「堀江水準標石」(浦安・清瀧神社)

明治5年(1872)、オランダ人技師リンドは、江戸川筋と利根川筋に水位標を設置し、水位観測を行い
また同時に、江戸川河口の浦安堀江から利根川河口の銚子の飯沼までの水準測量を行いました。
これにより、千葉県銚子市の飯沼観音(圓福寺)内に飯沼水準原標石を設置し、
利根川河口の飯沼に設置した水位尺を日本水位尺と名付け、水準測量の原点と定めました。
清瀧神社境内にある堀江水準標石は飯沼水準原標石とともに設置された日本最古の水準標石です。
清瀧神社の御祭神は、大綿津見神で、海事一切の守護と、各産業の繁栄・家内安全をもたらす神様です。

 
   「房総の郷土芸能・2016」

房総の各地で行われている民俗芸能の上演会、市原市市民会館で開催された。当日上演された芸能は
・浅間神社の神楽(千葉市)・菊田囃子(習志野市)・袖ケ浦囃子(習志野市)
・勝田の獅子舞(八千代市)・大塚ばやし(市原市)・登戸の神楽囃子(千葉市)
・鶴峯八幡の神楽(市原市)の7つの演目です。
写真は演目最後に演じられた市原市、鶴峯八幡宮に400年前から伝わると言われる
十二座神楽の中の演目「八幡様の舞」です。市原市中高根にある鶴峯八幡宮は鎌倉時代に宇佐八幡宮から
勧請されたと伝えられ関東に於いて鎌倉の鶴岡八幡宮、館山の鶴谷八幡宮と関東の三鶴と称されてきた。

   「平賀源内の墓

平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(諸説ある)。
高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では
成功しなかったが、物産開発に尽力し た。土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説?。
平賀源内は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で、安永8年(1779)に殺傷事件を起こし、
小 伝馬町の牢内で獄死、当地にあった総泉寺に葬られた、総泉寺が板橋区小豆沢に移転した後も
墓は当地(台東区橋場)に保存された。
昭和6年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備され、昭和18年に国史跡に指定された。
  日本橋川から見上げる「日本橋」

日本橋から船に乗り都心の川を探検・・・日本橋川から出航し、右手に日本銀行を
見ながら幾つもの橋の下をくぐり、川の周りには江戸城の外堀の石垣が所々に
残っています。また、見える見えないは別として日本武道館、靖国神社、
渋沢栄一の銅像等を過ぎ、日本橋川の上流に架かる最後の橋、三崎橋を過ぎて神田川に入る
正面に東京ドームが川幅は次第に広くなって隅田川と合流、隅田川を下り、船の後方は川の真ん中に
東京スカイツリーが見えます、日本橋川に戻る、日本橋・神田川ぐるり1周コースです。
写真は高速道路と日本橋。川面に吹く風が心地よいクルージングでした。

  「香取神宮」

下総国の一宮で、全国約400社の香取神社の総本社。香取神宮は鹿島神宮とペアで関東の東を護る、
地域全体の守護神です。延喜式によると、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで、その創建は神武天皇十八年(紀元前643)。
香取の森と呼ばれる12万3千㎡に及ぶ広大な境内には、樹齢1,000年と言われる
周囲約10mの巨杉の御神木をはじめ、老杉がうっそうと茂り、別名亀甲山と呼ばれています。
1970年の「よど号事件」で乗客の身代わりになって北朝鮮に渡った(当時)の運輸政務次官
山村新治郎(11代目)と並んでの父、山村新治郎(10代目、旧名直義))の胸像があります。 
  「CEATEC JAPAN 2016」

10月4日から7日まで幕張メッセで「CEATEC JAPAN 2016」が開催された。
17回目となる今年は、昨年までの「IT・エレクトロニクスの総合展示会」から「CPS(Cyber Physical System)/IoT EXHIBITION」に方針転換。
先端技術を中心に、データやサービスとテクノロジが“つながる”展示会を目指しているそうです。
コンシューマ向けの家電展示などが大幅に減っており、「ホームアシスタント」や8K放送などを紹介する
シャープ以外の電機メーカーはBtoB向けの展示が多い。
 
 
  第11回「再生可能エネルギー世界展示会」

第11回再生可能エネルギー世界展示会が今年は場所を横浜の「パシフィコ横浜」に移し開催されました。
本展示会は再生可能エネルギー・新エネルギー全分野をはじめ" 環境とエネルギー" に関わる最新の
製品・技術・サービス・情報などを紹介する展示会です。
機会があれば「基調講演」を聴講しています、2011年の震災の後は、原発の停止で自然エネルギーが
注目されましたが、昨今は原発の再稼働も行われ、あの頃よりは企業、大学での研究も
着実な取り組み、研究成果が紹介されていました。
 
 「日本民藝館・西館」

 「民藝」と言う新しい美の概念と普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、思想家の柳宗悦
(1889-1961)により企画され、1936年に開設された。
本館の向かい側に立つ西館は、栃木県から移築した明治初期の長屋門と柳の設計による
母屋からなっています
日本民藝館は京王井の頭線駒場東大前駅下車で徒歩7分、近くには加賀藩前田本家の前田侯爵邸洋館
(旧加賀藩邸後)、日本近代文学館、東京大学駒場キャンパス等があります。