第9章 モンゴメリが遺してくれたもの(3)

さて、学問の世界でもようやくモンゴメリの文学的真価が問われ始めたようです。
カナダのモンゴメリ研究機関の公式サイトでは、「L.M.モンゴメリの作品評価の変遷」という項目で、「批評家やその意見に影響された読者によってますます少女向けの作品であると見なされるようになりました。」という過去のいきさつや、 「モンゴメリの学問的評価と本格的な研究が世論に追いつくにはもう少し時間が必要でしょうが」などという風に記されています。
(参照: http://lmm.confederationcentre.com/japanese/covers/collecting-7-1.html)

一方、日本では『赤毛のアン』の新訳を手掛けた松本さんの、

「モンゴメリは、アンを性的客体として鑑賞しようとする視線を激しく拒絶して書いた。実際、彼女は友人に宛てた手紙に書いている。少女の恋愛を書くことは世間が許さないのだと。」
「モンゴメリは明るい少女を描きはしたが、大人の女の真実、率直な心理や肉体の動き、欲望、不満を描いていない。」
(松本侑子訳『赤毛のアン』訳者あとがき p.525 、p.529)

という理解に類する批評家やその意見に影響された読者によって、ますます「アン・シリーズはモンゴメリにとっても不本意な作品」と見なされるようになってしまったようです。
しかし、私がこれまで集めてきたパズルのピースが浮かび上がらせたものは、そのような今風のフェミニズム的な像とは全く異なるものでした。
モンゴメリが描いていないと松本さんの言う「大人の女の真実、率直な心理や肉体の動き、欲望、不満」にしても、それは松本さんに見えるもの、松本さんの中にあるものとしては描かれていないのでしょうが、モンゴメリの、そしてアンの「周りの世界を切り取る感性」が捉えた「大人の女の真実」はアン・シリーズの中で存分に描かれたと感じる私。
そしてモンゴメリが描いたものの方が、松本さんが期待しているであろうものよりも、普遍的で本質的なものに近いと思います。

モンゴメリが描きたくても描けなかったものがあるとすれば、それは「言葉で表現された観念とはかけ離れたある秘密、謎めいた魅力を宿していると思われる詩」ではなかったかと思う私。
1931年、40年ぶりに父のいた町プリンス・アルバートへ向かうカナダ国有鉄道の中で、マクミランから送られた『ジョン・オー・ロンドン』誌を退屈しのぎに読んだモンゴメリは、そこに載せられていたポオの「ある詩の中に美わしき物を発見」します。

私は日々を夢うつつで過ごす。
そして夜毎の夢の中では
君の黒い眼が輝き ---
君の素足が白く光る。
ああ 永遠の流れのほとりの
なんという その軽やかな踊り。
(エドガー・アラン・ポオ「天国のある人に」の最終連。入沢康夫訳)

モンゴメリは最後の二行に「抗しがたい魅力」を感じ、繰り返し読み返しては「そのたびに体を伝って走る身震いするような魂の法悦」を感じたといいます。
それは「ほとんど苦悶といっていいほど激しいものでした。でも、なぜ --- なぜなのでしょう?」と書き記すモンゴメリ。(『モンゴメリ書簡集I』p.191〜192)

そして、『ザノーニ』を生涯に渡って愛読したモンゴメリ。
文字ではとうてい表し得ない、カーテンの向こうに見えかくれする魔法のような世界の秘密を、物語ではなく一遍の詩にしたためたいというのが、モンゴメリの心の奥底に秘められた夢だったのかもしれません。
もちろん、だからといってアンのお話のような物語を書くことが嫌だった訳ではなく、それらを書くことが彼女にとっての ' Hill Road ' だったはずです。
彼女が坂を登る途中で遺した作品の数々、『夢の家』やアン・シリーズの最後の作品である『幸福』や『炉辺荘』の随所に「体を伝って走る身震いするような魂の法悦」を感じる私からみると、モンゴメリは十分に夢をかなえているように見えます。
しかし、' Hill Road ' を自分が寄って立つ信条としたモンゴメリにしてみれば、登るべき新たな山は永遠に目の前に現れ続けるものだったのでしょう。
その夢をこれ以上追い求めることができない晩年の病の身の上、というより新たな山を登る意欲が湧き出ないという現実が突き付ける自分自身の限界が、何よりも辛かったのではないか、そう思えてなりません。

人間の真実の輝きに溢れた物語を綴ったモンゴメリ。
それは単なる少女向けのお話ではなく、主人公と自分の人生体験を重ね合わせることによってのみ触れることのできる世界。
彼女の作品の価値は、学問的に明らかにされるまでもなく、多くの読者たちに感じ取られるものだったからこそこれほどまでに広く長く読み継がれてきたのでしょう。
そして今、電飾に照らし出され『空に輝く星もない夜』に近づいた時代の夜空にも、モンゴメリの月明かりが射し込む様が見える私です。

' I wonder if, a hundred years from now, anybody will win a victory over anything because of something I left or did. It is an inspiring thought. '

「いまから百年後になって、だれかが、わたしの遺すものやまたしたことによって何かに勝つことがあるだろうか。こう考えるだけで奮起せずにはいられない。」

(村岡訳『エミリーはのぼる』P.9)

モンゴメリというジグソーパズルは、これにてひとまずおしまい♪



(番外「『心の同類』考」を追加しました。ページをめくって下さい♪)

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