差別について

  学歴、職業、身分や外見で差別しないことが、共産主義、社会主義の理想であったのではないかとも考えたのであるが、実際には中国でもこの方面で成功したとは言い難い。資本主義社会の方が競争社会であるがゆえに、階級が生まれて不平等になるはずであったのだが、資本主義の日本の方がはるかに差別感は少ないと私には思えた。

  日本にも差別は存在する。しかし差別があっても一応表面に表われない場合が多いが、中国ではその点率直に差別を口にする。例えばなかなか結婚できない人には結構厳しいことを言う。私の実感としては、オールドミスに対しては非常に厳しい社会である。その様な女性に対して、何故結婚しないのとか、何かおかしいとか、かなりズバリと直裁に質問をする。そのプレッシャーたるや相当のものらしくい。親にしても同じであって、未婚の娘が25才を過ぎると平静な態度ではいられなくなるのだとか。

  実は、私にも同じ状態になりつつある娘がいて、このような状態で中国人であったとしたら、親子共々大変な事であったと本当に思うのである。何故中国ではそうなるのかハッキリしたことは分らないのであるが、女は早く結婚すべきだという習慣に従わないから排除されのか、結婚しない女性は道徳的ではないとの見方に因るからなのか、理由についてはハッキリ分からなかったが、ハッキリと批判(差別)の対処になることは明白である。

  同じ様なことは日本で有ったとしても、その程度は全く違うのである。そうなった中国の女性は、何としてもこの社会から逃げ出したいと思うかもしれない。実際にその様な女性から外国へ行きたいと言う相談を受けたこともある。恐らく私の娘であったら、相当なダメージを受け、立ち上がれなくなる位のプレッシャーであるらしい。そんな訳で人事ではないと感じられた中国の現状であった。
  
  現実の中国の社会は、経済的な面ばかりはく、社会的なプレッシャーが原因で、外国に行きたいと考えている人も多いようであった。よく中国人と中国と日本との差を議論すると、その原因を、経済的な発展の差に求めることが多いが、経済だけが原因ではなく、もし日本と中国の経済状態が同じになったとしても、考え方(伝統的なのか因習に因るものなのか)には大きな違いが依然としあるように思えた。

  別の差別の例として、彼女は"農村"の出身であると言った場合の"農民"や、都市の人でも"工人"という言葉の中にも、どうも差別的な響きが感じられた。そして私は彼とは違うのだという意味が、かなりハッキリ分かった。最初は中国にも差別意識があるのだなと感じた程度であったが、後になると日本よりかなり差別意識が有ることを確信した。中国では外見によっても差別するようである。

  農民と都市生活者とは、服装の違いも物腰の差も歴然としている。私が住んでいた中国東北部の大都市では、元からの都市の居住者は、殆ど現場の建設工事には携わらないし、街で焼き肉を売っている商売人等は、大部分が農村から人であるらしい。その様な人達は様々の点で都会人とは違うのである。そして決定的に違うのはその収入である。

  差別の原因が収入の差にも因るとも考えられるが、都市近郊の農家は最近では収入も多いらしいのに反して、医者や教師などの知識人は、現在でも収入が低い。それでもやはり医者や、教師は農民よりずっと尊敬されるようであった。だから収入の多さだけでないことも確かである。そうは言っても収入の格差は、日本では想像も出来ない位に大きい。黄土高原の奥地の農民の収入と都市生活者の収入は雲泥の差がある。収入の差は教育の差にもなるかもしれない。それだけならまだしも、幹部達が握っている何がしかの利権はますます庶民との格差を広げる。例えば、何故か外国に留学に行ける可能性は、都市の幹部の子弟が圧倒的に多いのである。

  差別の構造は複雑であって、差別される側の人が差別しないかというとそうでもない。例えば、門番や、汽車の切符売り、郵便局の窓口等では、その権力を行使出来る間は、結構威張っている。私には権力の座にいる間はその権力を見せ付けたいかの様に見えた。汽車の中でも地位が高いとも思えない女車掌が、汽車に乗ることに慣れていない農民を、こっぴどく、明らかに馬鹿にした様に怒鳴っていたのを見たこともある。

  確かに農民には差別が生じるだけの、教育、考え方、服装、態度にも差があるようである。しかし決定的なことは、農民はその農村戸籍を、都市戸籍にめったなことでは移せないことである。これはやはり身分制度と言ってもいいのではないだろうか。都市戸籍の女性は農村戸籍の男と結婚したがらない。