阜陽市の疑惑のホワイトハウス
(2008年7月5日)


  何と、中国の貧しい省の安徽省にも、豪華なホワイトハウスがあるのである。そのホワイトハウスが中国で知られるようになったのは、日本人が関係している。その日本人の名前は中国で結構有名になった。その阜陽市のホワイトハウスには疑惑が渦巻いている。しかも長い間、疑惑のまま放置され解決しないのである。疑惑に中には、賄賂、権利の乱用、行政と法院の結託、地方役人の利権の独占、それだけでなく殺人まである。殆ど全ての人はここに疑惑を感じている。それでも解決しなかった。そしてついに事件の黒幕が捕まった。しかし捕まってと言っても、解決できるのは全てなのか? 殺人の実行者と支持者の関係は明らかになるのか? それが明らかになったとしも、共産党の地方役人が、これほどまでに横暴に振舞える体制派は、改善できるのだろうか。氷山の一角に過ぎないのではないのだろうか。

  ある日本人のことから話しを始めると、2006年の春、日本のNGOメンバーの水谷准と言う方が、中国からの無償援助の要請にもとづいて阜陽市に視察に来たのだそうである。要請元の泉潁区の楊庄小学校に行って見てみると、屋根や壁に亀裂が入っているほどのオンボロだったので、後で、8万ドルの援助をすることが決まった。

  しかし水谷氏がそこから帰るときに、近くにホワイトハウスのような白い豪華な西洋式建物があったので、あれは何かと聞いてみると、なんと潁泉区の区役所であったのである。市のではなくて区のである。しかも小さい市の区である。それが後にサンケイ新聞に載り、あんな豪華な区役所があるのに、何で小学校があれほどオンボロで、無償援助を要請してくるのかと言うことがニュースになった。

  そのニュースが中国に逆に伝えられて、中国の奇怪さが日本にも見られてしまったと言うことで、阜陽市のホワイトハウスが有名になったのである。「白宮 日本人」と入力して中国のサイトを検索するとたくさんの中国語のブログが引っかかる。白宮とはホワイトハウスのことである。地方政府の権力を持った役人のやりたい放題や、子供の教育を重視していないなどを含めて、中国の面子を潰してしまったことでも相当話題になったらしい。

  楊庄小学校の方は、日本の援助だけではなく、その後国と潁泉区からもお金が出て、無事に校舎が新しくなったのだが、別の高井小学校というのがあって、その小学校は、ホワイトハウスを建てる場所にあったので、そこから追い出されてしまった。そこで仕方なく60年代に建てられ古い建物に移った。しかし、またその建物も取り壊されて別のところに間貸ししているのだとか。それならば高井小学校も国際援助を申請すればいいのかもしれないが、そんなことをすれば、また中国の恥を日本に知らせるようなものだからそれはできないだろう。

  このホワイトハウスは、1993年ごろに完成しているのだから、ホワイトハウスとオンボロ小学校の対比は、既に以前から存在していたのである。それが、2006年になって始めて日本人によって発見された(?)のである。中国人はこういう問題に鈍感なのかもしれない。

  いや中国人が鈍感なわけでもない。ホワイトハウスを作ったのは安徽省阜陽市潁泉区区党委書記の「張治安」であるが、その張治安はホワイトハウスを作っただけではなく、権力をふるい公金でさまざまな豪華設備を作り、それで金を儲けていたりしている事は、民衆によく知られていたことであるらしい。

  「疑惑の」とタイトルを付けたが、阜陽市は妖魔化都市とまで言われて、怪しいことや不正が次々と起こる都市として有名なのである。最近では奇怪な手足口病が流行した。日本では手足口病では殆ど死亡例が無いと言われているのだけれど、ここではかなりの幼児が死亡している。他にも偽粉ミルク事件とかもあるし、当然賄賂汚職方面についても、事件が発覚していて、前阜陽市委員会書記の王懐忠は最近極刑の死刑になった。

