桃源郷

●吉林の桃源郷
  中国には桃源と言う地名がちゃんと在る。陶淵明の詩(であったか?)の通り、穴をくぐって行ったところ、桃源郷に出た、といったようなお話を再現した公園が在る。そこには桃の林も穴も在った。そこは湖南省の常徳市の近くで、私も期待して見に行ったが桃の花も終わっていて、何んと言うこともなかった。

  それよりこれぞ桃源郷と思えたのは、吉林市郊外の山村の春の風景であった。中国での仕事が終り、帰国前にピクニックにでも行こうということになり、会社の若者達と裏山に出かけることになった。五月始めの頃のことであったが、中国の東北地方は春が来るのが遅く、ようやく桃の(様な)花が咲き出した頃であった。低い山の頂に登ると同じ様な山並みが見え、山の中腹には桃の果樹園があちこちに点在し、花を付けていた。遥か彼方の桃の林の花は、一塊になるとピンク色の雲がたなびいているようであった。山頂近くの松の木だけが緑色で、唐松の林もその下草も、5月になっても未だ枯れ草色のままであった。それでも唐松の細かな枝は芽生えが始まっていて、唐松の林はパステルカラ一の黄緑色がかすかに混じっていて、そこも霞んだ様になっていた。冬の寒さがやっと去り、コ一トを脱ぎ捨てたばかりのことで、ようやく風が暖かく感じられる様になった頃でもあった。麓に点在するレンガ作りの農家の煙突からは煙が立ち昇っていたが、人影は全く見えなかった。その風景はこれぞ中国の桃源郷かと思えたくらい穏やかな風景であった。

  あまり印象的であったので、同じ宿舎にいた日本人の教師夫妻には是非見に行くように奨め、ロシア人の女の先生とはサイクリングに誘って、その桃源郷の様な風景を見に行った。自転車は麓の農家に預けて山に登った。中国語も話せず、自転車がどうかなってしまいわしないかと、少し心配であったが、戻ってくるまで自転車は無事であった。その頃は前回出かけた時よりずっと暖かくなり、花は満開でとても奇麗であった。その先生も一生忘れられない風景だわと言った(様な気がした。ロシア語は分からないので)。ここが桃源郷とも思えたのは、この様な中国の田舎に来ることはもうニ度と無いとも思え、感傷的になっていたからかもしれない。実際はその後も中国に来ることになり、更に三年も吉林に居た。

●別の桃源郷
  もう一つの桃源郷と思えた光景は、やはり人の姿が殆ど見えない湖の光景であった。私が滞在していた吉林の周囲には、いくつかの貯水池とダムがあった。貯水池は低い山の問を縫ってかなり奥まで続いていた。或る夏、その一つの"星星哨"と言うダムに釣りに行ったことがある。遥か彼方の対岸には人影は無く、のんびりと牛や羊が草をはんでいた。時折魚の跳ねる音や餌を投げ込む音がするだけで、他には何の音もなく、青い空に白い雲が流れていた。その風景の中でのんびりと釣りをしている自分が不思議であった。偶然にも中国の大学の釣り気違いの人達に運れられて釣りに来たのであるが、外国人は殆ど訪れるはずもない中国の山奥の湖に来て、対岸の羊や山並みや雲を見ているなど、夢を見ている様でもあった。そこは確かに"桃源郷"の様に、時聞が経つのを忘れてしまいそうな風景が在った。しかし釣った魚を買取に来たのは中国的現実であった。そこには再び行くチャンスはなかった。

●もう1つの桃源郷
  湖と言えぱ、吉林市の近くには、"松花湖"と言う巨大なダム湖があった。満州国時代に日本が建設したダムである。夏になると、休みの日にはそこへよく泳ぎに行った。自動車で40〜50分の距離であった。湖の奥の水が奇麗で静かな所まで行くのに、バスなどの交通手段はないから、多くの場合自分でタクシーを調達して出かけた。タクシーのチャーター代金は、タクシの一日の水揚げの半分位の金額を目安にして交渉し、金額を決めた。その値段が300元だとすると、日本円にして4000円位で、現地の食堂の若い従業員の月給と、同じ位の金額であった。しかし私にとってはあまり負担もならず、その金額で夏の一日を、たっぷりと楽しむことが出来た。或る時、私がスポンサ一になってタクシ一をチャタ一し、四人のロシア人の女の子と一緒に"松花湖"に泳ぎに行ったことがあった。誘ってはみたものの5人も乗れるタクシ一は滅多に無いので、その計画の実現が危ぶまれたが、待っているとおんぽろの大型アメリカ車を探してやってきた。その中の何人かが水着が持っていないと言ったので、途中で売っている所を探す事にして出発した。湖のそぱのお土産屋には、ただ一軒水着を売っている所があったけれど、大柄なロシア人が着られる水着が在るはずも無かった。おんぽろタクシ一は大きいロシア人が乗っているせいか、途中の山道では登れなくなり、タクシ一を降りて後押しをしなけれぱならなかった。ようやくのことで湖の奥の人気の無い、静かな岸を探して泳ぐことにしたのであるが、水着を持っていないスビェ一タはパンティ一だけになり、あれよあれよいう間に遥か彼方の1Km以上はあると見える対岸迄泳いで行ってしまった。辺りの緑色と白い肌が何ともまぶしかった。その後も何度かそこヘ一緒に泳ぎに行ったけれど、水着は買って持って来たのでニ度とその様なことはなかった。
この湖畔は木が鬱蒼と茂り、シーンと静かで、普通に見る中国的風景(縁が少なく土がむき出しになっていて、人が多く雑然としている)とは別の世界の様であった。あの光景も又、幻の様な桃源郷の光景だった。後でスビェ一タに聞いたところ、育った所はウラジオストックで、冬の海でも泳いでいたと言っていた。