吉林で作った料理

  中国で大豆油たっぷりの食事を毎日食べていたら、どうしても日本風の食事が食べたくなった。まず料理の道具を揃えなければと思ったのであるが、あの中国式巾広包丁で、どの様にしてリンゴやニンジンの皮を剥くのか?あの木の切り株型の大きな中国式まな板を、どの様にして洗って清潔に保つのか?この疑問が解決出来なかったので、包丁やまな板は日本から運んだ。多分その両方の疑問とも、中国式では解決出来ないのではないかと思うのだが。その他にも日本から、かなりの道具を持って行った。やはり日本の台所道具は本当に便利で使い易い。例えばフライパンで玉ねぎを炒める時に使う竹(木でもよいが)のへら。これが金属製であるとどうしも使い難い。おろし金や竹のざる等も持って行った。

  他にはワインのコルクの栓抜き。こんなものが中国ではなかなか売っていないのである。ようやく買えたと思ったら、コルクにねじ込む螺旋の巾が等間隔でない為、螺旋がコルクに食い込まないのである。ワインは売っているのに、まともなコルク栓抜きは売っていなかった。私は時間が有り余って市内を良く探索したので、特殊な道具類を売っている場所の知識は、当地の人よりかなり詳しいのであるが、それでも見つからなかった。実際に招待所でお客がワインを飲みたいと要求するときには、食堂の小姐が私の所へコルクの栓抜きを借りに来た。

  炊飯器も中国製のものは保温装置があるにもかかわらず、保温状態にすると、30分でお焦げになってしまうので、日本製の一合でも炊ける炊飯器を持ち込んだ。しかし日本でも使える電気製品を持って行くと、中国の電圧は220Vであるから、変圧器が必要になる。この変圧器を手に入れるのが又大変であった。コネを頼りに大学の先生に頼んで、大学の工作室の様な所で作って貰った。吉林から100kも離れている長春まで材料を買いに行かなければならないと言われて、現地の人の給料の一ヶ月分の代金を払わなければならなかった。後になって、電圧の調節が出来る変圧器をもう一つ手に入れ、温度調節が出来るようなったので、調理がずいぶん便利になった。

  プラスチック製のしゃもじや水切りトレイも日本から持って行った。何故、水切りのトレイかというと、こちらでは食器を伏せて乾燥させないから、食器が乾燥しないので、それが食堂の食事で気になっていたのである。水切り用の籠でもあったら便利なのにと考えた結果である。日本では関心を持って見たこともないプラスチック製品であったが、改めて日本の台所用品を見てみると実に機能的で、多彩ですばらしいと改めて感じた次第である。それに綺麗でもあった。

  他に重要なものは料理の本であった。やはり料理の本を見ていると、ずいぶん料理できる範囲が広がる。そしてその写真を見ていると作ってみたくなり、日本の醤油で味付けしたならきっと美味いだろうと、想像も広がった。
  
  日本から大量に持ち込んだ物はなんと言っても調味料である。味噌醤油は言うにおよばす、ほんだしの素、コンソメスープの素、中華味の素、マヨネーズ、トマトケチャップ、ラー油、酢、焼き飯の素、果てはミートソース用に、月桂樹の葉っぱ、オレガノとかバジルまで持っていった。この調味料無くしては、日本の味又は自分で食べたい味は絶対に出せない。こちらにも醤油、酢、ラー油などは有るには有るが、全く日本のものとは違う。但し、北京には日本製の醤油が有ったので、出張のついでに買って来てもらった。日本の醤油と生卵をかけたご飯がどれほど旨いか、ポテトサラダにマヨネーズをあえて食べるとどれほど旨いか、それが久しぶりに食べる場合、日本人ならきっと旨いと言うに違いない。
  
  その調味料で何を作ったかと言うと、やはり普段日本で食べていて、中国では食べられないもの、例えば、卵入りのおじや、イカと里芋の煮物、鮭のバター焼、ソースヤキソバ、カレーライス、スパゲッティーミートソース、ハンバークなど。ミートソースは、勿論月桂樹の葉っぱを入れて煮込んだもので、インスタント製品ではない。ハンバークには(日本製の)バターで炒めた玉ねぎとナツメッグも入れて作った。こちらの油だらけの料理とは対照的な春菊のおひたし、大根おろしに醤油の組み合わせは、これこそ日本の味だと思って食べた。意外に沢山作った物は、中華風料理で、ラーメン、チャーハン、中華風卵焼き(あんかけにしたもの)、鱶ひれ卵スープ(インスタント)、中華風ヤキソバ、ビーフン、中華味の素で味付けした野菜炒め等である。これらは中華風とはいいながら、味付けは自分の好みになっているから、現地の中国料理よりは数段旨かった。自分で作った日本風の味に、一人で感激して食べたくらいである。

