第9章 モンゴメリが遺してくれたもの(2)

モンゴメリはいつでも、現実への絶望を創造の世界へと昇華させることで精神のバランスを保った作家でした。
夫の精神的病い、親友の死、共産主義とナチスによる戦争の影、大恐慌による不況、そして長男との不和という後半生の暗闇の中でも、より一層の光を求めたモンゴメリが手にした果実がアン・シリーズの最後の二作品、『幸福』と『炉辺荘』だったのでしょう。
しかし、激化する一方の戦争のニュースや、唯一の救いである次男が徴兵されてしまうという現実を前にした年老いたモンゴメリは、1940年の後半に不注意から手を痛めてペンを握ることができなくなったことをきっかけに、何よりも大切な創作への意欲を失ってしまうのです。

かつて若い時分にウィーバーに書き送った「Go!」と言える母親の気概は、もう残されていませんでした。
モンゴメリは自身の神経衰弱の治療を諦め、1942年の4月24日にその67年の生涯を終えたと伝えられています。

「親しい友よ
お見舞いの品をありがとうございました。
具合は良くありませんし、良くなることもないでしょう。
でも、わたしたちの長年の友情を神に感謝しています。
たぶん、もっと幸福な別の世界に生まれかわったときに、再びこの友情のつづきを持てるでしょう。
この一年間は絶え間のない打撃の連続でした。
長男は生活をめちゃくちゃにし、その上、妻は彼のもとを去りました。
夫の神経の状態は、わたしよりももっとひどいのです。
わたしは夫の発作がどういう性質のものか、二十年以上もあなたに知らせないできました。
でも、とうとうわたしは押しつぶされてしまいました。
今年は、あなたに送る本を選びに外に出かけることはできませんでした。
皮下注射していただかなかったら、この手紙を書くことさえ無理だったのです。
あれやこれやのことに加えて、戦況がこうでは、命が縮んでしまいます。
もうすぐ次男は兵隊にとられるでしょう。
ですから、わたしは元気になろうという努力をいっさいあきらめました。
生きる目的がなくなるのですから。
神があなたを祝福し、この先長きにわたってあなたをお守り下さいますように。
わたしは、今まで、あなたの友情とお手紙ほど大切にしてきたものはほとんどありません。
かつてのわたしを覚えていて下さい。
そして、今のわたしは忘れて下さい。


真心をこめて 
おそらくこの手紙が最後のものとなるでしょう
L.M. マクドナルド」

(1941年12月23日『モンゴメリ書簡集I』p.252〜253)

このマクミランへの最後の手紙から改めて思い起こされるのは、モンゴメリが文通の最初の頃、1904年11月にマクミランに送った手紙の一文です。

「わたしは《恋人の小径》を通り抜けました --- 娘らしい愛らしさをたたえた、六月の《恋人の小径》ではなく、つらい涙を流しては齢を重ね、賞賛という衣をまとうように悲しみで全身をおおった婦人の美しさを持つ《恋人の小径》を。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.9)

モンゴメリは、かつて予感した通り「悲しみで全身をおおった婦人の美しさ」でその生涯を閉じたのではないかと思われてなりません。
梶原さんの著書によると、「モンゴメリがマクミラン氏に宛てた八十通余りの手紙の束は、運のよいことにトランクに入れられたままのこっていた」(『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』p.220)そうですが、マクミランはモンゴメリを「同類」として誰よりも理解していたからこそ、彼女からの手紙の束を公表せず、そっと旅鞄の中にしまったのではないでしょうか。

その後モンゴメリは、1941年12月26日にウィーバーへ次のような最後の手紙をしたためています。

' My dear friends: --
A hypo enables me to hold a pen for a few moments.
Thanks for your book.
I will read it if I ever am able to read again.
I am no better and have had so many blows this year I am quite hopeless.
I hope you are both well.
My husband is very miserable.
I tried to keep the secret of his melancholic attacks for twenty years as people do not want a minister who is known to have such
but the burden broke me at last, as well as other things.
And now the war.
I do not think I will ever be well again.
I wish you a 1942 as good as can be hoped for.


Yours sincerely,
L.M. Macdonald '

(1941年12月『ウィーバー宛書簡』p.263)

「親愛なる友へ
皮下注射で少しの間ペンをとることができます。

本を送っていただきありがとうございます。
また再び読めるようになったら、読もうと思います。
私の具合はよくありませんし、この一年は打撃の連続で絶望的な状態です。
お二人ともお元気のことと思います。
主人の状態はとても悪いです。
私はこの二十年というもの、主人の躁鬱の症状を秘密にするよう努めてきました。
牧師がそのような病を持つことを人々は望まないでしょうから。
でも、その他もろもろの災厄と共に、ついに私は力尽きてしまいました。
そして戦争です。
私の病が良くなることはもうないでしょう。
1942年が、あなたがたにとって良い年でありますようにお祈りしています。


敬具
L.M. マクドナルド」

(水野暢子 訳)

マクミランと比べてやや簡潔な印象ではありますが、気の置けない友への愛情が感じられるウィーバーへのラストレター。
その簡潔さのためか、ウィーバーはそれが最後の手紙になるとは思っていなかったようで、たまたまつけたラジオのニュースがモンゴメリの死を報ずるのを聞いて驚いたと記しています。(1941年12月『ウィーバー宛書簡』の注釈p.263)
かつてウィーバーに、

' I sincerely hope our exchange of letters will last for another twenty five years.
Then you can write - if anyone wants to read it! -
on "A Half Century of Correspondence with an old lady of the Last Century."'

(1926年7月『ウィーバー宛書簡』p.136)

「あと四半世紀も文通が続くといいですね。
そしたら『前世紀の老女との半世紀に渡る交流』というタイトルの本を書いてもいいですよ、読みたい人がいればの話ですけどね!」

(水野暢子 訳)

なんて冗談を言っていたモンゴメリ。
彼女の中に棲む「ユーモアの小悪魔」のいたずら相手にされたのは、詩的なマクミランよりも生真面目なウィーバーだったのかも・・・と思う私ですが、最後の手紙に小悪魔が現れていないことを一番寂しがったのもウィーバーだったのかもしれません。

大きな悲しみに押しつぶされたモンゴメリが、その波乱に満ちた生涯を閉じたのは、マクミランとウィーバーそれぞれに告別の手紙を認(したた)めた4か月後のことでした。





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