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「CEATEC JAPAN 2012」
CEATEC JAPAN 2012が幕張メッセで開催された、写真は初日「キーノートスピーチ」開始前の様子です。本年の展示はスマートテレビ、スマートタウン、個人や生活、モビリティ、ビジネス、産業、社会システム全般がネットワーク技術を活用してつながり、IT・エレクトロニクスの技術革新が、我々の暮らしや社会全体を快適に、スマートな社会の構築を提案しています。また、デジタルネットワークからスマートイノベーションへ。各界のトップやオピニオンリーダーによる「キーノートスピーチ」をはじめ、海外から招待したエグゼクティブによる「ゲストスピーチ」などが開催されます。
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「千葉県西部防災センター」
西部防災センターは、千葉県民の防災に関する正確な知識と技術、防災に対する意識の向上を図り、災害時の自主的な対応力を育てるための防災体験学習施設です。
施設では①震度7の地震体験②風速30mの風雨体験③消火器の消火体験④119番通報⑤模擬火災での建物内避難(煙)体験⑥心肺蘇生体験等が出来る。インストラクターがツアー形式で案内をしてくれる。
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「東頭山 行元寺」
千葉県いすみ市にある、山号は東頭山、嘉祥2年(849年)慈覚大師によって開山された、東国最初であることから東頭山の名がある。行元寺には、波の伊八の異名で知られる、武志伊八郎信由(1751~1824)の写実的・陰影法・遠近法といった近代手法を駆使し、波がまさに崩れんとするその一瞬を見事に表現した「波に宝珠」「波に鶴」の欄間彫刻があります。また、公儀彫り物師、高松又八郎邦教(~1716)作の躍動する「龍」中央に雄雌の錦鶏を配した「牡丹に錦鶏」の岩絵絵具を駆使し、漆や金箔などを噛み合わせて優雅な彩色と、豪華絢爛の桃山文化の雰囲気の欄間彫刻が行元寺本堂にあります。
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「憲政記念館」玄関に立つ尾崎行雄像
憲政記念館は1970年(昭和45年)に議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民衆主義の認識を深める事を目的にして1972年(昭和47年)3月に開館した。敷地は高台で、江戸時代の初めには加藤清正が,その後彦根藩の上屋敷となり、幕末、藩主で大老の井伊直弼が居住し、明治時代になって参謀本部、陸軍省がおかれた。
尾崎行雄安----政5.11.20(18589)~昭和29.10.6(1954)神奈川県に生まれる、新聞記者を経て明治14年統計院権少書記官に任官、同年退官、その後立憲改進党の結成に参画、その後ジャーナリスト、政治家として活躍23年第一回総選挙に三重県から当選、以後昭和27年(1952年)まで25回連続当選した。文相、法相、東京市長等を歴任、「憲政の神様」と称された、28年の選挙で落選、翌年に逝去、号は「咢堂」。
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「国会議事堂」
国会活動の行われる主たる場所が国会議事堂です。議事堂は昭和11年に竣工し、建築費用は当時の金額で2750万円です。建築の期間は大正9年1月から昭和11年11月の17年で、構造は鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階(1部4階搭屋付)長さ、206m、奥行89m、高さ21m(中央塔65.5m)です国会の裏面から見た写真ですので、右側が衆議院、左側が参議院です、中央玄関奥の広間には、伊藤博文、大隈重信、板垣退助の立像があり、衆議院玄関には、尾崎行雄、三木武夫の胸像があります。外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には33種類の大理石、2種類の蛇紋岩をはじめ、沖縄県宮古島産珊瑚石灰岩、橄欖岩、黒髪石、尾立石、日華石などが使用されている、これらの石材は日本全国から取り寄せられた。
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「再生可能エネルギー世界フェア2011」
再生可能エネルギーの展示会が「幕張メッセ」で開催され、見学に行って来ました、本年で第六回です。本年は3.11東北大震災、福島原発事故、電力問題等の関連で、再生可能エネルギーへの関心は高くなって来ている。
特に「太陽光発電関連」の展示が大半を占め、風力発電、地熱発電は一部展示されてたいたものの、その他バイオマス等は無く、当面は太陽光発電が各メーカーの重点課題となっている。
また、太陽光パネルの「施工技術」が各社から提案されていた。
さらに、フイルム仕様の「太陽光発電シート?」も実用化されて来ていた。
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「CEATEC JAPAN 2011」
CEATECJAPAN2011が「幕張メッセ」で開催されて、解像度がフリハイビジョンの4倍の「4K」テレビ、さらに解像度を上げた「8K」テレビ、裸眼で見る事が出来る3Dテレビが出品されていた。さらに、本年は東北大震災、原発事故、夏場の電力不足等々から関心が高まっている、創エネ、畜エネ、省エネをコンセプトにした「太陽光、蓄電池、エネルギーのコントロール技術商品」等の関連商品を各メーカーが展示訴求していた。ITC商品では、今後の携帯の主流となるであろう「サマートフォン」の新製品が各社のブースで展示され「デモストレーション」が行われていた。また、会場に2011年「第26回スーパーコンピューティング会議」にて発表された、TOP500で世界第一を獲得した、理化学研究所と富士通が開発を進めていた、スパコン「京」の概要が説明展示されていた、「京」は毎秒8162兆回の浮動小数演算数を達成したのだそうです。
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「元枢密院庁舎」
旧枢密院庁舎(皇居内)・竣工1921年(大正10年)・設計は臨時議会建設局(矢橋謙吉)・鉄筋コンクリート2階建て。
枢密院庁舎は帝国議会議事堂(現・国会議事堂)建設の為の試作として建てられた。その後、この建物は最高裁判所仮庁舎や皇宮警察本部として使用された。
日本における枢密院は議長1名、副議長1名、枢密顧問(顧問官)24~28名(はじめ12人、明治23年25人、明治36年28人、大正2年24人)書記官長1人、書記官3人(但し、書記官長及び書記官は会議の議決に加わらない)により組織される、天皇の諮問機関。
憲法問題も取り扱った為「憲法の番人」とも呼ばれた、1888年(明治21年)創設、1947年(昭和22年)に廃止された。
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