直訴ができる国・できない国
(2008年12月3日)


  中国には直訴制度がある珍しい国である。日本でも苦情処理制とか行政救済法があるにはあるが、そんなに大々的には利用される制度ではない。日本では厚生労働省にデモをかけることはできても、直訴は受け付けないのではなかろうか。第一直訴受付窓口なんか無いし。しかし中国では、各級の地方政府、および中央政府では各部門で直訴を受けつけている。例えば国家の公安部、民生部、農業部、水利部、発改委(?)、最高人民法院、検察院など、国レベルの機関で44部門くらいは直訴を受けつける部門があるらしい。直訴に関する「国務院信訪条例」もあるし、国のレベルは直訴を統括している「国家信訪局」という組織さえもある。

  日本の直訴と言えば、江戸時代に佐倉潘から江戸に直訴にでた佐倉惣五郎の話しが有名である。ウィキペディアの「佐倉惣五郎」のところには、伝承として、「承応年間(1652-1655)、天災・飢饉の続く中下総国印旛郡公津村(現在の千葉県成田市)の名主であった惣五郎は、佐倉藩の重税に耐えかねた農民を代表して藩の役人や江戸の役所に困窮と減税を訴えた。 しかしその訴えは聞き入れられず、老中に駕籠訴をしても果たせなかった。そして遂には4代将軍家綱が上野寛永寺へ参詣の折に直訴に及ぶ。その結果租税は軽減されたが、惣五郎夫妻は磔刑、男子3名女子1名は死罪に処された。」とある。

  つまり、日本の場合、佐倉惣五郎は「上訴」を繰り返して、ついには最上級の将軍に直訴したのだが、それは許されないことなので死刑になったいうお話しである。しかし、現代の中国では、直訴しても罪にはならず、むしろ「国務院信訪条例」で上訴者を、建前上は保護してさえしている。中国は直訴を制度として認めている極めて珍しい国だと思う。他の国に直訴制度があるかどうか本当は知らないのだが。

  中国語では直訴とは言わないで、「信訪」と言う。「信」とは手紙のことを言うが、手紙(ファックスなどでもいい)に訴える内容を書いて、訪問するのが、「信訪」という意味である。「国務院信訪条例」には国家信訪局の機能も決められている。

  「信訪」には訴えるという感じが無く、訪問すると言えば穏やかな感じの言葉であるが、手紙の内容は、「訴え」なのである。日本語の直訴と同じである。訴える側からすれば、地方ではどうにもならない問題を上に訴えるので、「上訴」と言う。上に訴えると言っても、いろいろのレベルがあるのだが、結局は地方でこじれた問題を国のレベル、つまり場所は北京に「上訴」するのである。

  その直訴者(上訴者)が集まっていたところが、日本語では直訴村と言われていたところで、場所は、旧北京南駅の南側であった。その直訴者(上訴者)の数は半端なものではなく、以前は数千人が北京のある場所に集まって、直訴の機会を狙っていた。宿泊できるドヤ街のような宿舎が在ったのである。それらの施設はオリンピック前に完全に取り壊され、直訴者(上訴者)は大興区の方に移ったと言われている。

  しかし最近、以前直訴者がいた辺りを通って見ると、50人〜100人ぐらいの人が固まっていた。何故今でも直訴者がいるのかの理由は分からないのだが、この近くに「北京市接済サービスセンター」と言う珍しい施設があるからかもしれない。北京市の施設である。

  「北京市接済サービスセンター」とは、調べてみると直接直訴を受け付けるところではなく、北京に来る上訴者のため食、住、医などのサービスをするところであると書かれている。それだけではなく、上訴者に帰郷を勧めたり、集中して帰郷させたりして、首都北京で騒ぎを起こさせないようにするなど、首都の治安を保つ為の役割があるらしい。

  「北京市接済サービスセンター」は、その歴史は古く、1977年12月に「北京市永定門救済站」として設立されたのだそうである。この時期は文化大革命が終わって、文化大革命で冤罪やでっちあげの取り消しを求めて、物凄い人が北京に来たらしい。1979年の統計によれば地方から上京する者が一日に1200人、北京に滞在している者は10000万人に達したそうである(後述の「中国の信訪制度について」から)。

