツボが付着していることもある。
下アゴの先に肉質隆起がある。
背びれは体の前から2/3のところにコブ状にある
尾びれは大きく辺縁部はギザギザ。裏側に白黒模様があり個体識別に使う。
体色は濃灰色〜黒。喉部は白い。畝は14〜35条、へそまで達する。
胸ひれが体長の1/3(5m)と長い。
繁殖期のオスが出す恋の歌が有名。
ホエールウォッチングの対象である。
体長 (出生時)4.1〜4.5m (離乳時)7.6〜8.5m
(おとな)オス14.6m、最大17.5m
(おとな)メス15.2m、最大19.0m
体重30〜40t、最大65t
ヒゲ板黒い。長さ70cm未満。剛毛はこげ茶色。各側に270〜400枚
寿命65年、最高77年
性成熟年齢10才
妊娠期間11〜12ヶ月
習性沿岸性。長距離の回遊をする。2〜10頭の群をつくる。
小魚を集めて食べるバブルネットフィーディングが有名。
分布全ての海に広く分布。
動物プランクトンと群集性のサカナ(ニシン・シシャモなど)
 
■ミンククジラ■
学名Balaenoptera acutorostrata
学名語源Balaenoptera(鯨)
acutorostrata(尖った上顎)
英名Minke whale
英名語源Minke(マインケ砲手)さんのクジラ
新人Minke砲手がシロナガスクジラと
間違って小さいクジラを捕った為
漢字名小鰯鯨
漢字語源小さいイワシクジラ
特徴調査捕鯨で捕獲されている。
ヒゲクジラではコセミクジラ(6.2m)に次いで小さい。
頭部は細く尖る。中央の稜線は鋭い。
背びれは鎌状で尖る。体色は背中が黒。腹側は白。
V字型の模様が頭の後ろにある。
ヒゲ板は片側230〜360枚長さ15〜30cm。
ヒゲの色は白〜乳白色、剛毛は細く白い。
うねは約60本。へその近くまで達する。
胸びれは小さい。胸びれに白線「白腕章」がある。
体長 (出生時)2.4〜2.8m; (離乳時)5.0m
(おとな)オス8.1m最大11.0m
(おとな)メス8.9m
体重オス10t最大11t
寿命45年最高64年
性成熟年齢7才
繁殖期-
妊娠期間10〜11ヶ月以内
習性赤道から極域までの沿岸から外洋まで広く分布
回遊南半球の個体は南北回遊する。
北半球のものははっきりしない
きわめて広食性。動物プランクトン・魚類・イカ類まで。
回遊先の豊富な餌を食べる。
 
■セミクジラ■
学名Balaena glacialis
学名語源Balaena(鯨)glacialis(氷の)
英名Right whale
英名語源Right(本当の)捕り易い鯨
捕鯨に適した鯨。遊泳速度が遅く、死ぬと水面に浮き、油とヒゲ板の両方が沢山とれるため
漢字表記背美鯨
漢字語源背中が美しい、水面に浮かんで背中を乾かす習性からの背乾鯨(セビクジラ)から
特徴 体型はずんぐり、口は体長の1/3と大きい。
上顎は細く、強く湾曲。下顎は太く、歯はない。
鼻孔は二つ、噴気はV字型。
背びれ・畝がない。胸ビレは大きく角型。
頭の先にボンネット(帽子)と呼ばれる隆起がある。
ペニスは3mと長い。
睾丸は直径1mもあり重さは対で1tと非常に大きい。
泳ぐスピードが遅く死ぬと浮くため昔捕獲された。
体長(出生時)5.5m
(おとな) オス15.0m、最大17.8m
(おとな)メス15.0m、最大17.1m
体重(おとな)オス50t、最大78.5t
(おとな)メス最大67.2t
ヒゲ板2.5m前後のヒゲ板、暗色、剛毛は細い。各側220〜260枚
寿命30年以上
繁殖期
妊娠期間10〜11ヶ月
分布沿岸性。北半球・南半球(ミナミセミクジラ)
回遊季節的に南北移動。規則的で大規模の回遊はしない
狭食性。動物プランクトンのコペポーダ。

ケープ・コッドの先端にあるPROVINCETOWNの街の風景など
 
 『かわいい探鯨者』           『アメリカの男性?』
鯨のゲイ・芸術のゲイ・ゲイのゲイが3者ある町!!!!!!!
  
