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濱口梧陵(七代目濱口儀兵衛)
妙見様の門前、ヤマサ醤油の工場に隣接した一角に梧陵の功績と人格を顕彰した碑があります。この碑は明治30年に建立され、「梧陵 濱口君紀徳碑」の文字は梧陵の友人でもあった勝海舟が自筆したもので、日本最初の文学博士の重野安繹の撰文、近代の芸術書道の祖と言われる日下東作の書によるこの碑は当時、その建立においては日本最高の組み合わせとも言われています。この碑は道路からやや奥まった場所にあり、木立に囲まれているため、気づかれにくい場所にあります。
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「坂本ケーブル・坂本駅」
比叡山延暦寺への東側のルートで、坂本ケーブルと呼ばれている。年末年始を除く冬期は、西側から比叡山山頂を目指すルートである叡山ケーブル・叡山ロープウェイがともに運休するため、その期間は当路線が唯一のルートである。
延長は2025mで1966年に群馬県の伊香保ケーブル鉄道が廃止されて以来日本最長のケーブルカーとなっている。
延暦寺駅、坂本駅は1927年の開業以来の建物で1997年に国の登録有形文化財に登録された。
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「延暦寺・根本中堂」
延暦寺は標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
延暦寺は比叡山の山上から東麓にかけて境内に点在する「東塔」「西塔」「横川」など三塔十六谷の堂塔の総称である。
延暦(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。
根本中堂には最澄の時代から続く「不滅の法灯」が、本尊厨子前の釣灯篭に灯っている、この法灯はに信長の焼き討ちで一時途絶えたが山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっており1200年間守り継がれている。
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「東 寺」
東寺は京都市南区九条町にある真言宗寺院の総本山、根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある寺院。
「「教王護国寺」とも呼ばれる、本堂講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像、向かって右には金剛波羅密多菩薩を中心とした五体の菩薩像、左には不動明王を中心とした五体の明王像が安置されている。
また、須弥壇の東西端には梵天・帝釈天象、四隅には四天王像が安置され、全部で21体の彫像が整然と配置され、立体曼荼羅を構成している。 |
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「東京都庁舎」
東京都第一本庁舎は高さ243mで、45階に展望室がある1988年4月着工、1990年4月完成、設計は丹下健三、施工は大成建設など12社JV、総工費は1569億。(第二本庁舎、庁舎共)
1970年代、丸の内の旧都庁舎の老朽化、狭隘化、分散化等の問題から、旧淀橋浄水場跡地に移転建設が進められた。
デザインは丹下健三の後期代表作のひとつになっている、新宿の高層ビル群の広場から見上げた写真です。
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「巡視船「かとり・つくば」
ポートタワーの前の「港」に係留されていた、巡視船「かとり・つくば」です。「かとり」(後方の船)は964.18トン、長さ77.82m幅9.64m最大搭載人員は41名、35ミリ機関砲を装備している。
「つくば」(前方の船)は195トン、長さ46.0m、幅7.5m、20ミリ機関砲を装備している。
「かとり」は遠洋を「つくば」は近海の巡視活動を行っている。 |
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「銚子ポートタワー」
千葉県銚子市にある、タワーです。
このタワーは高さ57.7mのツインタワー構造で、3・4階の展望館からは、雄大な太平洋、そして、漁船の出入り風景など漁港ならではの景観を楽しむ事が出来ます。
(案内文から)
竣工は平成3年6月、設計は㈱横河建築事務所、千葉県により、水産ポートセンターウォッセ21と並ぶ観光部門施設として建設された。
(鉄骨造りハーフミラーガラスツインタワー)
近くの「ウォッセ21」では、銚子の特産品等が販売されている。 |
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「日比友愛の碑」
第二次世界大戦で戦火を交えた日本とフィリピンが永く世界平和を祈念するために建立された碑。この碑はフィリピンのマヨン山に向かって建てられている、銚子の愛宕山「地球が丸く見える丘」展望館敷地内ある。
「碑文」 撰文 尾﨑士郎
此処に、われ等が恩讐を絶する日比両国の戦友百数十万の霊を慰むるための記念塔を立てる。悲しき歴史の運命について、われ等は今日言うべき言葉もない。この儚き民族の夢の影もなく消えていったあとに、祖国の難に殉じて倒れた魂の、声なき声を、われ等は心の底に聴く。希うところは、唯、この微かなる響きを透して、あたらしき民族の生命の芽生えんことのみである。愛情の最後の一滴を捧げつくして、侘しく滅びていった同胞の御霊よ。此処に永恒をつらぬく悲しき思いを、世界平和を築く荘厳なる理想と抱負に託して、こころしずかに眠れよかし。
昭和三十三年五月中浣
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「両国国技館」
両国国技館は東京都墨田区にある大相撲の興業の為の施設です。
両国国技館は一般向けの名称で正式名称は「國技館」です、現在の国技館は1985年1月から使用されており地上2階地下1階、総工費150億円で建設された。「國技館」の名称は旧国技館(本所回向院の境内)建設の折板垣退助を委員長として検討されたがなかなか決定できず、開館当初は「両国元町常設館」と書かれていた。作家の江見水蔭が執筆した開館式の案内分(相撲は日本の国技なり)にヒントを得て当時の年寄で検査役の尾車(元大関大戸平)が提案し決定された。
また、吊り屋根は伊勢神宮の御神木で造られている。
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「江戸東京博物館」
国技館の隣に位置する、失われゆく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示する事を目的に1993年3月28日に開館した。
設計は菊竹清訓で、地上7階、地下1階の鉄骨構造。
地上部の高さは約62mで、江戸城の天守閣とほぼ同じである。
5階と6階が吹く抜けの構造になっており、常設展示のほか、年に4,5回の企画展示や催し物などが開催されている。
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