民家にひっそりと暮らす

  北京の郊外に借りている家は、建ったばかりの集合住宅の一部屋である。どうもハッキリとは中国のルールが分からないのであるが、外国人が普通の民家を借りて住むことは許されていない様であった。だから外国人がここに住んでいることが分からない様にしなければならないと思った。

  そうは言ってもひっそりと目立たない様に過ごすのは、なかなかむずかしい。例えば電話(雑貨屋の隅にある公衆電話など)を掛けに行くと、日本語をしゃべることがあるので、日本人であるかと聞かれてしまう。タクシーを利用すると、話の中からタクシーの運転士には日本人だと分かってしまう。そして何時も降りる場所が何時も同じであるから、この辺に変な日本人が住んでいることがばれはしないかと恐れた。実際にも同じ運転手に二度当たってしまい。この前乗ったことがあるだろうと言われたこともある。

  この市には合弁の会社で、日本向けの乳母車を作る工場があって、その工場で働いている人がアルバイトでタクシーの運転手をしていた。その運転手は日本に関心があるのか、どこに住んでいるのかしつっこく聞かれたしまった。この時は住んでいる所から離れた所でタクシーから降りた。

  階段ですれ違う人は挨拶をしない。隣人であるからといって積極的に隣人関係を築く様子はなかった。隣人に関心が無いみたいであった。これはこちらにとって幸いなことであった。

  服装が少し変わっていても、それだからと言って関心を示す様子もなかった。元々私の服装は、現地の人から比べても特殊なものではないが、旅行の行き帰りにはジーパンを穿いてザックを背負って出かけた。中国では中高年のジーパン姿が極めて珍しいものだと思えたが、それでも無関心の様であった。

  積極的に現地風の服装をしたこともある。暑くなってきた頃、ショートパンツ姿になり靴下に革靴を穿いて、ランニング姿でランニングの裾をまくり、腹を剥き出しにして、その腹を撫でながら歩いていると、私も現地の人に完全に同化出来たと思えた。このような姿は、つまり腹を撫でながら歩いている男は中国では確かに多いのである。

  帰国が迫ってきた頃になって、同じ階段で下の階に住む人が、「帰ってきたの?」と声を掛けてくれたことがある。続けて「貴方は何階か」と聞いてきた。私は「五階」と答えてそのまま行き過ぎた。このような人達と知合いになれれば、仲良くなって庶民の生活にとけ込めそうな予感した。しかし日本人であることが分かると困ると思い、それ以上の交際にはならなかった。公安の心配が無ければ、もっと付合いが深まったかもしれない。