  食堂で食べるのでは味わえない料理に、自分で満足しているのは当たり前としても、他の人にご馳走しての評判は結構良かった。評判の良かった料理は、カレーライス、ヤキソバ、中華風卵焼きなどで、旨いと言って食べてくれた。もったいないので、中国人にご馳走しなかたものはスパゲッティー。何故かと言うと、中国人は麺類を低級な食べ物と考えている様に思えて、スパゲッティーのあの腰の硬さを、多分評価してくれないだろうと思ったからである。中国での麺類は、賞味の対象ではなく、未だ腹を満たす食べ物と言う位置に止まっている様な感じがした。本当の理由は、スパゲッティーをご馳走するのはもったいなかったからであった。スパゲッティーは日本から運ぶのに結構重いのである。

  このスパゲッティーミートソースは、たまに来る日本人にも評判が良かったし、自分でも良く出来たと思える料理の一つであった。その他に中国人にご馳走しなかったのはチーズ。これも多分食べ慣れていないようであったし、もったいないからでもある。生卵や半熟の目玉焼きも出さなかった。多くの中国人はなま物に、心理的に恐怖を感じるようであったからである。現地の香辛料を利用したのは、桂皮と透明な色の酢位であった。最近になってやっと透明な酢が買えるようになったのであるが、従来からある中国の酢は、茶色をしていて味に独特の癖があり、日本の味とは違っていた。

  市場に行くと様々な香辛料を売っている。その中に桂皮の木の皮が有るのを見つけたので、これを買ってきて削って粉にして、リンゴの砂糖煮も作った。これも甘いせいか評判が良かった。偶然にも隣のアメリカ人がごちそうしてくれたデザートが、同じ物であった。やはり市場で桂皮を見て思い付いた料理であったらしい。

  次第に料理を作るのにも熱が入り、電気用の焼き肉器も日本から持って行った。焼き肉は勿論のこと、お好み焼きも作った。土鍋は中央市場で売っているのは見つけて購入した。ここでは土鍋を"砂鍋"と言うが、日本ほど一般的には使われていなくて、珍しい部類に入る道具の様である。土鍋ではなべ物や湯豆腐を作った。つついて食べた豆腐は一丁が5〜6円位で日本の木綿豆腐と同じく美味しかった。但しこちらの豆腐は水の中に放さないので、時間が経つと固く縮んでしまう。ここでは水が貴重品であるから、清潔な水桶の中で、豆腐が泳いでいる姿は見られない。

  料理を結構一生懸命になって作るうちに、ついにはチャントした食器で食べたくなった。中国の食器は余りにもそっけない。中国に行く前は、歴史上有名な陶磁器の歴史の話を聞いていたので、良い陶磁器が有るだろうと考えていたのであるが、在るのは実用一点張りのものだけであった。これには予想を裏切られた。二つある大きなデパートを覗いてみても、同じ柄の同じ製造所の皿や湯のみが、数点あるだけであった。伝統は確かに在ったのであろうが、長年の政治闘争でその伝統が途絶えたのか、職人が大事にされない社会であるからなのか、生活に余裕が無いからなのか、奇麗な皿は未だ庶民には縁が無いもののようであった。ここで買える皿は殆ど装飾の無い皿であり、中には底が歪んでいるものもあった。それと比べると日本の皿や木のお椀がどれほどきれいか、どれほど変化に富んいることか。日本に帰国した際に、スーパーで売っている食器でさえ、どれほど多彩であるかを見て、改めて日本の豊かさを認識した。そんな訳で、皿や茶碗、木のお椀も日本から持って行って、目でも楽しみながら自分で作った料理を食べた。

  通常の一日は、朝は時間が無いので、食堂のおかゆに日本製の"お茶漬けの素"入れて食べ、日本製インスタント味噌汁も飲んだ。中国人が常食とする饅頭は、味が無くて私には旨くなかった。昼休みは直ぐ近くの職場から招待所に帰って、食事を作ったが、ここの昼休みは何んと二時間も有るので、料理の為の時間はたっぷりあった。現地の人はその後昼寝もするようで、そうしないと力が出ないと言っていた。昼寝する場所が必要な為にも、職、住の場所は接近していなければならないと、現地の人は考えているようである。

  仕事は五時には終るから、ビールを飲みながら晩飯を作り、六時半頃には食事が終ってしまう。春節の休みには、何もすることがないので、朝からビールを飲んでテレビを見て、日本から持ってきたテープ(五輪真弓、高橋真理子など)を聴き、時間が来ると又食事を作ってごろごろして過ごしていたら、春節が終る頃、腰痛になって全く動けなくなり、入院してしまった。不節制でそうなったのかもしれない。発病後四週間位して病気が全快した頃、妻が吉林に来て、料理を作ってくれるようなった。やはり作って貰って食べる日本風の味は又格別であった。