吉林での生活
 
  中国の東北地方の生活と言っても、私の場合は大学の中の招待所の中で生活していたので、中国の普通の家庭生活とはかなり違った生活であった。一応は部屋やバストイレの掃除もしてもらえて、食事も三食共食堂で食べることが出来た。しかし日本とは習慣の上で様々な点で違いが有り、真冬には零下20度にもなる世界であるから、様々な工夫をしなければならなかった。日本ではやったことも無い様な、様々な修理等や工夫に知恵を絞った。
日本でこれだけいろいろと家の中を改善したとすると、私の妻はずいぶん喜んだかもしれないが、中国でだからこそ出来たのである。中国で生活する上でありにも様々な点で問題が有り、私にも有り余る時間が有った為に出来たことでもあった。

  まず第一は暖房の問題であった。暖房の方法は温水による集中暖房で、放熱器の中をお湯を通して暖房する方式であるが、パイプが錆で詰まっていて、お湯が満足に流れなかったり、放熱器の中に空気が貯まってしまって暖房効果が十分でなかった。パイプの中に空気が貯まると、そこから先は暖房が効かなくなることを、二年目に始めて知った。空気を抜く為には、空気抜きバルブが必要なことも分かったが、そのバルブは付いていなかった。そこで空気抜きバルブを付けてもらうように要求したが、ここ吉林では冬季の間の工事は出来ないのである。特に暖房用パイプはお湯を止めると、凍り付いて大変にことになるのだとか。それで電熱器を支給してくれてが、その電熱器のニクロム線が又直ぐ切れるのである。

  家の造りはレンガで出来ていて、そのレンガの壁はレンガを二個分縦に並ベた位の厚さがあるので、防寒には十分の厚さが有り、窓の部分は大きくないから、寒さに耐える様には出来ている。しかしその窓が問題であって、二重の窓になっているのだが、とにかく隙間が多いのである。その窓は冬に入る前に硝子の縁をパテで塗ったり、隙間は新聞紙を糊で塞いでくれたりしたが、それでも隙間は多かった。窓の側に行くと、零下20度の冷気がスーと足元に忍び込んでくるのが明らかに分るのである。この寒さに曝されると、こんなに寒いとこであるのに、何故もっとキチンと隙間を塞がないのかと少し腹が立った。中国では物を作るとか、修理するなどの際の作業が、かなり雑なのである。何故もっと丁寧に出来ないのか、日本のやり方と比較するとかなり気になるところであった。

  これでは困るので、その対策として温室に使う様なビニールを買ってきて、窓の内側一面に貼付けて、窓を三重にした。これでかなりの効果が有った。少しの熱でも熱を逃げない様にすれば、レンガの家は効果が高いのである。次の年は日本のガムテープを使って窓の全ての隙間を塞いだ。入り口のドアの下の隙間も、フェルトの様な生地を買ってきて、絨毯の上に貼付け隙間を塞いだ。玄関と、居間と、ベットルームの境には全くドアが無いので、ここにもビニールのカーテンをつけた。カーテンを付けるといっても、壁紙の直ぐ下はレンガであるから吊るしようが無いのである。日本の家屋であると、どこかに木が使ってあるから釘が使えるのであるが、レンガではどうしようもない。そこでも有効であったのが、日本から持って行ったガムテープだった。これでカーテンを固定した。後になってからは、日本から"突っ張り棒"やきれいなプリント地のカーテンも持って行ってぶら下げので、きれいさの上では見違える様になった。

  レンガの壁(壁紙が張ってあるが)はカレンダーを張るにも困る。壁に何も張れないのでは、あまりにも殺風景であるので、何とかして壁に装飾が出来るように考えた。カレンダーは例のガムテープで貼付けた。日本から持って行ったフックを天井と壁の間にねじ込んで額等が吊るせるようにもした。額はガラス入りの額を作ってくれるところを自分で見つけて、特別に注文して作ってもらった。絵は北京で買った中国の絵である。掛け軸は私の妻が書いた"書"を表装してもらい掛け軸にして吊るした。自慢でないが(とは言いつつ自慢しているが)額を作ってくれるところや、表装してくれる所などを知っている人は吉林の地元の人でもそうは多くないと思う。私は自分で歩いたり、人に聞いてりして情報を集めて探したのである。中国ではこの様な便利な物を探すのはなかなか難しい。物を吊るす為のフックなどでさえも手に入れるのは困難であった。

  そうして中国で生活するには様々な創意工夫も必要であった。そうしないと例えば、私の部屋のトイレの水が流れっぱなしになり、止まらないのである。修理を依頼しても部品を取り替えたりしないので、直ぐ壊れてしまう。水洗のノブを糸でチョッと止めるだけで、本格的な修理はしてくれない。そこで、プラスチック製の蝿叩きの柄だけをはずして使い、それに水タンクの底に在る丸いボールと直結した。水を流すときを蝿叩きの柄を持ち上げるとボールの水止装置が外れ、水が流れる仕掛けである。柄は水に浸かっているから、ついでに手が洗えることになる。この方法は、中国式修理方法よりずっと確実で、故障もしなかった。これは我ながらすばらしいアイデアであると思えた。

  その他に、洗濯物を干す為のステンレスパイプや、切り分けた肉を包む為のラップ、変圧器等を手に入れる為に、日本では想像出来ない位の努力をしたり、情報を集めをしたりした。この様な物は吉林ではあまり普及していない物であるから、購入するのが難しいのである。しかしどうしても無いものは無いのである。バター、チーズ、マヨネーズはどうしても見つからず、私が帰国するまで買うことは出来なかった。

  しかし入れるのに一番苦労をし努力をしたのはウイスキーである。中国ではウイスキーは飲む人が少ないので、有るのは中国の"白酒"ばかりである。ウイスキーは高級ホテルのお土産売り場に飾り物として並べてあるかものか、中央の"副食商場"にたまに出るくらいであった。その為、土曜、日曜になると、自転車に乗って(或時はタクシーに乗って。タクシー代は日本人にとってはかなり安い)吉林市内のホテル巡りをやって、ウイスキーを探し回ったものである。酒を飲まない人から見ると、何んと馬鹿げた努力をしているのだろうと思われるかもしれない。中国人の飲まない高級ウイスキー(実際は高級ではないが、中国人の収入から比べると相当高価になる)を何時も買って行く日本人は、ホテルのや"副食商場"の店員に、顔を直ぐ憶えて貰えた。