 『大きいマッコウクジラ』          『ピルグリム記念碑(下部に博物館) 』      
  
 『重く買えない銅版画』   『スクリムショー風マッコウクジラ腹部・汐吹くクジラとCape Codの絵』
PROVINCETOWN博物館
  
(左)『イッカク:一角の歯 (約3b弱)と船首フィギュア』
  鯨の一種イッカクの歯、歯の長さ約3b、ほぼ真直ぐでキバのようです。
日本でも漢方薬の薬局に、飾ってあるのに出会います。
昔は高価で何にでも効く薬として売られました。
今では目が飛び出すような高価な精力剤に入っている広告を見受けます。

「船首のフィギュアー(半身像)」はアメリカの博物館には沢山展示されていました。
MYSTIC SEAPORTでは多くのコレクションが収集保管されていました。

アメリカ空軍の飛行機の機首(前部)には女性のイラストを 描いて
いるのが見られます。昔、日本が爆撃されたB29にも描いていました。
これも一種の「お守り」「魔よけ」「威嚇」だったのかも分かりませんね!

フィギュアーとは大航海時代の帆船が船首に取り付けていた像(多くは
旅の安全を願うお守りで女神や妖精などの美女であることが多い)
(参考フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「16世紀に、海の男たちが生命を託していた帆船。航海中の
危険が多かった時代、航海の安全を得るため、神の加護を受けて魔
物から逃れ、さらに敵を威嚇するために船首に飾られた像。それが
「船首像」すなわち、「フィギュア・ヘッド」です。(田辺穣)」

日本の帆船「日本丸」「海王丸」にも女性のフィギュア・ヘッドが
付けられている。たとえば和船にも鳥や龍が付いたものが見られます。
また、猛獣などの動物もあったようで海賊などに対する威嚇でした。

最近のヨットにも好事家はフィギュア・ヘッドを付けております。
新潟県柏崎市にある「シーポートミュージアム」、大阪の「なにわの
海の時空館」でも多くのフィギュアヘッドが展示され見ることが出来ます。
フィギュアーはゲームにもなっており、ガチャポンのフィギュアーもあちこちにあり、
フィギュアー・デザインのアクセサリーも若い人の人気商品になっている。
さらにクジラのフィギュアーも数社で作られ収集家を喜ばせています。

詳しくは『ハクジラの歯 』をご覧下さい
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ハクジラの歯数くらべ
ハクジラ類のかわった歯と餌

(右)『クジラの下顎骨』門・入り口。こういう下顎骨の組み合わせは世界中に見られます。
日本では神社の鳥居。アイスランドの家にある『ポーチ』(門のアーチ)、
イヌイットの家のハリ・柱・門柱等の建材。

  
『マッコウクジラの歯のスクリムショー』   『アメリカ式捕鯨の捕鯨船模型』
捕鯨図や捕鯨船の絵もあるが女性を彫ったものが非常に多い。
恋人・奥さん・スターなどを長い航海中にしのんで彫り込んで作った
ものが多い。これらは恋人・奥さんへの最高のお土産品となった。

  
『捕鯨船の航海日誌 LOG-BOOKという。』
  
『ボンブランス捕鯨銛』(ポスカン銃とも云われる)
銛先の後に小銃が付いていて、クジラに銛が突き刺さるとボンブランスが発射し
クジラの体内で爆発し致命傷を与える仕組みになっている。
日本でも導入され短期間ではあるが使用された。
ノルウェー式捕鯨が始まる前の漁具です。

