吉林で聞いた音楽

  中国の東北地方の冬は夜が長い。長い冬が去って暖かくなっても、私が遊びに行けるような場所は少なかった。そこで無聊を慰めるに音楽のテープを聴くしかないと思って、沢山の音楽をコピーして中国へ持って行った。ポピュラーな曲では、五輪真弓、高橋真理子、加藤登喜子など他にも女性の歌手のものばかり。クラシックではチャイコフスキーやラフマニノフの交響曲とピアノ曲、ショパンのピアノ曲などで、他にはジャズとアルゼンチンタンゴの曲を少し持って行った。その中で一番よく聴いた曲は、五輪真弓の歌で、ビールやウィスキーを飲みながらよく聴いた。あの気だるいような、けして前向きではない歌が、仕事をダラダラと進めている時期の気分に合ったのか、日本人が殆ど居ない、人恋しい気分に合ったのか、とにかくよく聴いた。

  中国の音楽はテレビでいつも聴けたが、テレビでの音楽は、"本音と建て前"の内の、建て前だけを歌った様な歌で、全く面白味がないのもばかりであった。テレビでは故郷を称える歌、中国の栄光を高らかに歌い上げる歌、父母を思う心を歌ったものが多かった。歌い方からして正統的な発声法で朗々と歌い上げる歌い方、京劇風の頭のテッペンから声を出す歌などが多く、ささやき調や語りかけるような歌は無かった。中国ならではのものとして、解放軍を称える歌や踊りが多かったが、これは時代錯誤のような気がして全く好きになれなかった。若い女性に軍服を着せて、何故か軍服の袖を腕まくりしたスタイル(これが格好がよく、勇ましさのシンボルなのかもしれない)で、鉄砲を持たせて踊らせる踊りもよく見かけた。少数民族の歌や踊りも非常に多かった。テレビは一種の政治的宣伝媒体として位置づけられているから、この番組も56もの民族が仲良く暮らしているのを、宣伝しているのではないかと思われた。

  愛情を歌った歌も在るが、せいぜい淡い恋心を歌った程度のものらしかった。テレビの中の歌詞で、"私の妹よ"と呼んでいる相手は、どうも恋人のことらしく、間接的な言葉で愛情を表現しているようであった。本当は中国人もテレサテン・テンの歌などが好きらしのであるが、テレビでは全く聴いたことがなかった。五輪真弓の"恋人よ"なども、中国人もよく知っていて、ある人にテープをコピーしてあげたら喜んでいた。しかしこの様な敗退的な、不倫を歌った様な歌は決して流されなかった。どうも生臭い表現は教育上為にならないからなのかもしれない。

  そんなわけで、やはり日本の歌には情緒があると思ってよく聴いていた。特に五輪真弓はよく聴いていて、日本へ帰国してからも聴いていたので、妻からは中国に居るうちに趣味変わってしまったと言われた。ちなみに、五輪真弓の"恋人よ"はロシア人にとっても、共感出来たらしく、私の上の部屋に住んでいたロシア人の先生に、テープのコピーをあげたら、日本語の歌詞も全部憶えてしまった。そう言えば、ロシア民謡の調子(短調のメロディが多い)とは、何か共通点があるからかもしれない。私はロシア民謡をよく知っていたので、歌や音楽を通じてその先生と仲良くなれた。歌は国際的な友好関係に役立つものでる。
  暇つぶしにホテルにあるバーでピアノを聴きにいったり、ホテルの2階に在るナイトクラブに、歌手の歌を聴いたりすることもあった。土曜日曜の休日や仕事が終ってからの暇な時間は、ビールも飲みたいし、あまり面白くない中国のテレビを見ているよりはましだし、日本と比べれば費用もずっと安いので自転車に乗ってよく出かけた。バーのピアノ弾きは最初の人は、とても聴いていられいくらい酷かったが、途中から替った人は少しましになった。しかしレパートリーは少なく、その頃中国で流行っていたリチャードクレーダーマンの曲を繰り返し弾いていた。ここのピアノはまだ文化的な雰囲気が在ったが、ナイトクラブの歌手の歌は、あまり心地よいものではなかった。多分祖国や故郷を称える内容で、ここでもバリトン風と京劇風の歌い方が多く、ロック調の曲などはなかった。そこまではいいとしても、ナイトクラブに来る人は、殆どが会社や官庁の金で飲み食いする人達のようである。一般的な接待のパターンは、招待した人が高い金を出して、ケバケバしい造花を歌手にプレゼントし、プレゼントされた歌手は接待を受けている人の健康とか、誕生日の祝福の言葉を言い、続いて歌を招待客の為に歌うのである。ケバケバしい造花は、何度も客と歌手の間を往復し、お客の方はどれだけ招待客の前で高い金を使えるか(造花の為に)、見えを張っている様でもあった。

  この様にテレビやラジオでは"建て前"の音楽が多かったが、自動車の運転手が聴いている音楽や、食堂から流れている音楽は、もっと庶民の感情にピッタリする音楽が多かった様に思う。街で聴く音楽は台湾、香港からのものや、ロック調の物まであり、私にとっては、こちらの曲の方がずっと親しみやすかった。特に朝鮮族の店から流れてくる音楽は、日本の演歌のルーツの様に思えて懐かしい感じがした。道を歩いていていると、日本の演歌が流れていると勘違いして、はっとして足が止まったほどであ。

  いずれにしろこの年になってからでは、現地の歌を聴くより、自分で用意していった聴きなれたテープの方がずっと心地よかった。このことは食べ物の好み付いても、同じことが言える。