  張治安が作ったのは、小学校を追い出して、ホワイトハウスを作ったばかりではなく、何の土地利用変更の手続きも無く、700ha近くの肥沃な農地から農民を追い出して、循環経済圏、商業貿易街、工業団地などを作った。潁泉区生態園は、動物園、植物園、遊楽園、レジャーセンターから、ゴルフ場、競馬場、別荘までもある豪華さであって、貧乏な安徽省阜陽市潁泉区には、いかにも相応しくないものなのである。勿論ホワイトハウスもふさわしくない豪華な建物なのである。 費用は約3億8千万円ぐらいかかったとか。

  中国の土地開発と言うのは家族主義なのかもしれない。張治安の場合もこのような建設に親族を関係させ、利益を親族で独占しているようである。これは中国の伝統であるのか? 例えば阜陽には三つの国家AAAA級の風景区があるのだが、それの全てに張治安の親族が関係している。小張庄風景区は張治安の父親が計画したものだし、八里河南湖公園は、父親の弟とその息子が請け負ったもので、潁泉区生態園は張治安自身が2001年に潁泉区区党委書記になってから計画したものである。張治安の従兄弟も負けずに、迪溝生態旅游景区というのをつくっている。

  しかも一時は、親族10名が地方役人の重要な幹部として役職についていたのだとか。この一族は一連の賄賂関係でも捕まっていて、張治安の従兄弟が二人、張治安の妹の夫も捕まっている。張治安.自身も10万元の賄賂を贈ったと認定されている。しかし中国の法律では、何故か贈った側の罪は軽いのである。

  しかし実態がここまで分かっていても、中国の地方都市では、区の党委員会書記は倒されることはなかった。何故なら、区の党委書記と言っても、区では区長がトップではなく、共産党員の委員会書記がトップなのである。

  張治安には権力があって怖い物なしだから、もし李国福が張治安の不正を中央に通報するという行動を起こさなければ、何も怖い物は無かったのだろう。李国福も地方役人の一人であって、発展貿易局局長兼土地開発会社の会長、総経理などの地位にあって、甘い汁を吸える立場にあった。しかし張治安との関係が悪くなり、その職を追われてしまった。

日本の産経新聞に阜陽のホワイトハウスの件が載ったのは、2006年6月のことである。これが中国で知れ渡ったのは、2007年1月に「農村農業農民」と言う雑誌に「安徽省の貧困区に豪華区な役所が建ち、日本人が来て、倒れそうな小学校を修理した」と言う記事が載ってからのことである。その後後中国中央テレビでも、数々の新聞でもニュースにとりあげ、前出の水谷准氏のエピソードと共に、阜陽のホワイトハウスが有名になったのである。

  しかしここ阜陽市は、妖魔化都市であるであるから、数々の工事が、どら息子の工事、官の帽子を被った工事、目を養う工事、競馬場やゴルフ場までも作る楽しい工事、自分たちの懐に金が入る嬉しい工事、と、民衆に批判されていても、犯罪にはならないのである。阜陽市には地方役人の不正を正す能力は無いのである。それは検察や公安までつるんでいるからである。そのことは後から実例で示す事ができる。

  張治安は、雑誌に記事が載ったのは李国福が通報したからではないかと疑ったらしい。実際に2007年になると、李国福は訴状を持って、何回も上京し、中央のお上に訴え出る行動を起こすようになった。すると張治安も安閑としていられなくなり、李国福に罪を着せて逮捕し、監獄に押し込めた。

その後その李国福が監獄で不自然な自殺死体となって発見されたのである。そこでようやく多くのマスコミに、「直訴した李国福の奇怪な自殺事件」として取り上げられるようになった。

もし李国福が死ななかったら(李国福を殺さなかったら)、李国福を罪に落としいれて、監獄に放り込んだ程度だったら、地方役人の横暴を摘発できたのだろうか。やはり李国福を殺してしまったのが致命的だったようである。

