旅行(りょこう)、旅(たび)とは、住む土地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくことである。
旅は見聞を広める。夫々の地域に生活があり、培われた文化、歴史がある。
旅は疲れを癒す事も出来る、未知への挑戦のチャンスにもなる、しかし、何もない旅も有る。
旅の先々で見た風景の写真を掲載しています。


 
    関東平野を一望!茨城県庁25階からの「眺望」

茨城県庁25Fの展望ロビーは、地上100メートルからの景色が楽しめます。 晴れた日には関東平野を
一望、筑波山や遠く太平洋まで見渡せます。ご家族やカップルにも人気のスポットです。
茨城県庁舎は、茨城県水戸市笠原町にあります。1999年3月に竣工した茨城県の行政の中枢となる施設で、1930年に竣工した先代の茨城県庁舎(3階建)がある水戸市三の丸から移転・開設された。
県庁舎敷地は、旧林木育種センター(森林総合研究所、現在は日立市)の跡地に建設され、
旧林木育種センターに存在した樹木を活用して、庁舎南側には緑地帯が整備されている。
総工費は約800億円。庁舎は、茨城県の建築物では最高層の建築物で、行政庁舎では11階から25階
までの吹抜け構造を取り入れている。
 
    小田原駅から遠くに見える小田原城

JR小田原駅、小田急小田原駅のホームから遠くに見える小田原城です、
15世紀頃の北条早雲の攻略以降、北条氏の本拠となった。北条氏は城を逐次改修し、
上杉謙信や武田信玄の侵攻をも退けた難攻不落の城となり、関東を制覇した。
豊臣秀吉が天下統一を目指し、4代氏政に降伏を勧告したが、これを拒み、土塁や堀で
総延長9kmにおよぶ総構えを構築した。しかし、城は1590年秀吉率いる軍に包囲され開城された。
明治に入り、小田原城の維持困難を理由に1870年(明治3)廃城を願い出て、
天守や櫓は民間に払い下げられ解体されたが、1960年に天守が再建された。
 
    芦ノ湖「海賊船」

古来東海道の要衝であり「天下の険」と謳われた難所箱根峠の麓には宿場や関所が置かれた。
その箱根には芦ノ湖があり遊覧船として海賊船風の船が運航している。
海賊船風の船は現在3隻が就航、写真は「海賊船」ロワイヤルII(2013年就航、定員 565名)から、
桃源台港と箱根町港・元箱根港とを結んで定期的に運航しており、湖畔の景色を楽しみながら、
芦ノ湖を優雅に周遊出来ます。元箱根港には箱根神社、箱根町港には箱根関所跡、恩師箱根公園や
旧東海道街道杉並木、桃源台港周辺には自然散策路等々があります。
1936年に国立公園に指定されている。
 
    「水戸黄門様御一行」の像

水戸黄門でおなじみですが、水戸市内には8体の黄門様の像があります。写真は水戸駅の改札を出た
ペデストリアンデッキに設置されている『水戸黄門様御一行』の像です。
水戸黄門は、権中納言だった江戸時代の水戸藩主・徳川光圀の別名称であり、
ご存知の様に、光圀は、『大日本史』編纂の為に史局員の儒学者らを日本各地へ派遣して史料蒐集を
行っているが、光圀自身は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている
程度で、諸国を漫遊したという史実はありません。
光圀は名君として評されているが庶民の間でも知名度は高く、亡くなった時には
「天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」という狂歌が流行ったそうです。

 
「造幣博物館」

毎年4月行われる桜の通り抜けは造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)
への一方通行(距離約560メートル)で行われます。前は淀川の支流の大川。

造幣博物館は、明治44年(1911年)に火力発電所として建てられた建物で、造幣局構内に残る
唯一の明治時代のレンガ造りの西洋風建物です、昭和44年(1969年)に建物の保存を図り、
当局が保管していた貴重な貨幣などを一般公開し、造幣事業を紹介するため当時の外観をそのままに
改装し、「造幣博物館」として開館された。
博物館には日本の造幣の歴史、大判小判、等の貨幣以外にオリンピック入賞メダル、
文化勲章等の勲章、外国貨幣も展示されています。