  「北京市永定門救済站」の後身の「北京市接済サービスセンター」も役割は同じであると思うが、それにしては、ここに集まってくる人の人数が中途半端である。上訴者へのサービスは限定されたものなのかもしれない。

  では中国の直訴制度(信訪制度)は、どんな制度なのか、苦情解決に有効なのか、について研究された方の論文が読める。日本語の調査論文で、国立国会図書館の海外立法調査室の富窪高志と言う方が書かれた「中国の信訪制度について」という報告がある。最近(2008年5月)書かれたものである。

  PDFファイルをダウンロードすれば読めるが、これを読むと直訴制度つまり信訪制度の実態、問題点などがよく分かる。

  「中国の信訪制度」の目的・役割は「大衆の合理的な権利と利益を確実に擁護するとともに、すみやかに社会状況や民意を反映させることによって社会調和を促進する」であると書かれている。しかし何故中国に直訴制度が必要なのか分からなかった。普通の法治国家ならば、司法制度とか裁判によって、不正を正すことが出来るはずである。しかも中国には行政訴訟法と行政不服審査法と言うのがあるにもかかわらず、佐倉惣五郎式の直訴の制度が中国にあるのだろうか。そこのところがよく分からないのだけれど。

  その理由は歴史的な背景もあるのかもしれない。人治の国中国としては、英明な君主に訴え出ると問題が解決されて、君主の名声はますます高まるとうことがあったのかもしれない。それを共産党やトップ指導者が真似て、英明な封建君主の役を演じることで、大衆の尊敬を得るという仕組みなのではなかろうか。文化大革命の時は周恩来などが、直訴を受けて、冤罪を救済したとかの逸話があったが、下を飛び越して直接上に訴えると、お上の威光で救済されるというパーターンである。文化大革命の後に中国共産党弁公庁と国務院弁公庁が受理した来信件数は何と108万件以上に達したと言う。これは元々、異常な数の免罪、でっち上げ、誤審があってのことであるが、この救済によって、お上の威光は高まったのかもしれない。このことを富窪高志と言う方は「政治的威信・権威に基づいた崇敬獲得ルート」と書いておられる。

  しかし現状はどうなのか。富窪高志氏は、現状は「中央の政治的権威の流出」だと書いておられる。中央によっても問題が救済されないので、却って政治的権威は低下してしまうということである。

  富窪高志氏のレポートに、2006年12月から2007年3月にかけて、北京の直訴村で行われた560人に対するアンケート調査の結果が載っている。中国社会科学農村発展研究所が行った調査である。それによれば、560人が北京に来た平均回数は、16.4回にものぼり、北京平均滞在日数は292日にもおよび、平均訪問先機関は3.65機関であったとのことである。中には数十年にもなる信訪者もいたとか。尚、この中の64%もの人が上訴が理由で、収監、拘束されたことがあるのだとか。このことを上訴者から見れば、大変な苦痛であり、制度的には上手くいっていない事もわかる。

  同じ研究所の2004年の調査では上訴者の北京に来て一週間後の、中央に対する信頼は、次のように変わったと言う。

中央は農民の上訴を歓迎しているか    いいえ 60.7%
中央は農民の上訴を恐れているか     はい  58.9%
中央は上訴者に報復の可能性があるか  はい  44.7%

  このような現状にもかかわらず上訴者は膨大な数にものぼる。2003年の数字では1272万3000件・人であったという。しかし現実は農民(上訴者)の訴えを中央でも上手く解決できず、却って中央の政治的権威の低下を招いていると言う。にもかかわらず何故農民(上訴者)は直訴に望みを託すのか。

  それは司法腐敗、司法への党や行政機関からの干渉が多く、地方の司法では公正な解決ができないことが理由であるらしい。司法への党や行政機関による干渉と言っても、私利私欲が絡んだ干渉も多いらしい。中国の司法は行政とは独立していないのである。人事権というのは共産党の手の中にあるので、地方政府の幹部は思いのままに司法を牛耳ることも可能なのである。

