知識分子と有文化的人

  "知識分子"、"有文化人"などの言葉は、中国では普通に使われる言葉であるが、どうも気になる言葉である。"知識分子"の"分子"は日本語では犯罪分子と言う具合に使われることがあっても、あまり良い意味には使われない。中国でも以前は毛沢東が知識人が嫌いであったので、決して好い意味ではなく、むしろ迫害の対象ですらあった。しかし現在の中国の"知識分子"は、むしろ良い意味で、大学程度の教育を受けた人という意味であるらしい。中には"女知識分子"と書かれた文書も見たことがあるが、これはある種のエリート意識の意味を持った言葉として書かれていた。

  "有文化的人"についも日本語の"文化人"とは違う。日本語では高い教養を持った人のことであって、大学を出たから文化人になれるわけではない。しかし中国語では高学歴であると言う意味である。がそれだけではなく、ある種の優越感を持って使える言葉のようにも思えた。反対の言葉として"没有文化人"が有るのかと思えて、ちょっと引っかかる言葉である。

  かっての中国では、その主義からして、平等で公平な社会であったのではないかと考えたのであるが、実は毛沢東こそ知識人を恐れて迫害した張本人であったらしい。知識人は自分を批判する勢力になり得るからである。そして出身身分によって迫害などの差別をした社会であったのは確かである。それが今では"知識分子"はがその地位を取り戻し、更にある種の特権も手に入れる可能性がある人(又は既に手に入れている人)に変わってきた。それでもかっての中国の様に、"知識分子"や"有文化的人"が徹底的に迫害された時代よりは、数倍も良いことは疑いの無い事実である。

  いずれにしろ中国語の"知識分子"を日本語に直訳して、"貴方は知識分子ですね"だと言われても喜んでいいのかどうか戸惑うだろう。そして大学を出ているからと言って中国語の"有文化的人"には相当するかもしれないが、日本語の文化人と言われる資格にはならない。

  そう言えば、少し前のことであるが、ある招待所に泊った時に、宿泊票の記入欄に"文化程度"を記入する欄があった。これは学歴の程度のことのようであるが、宿泊の際に大学卒業とか、小学校卒業とかを何故書く必要があるのかと不思議に思えた。同行した中国人は、そこには書かなくてもよいと言ったので書かなかったが、その頃はもう書く必要のない欄であったのかもしれない。しかし記入欄は1995年頃には確かにまだあった。