博物館:清教徒アメリカ上陸
   
(左)『ピルグリム・モニュメント(清教徒巡礼始祖団記念碑)(ピルグリム記念碑)』
清教徒巡礼始祖団が1620年11月11日、新世界に上陸した最初の地を記念して、
1910年、PROVINCETOWNに建立された。塔の高さは77b。海抜107.5bです。
清教徒巡礼始祖団がPROVINCETOWNの入江に停泊中、メイフラワー・コンパクト
(メイフラワー号上での盟約書)を起草し署名した。これは、この国で書かれた
最初の民主主義の記録であると多くの人が信じている。(入場時貰った日本語説明書 より)
(右)『大陸上陸が最初の洗濯日・入浴日?』

  
「最初の上陸場面」 
 「ケープコッドの地図」力瘤を見せるためL字状に曲げた腕。腕力がないやせ細った腕に見えませんか?
上の指部がProvincetownの町。腕全体がCapeCodです。腕下真ん中がホテルがあるHyannisの街。

イギリスからの清教徒(ピューリタン)が新世界・アメリカに上陸した場所がケープ・コッドでした。
CAPE:岬の意味・CODは鱈(たら)のこと。あわせてタラ岬です。タラが沢山獲れていました。
私達が子供の頃 世界三大漁場の一つ「北大西洋」と云われていました。

(解説:ピューリタン【Puritan】とは
[1] 16世紀後半、イギリス国教会の宗教改革をさらに徹底させようとした
国教会内の一派およびその流れをくむプロテスタント各派の総称。
ピューリタン革命の推進母胎となった。その一部は信仰の自由を求めて、
17世紀前半に北アメリカへ渡り、ニューイングランドを開拓した。清教徒。
[2] 極度に潔癖で、真面目な人。(大辞林))

(解説:メイフラワー号(メイフラワーごう the Mayflower)とは、
ピルグリム・ファーザーズが1620年イギリス南西部プリマスから、
新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名。

元捕鯨船 全長27.5m、180t。

メイフラワー号が出発したのは1620年9月16日。同号に乗っていた
25〜30名の乗員を除く船客102名のうち、およそ3分の1が
イギリス国教会の迫害を受けた分離派に属していた。
この102人はイギリスからニューイングランド地方への最初の永久移民となる。
船上で、社会契約説に基づくメイフラワー誓約を結んだ。
11月19日にコッド岬、そして12月26日に現在のマサチューセッツ州
プリマスのマサチューセッツ湾沿岸に到達した。
彼らの上陸した土地は偶然にもニュー・プリマス(New Plymouth)
と出発地に因む名がつけられていた。後にPlymouth Colonyと呼ばれた。
(資料フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

当時の捕鯨船は捕鯨以外に、このような移民、奴隷の運搬、海賊、冒険、
交易、軍艦、犯罪者の運搬(オーストラリア)等に使用されました。
捕鯨船はその時代の最新技術の船であり、世界の情報収集にも貢献しました。
「鎖国日本」と「開放世界」の相違が明確にわかります。

また入植者は原住民「インディアン」との協力と共に西部劇で見る
ような トラブルも多かったようで大変苦労して国を作っていきました。
インディアンはすでに捕鯨をしていたのでモリを投げる技量が優れていました。
賃金も低くて良かったので船主は捕鯨船に多くの「インディアン」を雇い乗せました。

また、アメリカ式捕鯨では多くの黒人も雇われ捕鯨に従事しました。
捕鯨船は人種のルツボ(坩堝)といわれ「わけあり」の人もいたようです。

航海も3〜4年と長く、脚気になったり、病気にかかったり、逃げ出し
たりと、入れ替えも多く太平洋の島々の原住民も代わりに乗船していました。
アメリカ捕鯨船は食糧補給、薪水補給、船員の休養、病人治療、
遭難救助、埋葬、交代などのためにどうしても日本寄港が必要だったわけです。

さかのぼればナンタケットのマッコウクジラが「日本の運命」をかえたと言えます!!!


THE END

お読み頂き有難うございました。