 その実例を「阜陽市の疑惑のホワイトハウス」に書いたことがある。この話しは「中国の地方都市の、ホワイトハウスの疑惑」を中央に訴え出ようとして、何回も上京していた人物がいたのだが、訴え出られると困る地方首長が、人民検察院検察長と反腐敗局局長と結託して、不都合な人物を罪に落とし入れ、ついにはその不都合な人物が牢獄の中で不自然な自殺死体で発見されたという事件である。この例では行政機関からの干渉となど言う程度ではなく、完全に司法と行政が癒着しているのである。この事件では不都合な人物が「ホワイトハウスの疑惑」を上訴する為に何回も上京していたらしい。そして今度はその人物の不自然な自殺の解明に、家族が上訴して直訴しなければ、真相は解明されないらしい。

  この悪代官のごとき地方の首長は、今年の7月17日に法的手続きに入ったと言うようなニュースがあった。しかしその後今年の12月初めになっても、この事件の不自然な自殺の真相の解明については、全く解明が進んでいない。進んでいないどころか、マスコミはこのニュースを一切伝えなくなってしまった。この国ではマスコミも庶民の味方ではない。お上の都合が悪いことについては、口をつぐんでしまう。

  不都合な人物の不自然な自殺の解明について、家族は何回も司法解剖を要求していたが、その後どうなったのだろうか。地方当局はその死体を早く火葬にするように言っていたが、そのときは死体がまだ保存されていたようである。その後不都合な人物の死体はどうなったのだろうか? 

  中国のマスコミのみなさん、不都合な人物の不自然な死体がどうなったのか、是非知りたいのですが。死体がどうなったかではなくても、不自然な死であったと騒いだ、その真相は、他殺なのか自殺なのか、是非知りたいです。結構大きなニュースになった「ホワイトハウスの疑惑」に付いての結末が、今は何の報道も無くなってしまったのは不思議です。

  ことほどさように、中国の司法の、特に地方の司法の公正さ、独立性は極めて疑わしい。司法は独立していないのである。役職を金で売る、または買うと言うことも在り得る。役職を金で売らないにしても、親戚の姪っ子を裁判官にしてやるとか・・・・・。中国では意外に女性の裁判官が多い。国家司法試験が出来たようであるが、全ての裁判官が難しい国家司法試験を通った人達なのかどうか。この辺はまだ調べ切れていないのだが・・・・。

  ところで、8月8日に北京オリンピックの開会式があったが、翌日の9日に北京の「鼓楼」でアメリカ人の夫婦が中国人に襲われ、夫が死亡、妻が重傷を負う事件が起きた。この犯人も、実は数年前直訴をしたことがあるのだそうだが、オリンピックの前の8月1日にも「陳情受け付け窓口」を訪れたが、受け付けてもらえず、絶望して「鼓楼」まで行って、外国人を刺しに行ったとのことである。

  「中国の信訪制度」は、このような深い絶望とか、地方幹部の不正による被害を、国の権威で救ってくれるはずのものだったが、実際にはそれができないらしい。国が私の力で解決してあげますよ、と言っているようなのに、実は上訴者を地方に追い返したりしている。実に偽善的な制度なのである。上に書いた富窪高志氏は、これを「中央の政治的権威の流出」だと書いておられる。上に書いた「北京市接済サービスセンター」は、上訴者を助けるというより、追い返すほうに、力をいれているのではないだろうか。実際にオリンピック中、上訴者は殆どが地方に追い返されてしまった。

  富窪高志氏が書かれたレポートの中にも、直訴制度を充実させるより、行政などが公平に行われ、もし不正があっても、それは本来の裁判などで正しく解決できるようにする方が、本筋ではないのか、というようなこことが書かれていた。公平な行政や裁判が行われれば、直訴制度なんて必要ないはずだということだろう。

  そう書かれていても、中国では行政や裁判などが正しく行われることは、直訴制度が無い日本より、難しいのかもしれない。裁判でも救済できないので、中国ではやはり直訴制度が必要と言うことになるのだろうか。直訴制度があると言ってもそれは全く偽善的な制度なのであるが。