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四街道「亀崎鉄橋の橋台跡」近くのお地蔵さん
亀崎地区の鹿島川沿いに、JR総武本線の前身である「総武鉄道」で使われていた物井川橋梁亀崎鉄橋の
橋台跡が残っています。「総武鉄道」は、明治27年(1894)に市川~佐倉間で開業し、昭和43年の複線化により
現在の線路に変更になるまで、蒸気機関車が走行していた。鹿島川(物井川)の低湿地を通るため、橋台の軌道敷
は盛土により築堤し、端部には土留めのための石を積み上げています。(四街道の歴史 よもやま話18より)
その跡地近くにあるお地蔵さんです。
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佐倉市太田「東泉寺」のお地蔵さん
佐倉市太田にある曹洞宗の寺院「東泉寺」にある6体のお地蔵さんです。
何故お地蔵さんは赤い衣装なのでしょうか?お地蔵様は子供を守る神様として信仰される事も多く、
自分の子供が元気に育つようにと、よだれかけや丸い頭にかぶせる頭巾を奉納するのだそうです。
なぜ赤いものを付けているのでしょう?魔よけの意味もあり、赤ちゃんやお地蔵様に赤いもの
を着せる風習があるようです。長寿のお祝いである還暦でも赤いものを身につけますが、
お地蔵様や赤ちゃんが赤いものを身につけるのと同様の意味だそうです。 |
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「2020年正月散歩道で見たお地蔵さん」
佐倉市城の麻賀多神社近くの道で散歩をしている人達を静かに眺めるお地蔵さんを見つけました。
地蔵菩薩は六道輪廻の辻に佇む菩薩と言われています。仏教では六道輪廻と呼ばれ、
六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらう為に各世界を見守っているそうです。
赤い服を纏い赤い帽子を被って2体のお地蔵さんがありました。何で赤い服なのでしょうか?解りません。
日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に「子供の守り神」として信じられておりよく
子供が喜ぶ菓子が供えられています。 |
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「2016年3月 線路脇のお地蔵さん」
「春」の暖かい日差しににつられて散歩を再開しました。
線路脇のお地蔵さんです、昔は年2~3回位の「衣替え」をされていましたが、もうお世話する人も居ません。
お地蔵さんの「季節の衣替え」はもうありません しかし、その代りなのか、お地蔵さんの前には花、飲み物
等、何かしらのお供え物があります。柔らかな日差しが燦々と降り注ぎ、駅前の「花壇」、そこに植えられた
草花は一杯の陽光を受けて色とりどりの花を咲かせています。
田植えはまだでが、水田の畔は固められ田植えの準備は着実に行われています。
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「2015年10月 線路脇のお地蔵さん」
「秋」の空の青さにつられて散歩を再開しました。
線路脇の最近、地蔵さんに赤い涎掛けが掛けられていました、それ以外は夏の暑さ等天候に晒されて、
服の色は真っ白に 色あせています、数年前までは季節毎に、服が変わっていました。
もう、お世話をする人が居なくなったのか、季節季節の衣替えはありません。
しかし、その代りなのか、お地蔵さんの前には何かしらのお供え物があります。
稲刈りが終わり、水田には何もありません。来春ま で休耕です、季節は秋、次第に深まって行く風景を
見ながら散歩を再開しました。 |
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「2015年4月 線路脇のお地蔵さん」
「春」の暖かさにつられて散歩を再開しました。
昨年(2014年)の春頃、新しく衣装替えがされていましたが、その後は風雨に晒され、朱色の服と帽子は
夏の日差し、冬の風で、色落ちし白くなっていました。
しかし、誰が供えたか?解りませんが、小さな牡丹餅が2個供えられていました、また、時期々には可憐な
花が両サイドの花瓶にひっそりと生けられています。今年の4月は肌寒い日と、暖かい日の寒暖の差が大きく、
毎日の散歩と言う事は出来ていません。しかし、暖かい日には青空の下、若葉と空に飛行機を見ながら、
ぶらぶらと散歩をして行きたいと思っております。
気が付きませんでしたが、もう、空には「つばめ」が飛んでいます。自然はちゃんと季節を運んできます。 |
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「2014年3月 お地蔵さん」
3月春近く、装いも新たなお地蔵さんです。
今迄年に3~4回位の衣装替えがされていましたが、ここ数年は着た切りの装いで
陽射しで色落ちした姿でしたが、3月の末頃新しく衣装替えをしたお地蔵さんの姿です。
今迄お地蔵さんの衣装替えをされていた方が、何かの事情で出来なくなり
着た切りだ有りましたが、今迄の方か、新しい方か解りませんが鮮やかの赤色の衣装に
変わりました。
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「奈良 興福寺近くのお地蔵さん」
奈良県奈良市にある興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。
その境内にある「南円堂」脇の階段を下がり猿沢池が見える右側にお地蔵さんがありました。
全国どの地域でも、多くの、お地蔵さんには何故か赤い涎掛けが掛けられていますが、お地蔵さんと碑が並び
興福寺境内とは違った雰囲気です
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