  地方役人の権力者は凄いことまでやる。邪魔者を罪に陥れるのに、区の検察局まで動員して、罪を洗い出し、法権力をもって捕まえ、罪に陥れたのである。李国福は薬を買うという名目で、何回か北京の親戚の家に行って、滞在していたらしい。そして2007年の8月26日になり、李国福が北京から阜陽市に帰ったらその日のうちに捕まってしまった。妻と娘婿が自動車で迎えに行ったのだが、李国福を含めて三人が一緒に捕まってしまった。潁泉区検察院反汚職局局長の車が行く手を遮り、局長自らが李国福を捕まえたらしい。

  李国福の妻と娘婿はどこかのホテルに連れて行かれて、隔離審査渡と称する尋問を受けた。妻の方は5日5晩眠らせずに調べられたのであるが、34日後には釈放された。釈放される前に、李国福の孫娘の11万元の預金通帳が押収されていて、検察院は、その11万元を差し出せば、妻の方を釈放すると、要求したのだそうであるが、それは拒否したらしい。

  娘婿の方は、汚職財、証拠隠滅罪罪、犯人隠匿罪で起訴された。しかしその娘婿に対する公安局潁泉分局の通知書にあった二人の署名は消されていたのだとか。署名が無い拘留書で拘留されるとは!!!

  娘婿の方も、その言い分によれば、昼夜交代で調べられ、連日眠らせてもらえず、ついに汚職罪には署名していまったとのことで、今年の5月14日に、1年6ヵ月の有罪判を受けた。地元の潁泉区法院の判決であるから、有罪になるのは当然のように思える。しかし冤罪かもしれない。娘婿には、北京の人権派(?)の弁護士が三人も付いたので、これから二審が争われる。

娘婿についても金銭の要求があり、潁泉区検察院反汚職局局長自ら家族に電話が掛かってきた。娘婿は既に2万5千元の汚職を認めたので、それをを検察院に持ってくれば、問題はなくなるというものであった。家族がこれは何のための金かと聞いたところ、「ワイロ」と答えたそうである。しかしこの「ワイロ」とは、反汚職局局長が自分のものにする為の「ワイロ」であったのか、新に別の家族を罪に落とす誘いだったのか。いずれにしろ家族側は怪しいと考えて、「ワイロ」を差し出さなかった。

  李国福は、2007年の8月26日に捕まって、2008年3月13日に自殺死体で発見された。李国福が自殺した状況には数々の疑問があって、首や背中に大きな青痣があり、顔の様子も首吊り自殺した様子ではない。糖尿病で盲目になったと言われている李国福が、何故高いところに自殺用の紐が掛けられたのかの理由も明らかではない。自殺した近くに当直者がくにいたのに、うめき声も聞かなかったらしい。

  この事件二日目には早くも親戚筋の地方役人から家族に圧力が掛り、もうこれ以上騒ぎ立てなければ、娘婿の罪も無かったことにしてやる。仕事も今までどおり続けられるようにする。その替わり、李国福の死体は直ぐに焼いて欲しいというもうものであった。家族との間にそんな話し合いが有ったらしいいが、家族は死亡鑑定書を要求した。明らかに不自然な自殺であるのに、司法解剖もされていない。

  果たして提出された第一監獄病院が出した死亡鑑定書には、法医の署名も無い。鑑定医の意見欄にただパソコンの印字で首吊り自殺とかかれているだけでのものだったのだとか。 中国の地方官憲って、しれっとして、平気な顔で凄いことをやるようである。

