生の牛肉を食べる

  学校の前の朝の自由市場を、5年ぶりに見て歩いたら、偶然修先生とその奥さんに出会った。修先生には6月の初め頃吉林に行くと、連絡しておいたのだが、何時吉林に行くかは言ってなかった。昼飯を食べて部屋に戻ると、修先生が尋ねてきてくれて、夜はご馳走してくれるということになった。

  修先生は一年前までは日本の大学で中国語の講師をしていたので、我が家に何回か遊びに来たことがある。息子さんと修先生とは、一緒にドライブに行ったこともある。奥さんが日本に来たときには、我が家に食事に来てもらったことがあるので、修先生一家とは全部顔見知りの人達であった。

  夕食は宴会用の中国料理で、最近流行の肥牛火鍋へ行こうということになった。肥牛火鍋は中国式しゃぶしゃぶであるが、ここでなんと生の牛肉を食べることになったのである。これにはビックリした。以前の中国では考えられないことでる。生ものは中国のタブーであった。中国では生卵さえも恐がって食べない。衛生上の問題からか、何でも火を通してから食べる。トマトやキュウリでも炒めて食べる。

  もっとも、以前から中国にも韓国料理があって、ここでは牛の肉を生のままで食べる。日本で食べる韓国料理のユッケと同じである。中国でもこれに生卵の黄味と混ぜて食べたかもしれない。しかし普通の朝鮮族ではない中国人は、生肉も生卵も絶対に食べないものである。極めて気持ちの悪い食べ物であるらしい。それなのに今回は特別な料理に違いないのであるが、生の牛肉をご馳走してくれたのである。そして修先生の奥さんも、私にこれは美味い物だから食べなさいと勧めながら、自分でも盛んに食べていた。食べ慣れているような感じであった。その生の牛肉の味であるが、これがなかなか美味いのである。

  以前の中国の牛肉というと、食用の牛というのは少ないらしいく、使役用の牛を食用に売っていたようで、肉は硬かった。自分で肉を買ってきても、筋だらけで決して美味い物ではなかった。それが、今回吉林でご馳走になった牛肉は美味かったのである。やはり中国では、ある部分では豊かになって、食用の牛が飼育される様になってきたらしい。そう言えば翌日も、北京ダックをご馳走になり、これも美味かった。以前の吉林にも北京ダックはあったが、あまり美味いとは言えなかった。そして以前には多かった伝統的な犬の肉の料理屋などは少なくなったような気もした。やはり吉林も急速に変わってきたのかもしれない。

  それにしても修先生には本当に散財をかけてしまった。肥牛火鍋と北京ダックを連日でご馳走になったほかに、修先生の自宅で手作り餃子もご馳走になり、大学の先生達と一緒に宴会まで開いてもらった。久しぶりに修先生に逢えて、歓待されてとともうれしかった。しかし修先生が日本にいた時に、私がどれだけ歓待したかということも気になってしまった。私も修先生を自宅に招いたり、ドライブに行ったことはあるが、外で、豪華な食事をご馳走したことはなかった。

  修先生の家は学校の近くに移っていて、新しい家であった。新しく購入したとのことであった。床は木のフローリングになっていて、革張りのソファーがあった。私の観測では、床が木のフローリングになっている家は、中国では中流以上ではないかと思う。息子には、見合いで見つけた綺麗な婚約者がいて、一緒に餃子を作ってくれた。私が、最近の中国ではやはり恋愛結婚が多いのでしょうと聞いたら、今でも八割位は見合い結婚だろうと教えてくれた。そういえば以前中国にいた頃も、日本語が話せる修先生には中国の実情をいろいろと教えて貰った。修先生はインテリであるから、中国の実情の説明も客観的で、中国の実情が良く分かった。