  やはり李国福は北京の親戚に、直訴状を残していたらしい。「沢山の良田が踏みにじられ、数千の農民が涙を流している」という直訴状を残していて、既に直訴をしたのか、又は準備をしていたらしい。その中には、張治安の6っの罪状が述べられていて、例の小学校を退かして作ってホワイトハウスは違反建築だとか、原生生態園の中に作った、競馬場や、ゴルフ場、別荘の資金は水利費、教育費2000万元を流用したものだとか、もちろん黒い金で私服を肥やしたとかが、書かれていたのだとか。

  2008年3月13日に自殺死体で発見されたあと、事件はどうなったか? 実は「張治安」は6月5日にこっそり連れていかれた。 この時点では何の発表もなくこっそり連れて行かれたらしい。区のトップがいなくなってもニュースにもならないのは不思議な国である。連れて行ったのは誰か? 省の紀律検査委員会と省の人民検察院というところらしい。紀律検査委員会とはいわば身内の共産党委員を調べる組織である。 そういった部門はは、区にも市にもあるのだろうが、区や市の組織では、市や区のトップの共産党委員会書記などを、調べるなんてことはできないのだろう。もともと役人同士はつるんでいるのだである。つるんでいる証拠は、「張治安」が連れていかれた時、区の人民検察院検察長の汪誠も、反腐敗局局長の鄭涛も連れていかれたのである。

  6月5日に連れて行かれたのは、こっそりと行われたが、後6月23日になって、ようやく張治安が、停職になったことは発表された。

  しかし、今後の調査でどこまでが明らかになるのか。人々は人民検察院検察長の汪誠も、反腐敗局局長の鄭涛も一緒に連れていかれたことから、「直訴した李国福の奇怪な自殺事件」と関係があることと推定しているようである。

  しかし疑惑は「直訴した李国福の奇怪な自殺事件」だけではない。李国福が訴えようとしたことの、例えば農地の無許可転用、ホワイトハウスの違法建築の件、張治安の数々の不正、偽死亡診断書を書いたのは誰か、遺族と事件の取引を持ちかけた人物は罰せられないのかとか。もっとも根本的なことは、地元権力を握った共産党員の一族が、どうして地域開発を利用して利益を独占できたのか。娘婿の逮捕も冤罪だったか。もしそこまで事件の解明ができれば、本当に事件の解明ができたと言いえると思うのだけれど。そうでなければ・・・・・・。果たして全部解明でのだろうか?

  
追記

  今日(7月17日)のニュースを見たら、 ホワイトハウスの主人である張治安の案件は 司法手続きの中に入った」と言う見出しの記事があった。

  ここで別の気がかりな事があるのだが、殺されたらしい李国福の遺体はどこかに焼かれずに保存されているらしいのである。李国福の遺体を燃やしてしまえば、親族が穏やかに働けるようにしてやるなどと、張治安の一味の申し入れがあって、証拠隠滅を図ったらしいのだが、家族は拒否した。それで遺体は今でもどこかにあるらしい。

 月末の時点では確かに、遺体は焼かれていないようであった。しかし、既に張治安の調査が始まった現在でも、李国福の遺体の解剖が行われたというニュースはない。李国福の遺体を解剖すれば、自殺か他殺かハッキリすると思うのだが。

李国福は殺されたらしいということが新聞で言われるようになっても、中国の警察は動かなかった。遺体の解剖していない。むしろ早く遺体を焼いてしまうように催促さえしていた。不可解な中国の公安なのであるが。地方の公安ともなれば、共産党委員会の書記の下に平伏してしまう関係のなのかもしれない。しかし区のトップである共産党委員会の書記の張治安が捕まってしまった今でも、まだ李国福の遺体を解剖して、白黒を付けようとはしていないようである。

普通に考えても、遺体を一刻も早く解剖して、自殺か他殺かの結論を出すのが、事件解決への早道だと思うのだが、区の共産党委員会の書記である張治安が捕まってしまった今でも、まだ李国福の遺体を解剖して、白黒を付けようとはしないようである。自殺か他殺かの白黒を付けないつもりなのだろうか。まだまだ中国には不可解なことが多いようである。