第8章 モンゴメリの旅路の果て(3)

「九月一日に新作の執筆に取りかかり、大みそかに完成し」たという『炉辺荘』。
前回の『幸福』を「五か月で書きました --- 『赤毛のアン』を書いてからというもの絶えてなかった離れわざです。」と書いているところを見ると、『炉辺荘』はモンゴメリの執筆最短記録かも!?
モンゴメリは『炉辺荘』を執筆し始めた1938年9月前後の状況について、1939年の3月に次のようにマクミランに書き送っています。

「八月になると、二年以上の長きにわたる苦々しい心配の種が突然に、しかも思いがけなく取り除かれました。もちろん、わたしの回復にとっては大助かりでした。眠ることも --- 食べることも --- 仕事をすることもできるようになったのです。ああ、ふたたび仕事をして --- しかもそれを楽しむことができるって、なんて仕合わせなことでしょう!」
(『モンゴメリ書簡集I』p.236)

ここで書かれている、「二年以上の長きにわたる苦々しい心配の種」とはどんなものかは、手許の資料からはわかりません。しかし、それが取り除かれたことで溢れ出すイメージの勢いそのままに、一気に描けた作品なのだと思うのです。
一方、『幸福』を書きはじめる前年の1934年には、モンゴメリはウィーバーへの手紙に' Hill Road '坂を登る道)という詩を綴っていました。

' Come away from gentle valleys of forgetfulness and sleep,
To the magic of the pineland, tang of the untrodden steep,
Where the wild and lovely winds of God from crags to crags may leap.

Ah, 'tis hard and steep for climbing, this austere, disdainful hill -
Ay, but think ye of the rapture immemorial that will thrill
On its crest our hungry, seeking souls, as rains the streamlets fill.

Valley dwellers never know it - never know the faint and far
Pinnacles of azure lifting, lifting to the evening star,
Never know the lofty pastures where the flocks of heaven are.

And when we have reached the summit shall we find surcease of time,
Some fair city never made with hands unchanging and sublimeω
Nay, if God be good to us we'll find another hill to climb. '
(『ウィーバー宛書簡』p.215)

怠惰な眠りに満ちた穏やかな谷から抜け出て、
誰も知らない険しい松林、その香りに満ちた不思議な斜面に足を踏み入れると、
そこは神の激しくも愛に満ちた風が岩から岩へと吹きわたる場所。

あぁ、厳しく見下ろすこの山の、登るにはつらく険しいことよ
だが、太古の昔から我を忘れて登った者たちを思えばこの心は震える
小川を満たす雨粒のごとく、そこへ至ることを渇望した魂があの頂きを満たしているのだ。

谷に住む人々は知るべくもなし - その目眩のする遠い道の先にある
宵の明星に届かんばかりの空色の高き峰を、
天上に住む人々が群れをなす遥かなる牧場を。

山頂に立ったとき、そこでは時の流れが止まり、
荘厳で変わることのない、あり得ぬほど麗しい都市が見えるのだろうか?
否、神の慈悲あらば、われらはそこにまた登るべき山を見い出すであろう。


(水野暢子 訳)

モンゴメリはこの自作の詩について ' the philosophy I've always lived by, '私が寄って立つ信条)であると紹介しています。
彼女にとって創作は、一つ一つが山頂への険しくも大切な道のりでした。そして、その信条を綴った詩を友に書き送ったのは、遥か彼方へと連なる嶺々の頂のひとつが目の前に迫っている、という感覚の中に彼女がいたからなのかもしれません。つまり、「アンの幸福」はモンゴメリの幸福そのものだったのだと私には思えるのです。

ところで、先ほど「『炉辺荘』はモンゴメリの執筆最短記録かも」と書きましたが、翻訳家の掛川さんが『夢の家』の訳者あとがきで「シリーズのなかで、いちばん短期間で書き上げています」と指摘されているのは、アン・シリーズの中でも私の一番のお気に入りの『アンの夢の家』。
たしかにモンゴメリの日記を詳しく読むと、『夢の家』を1916年の6月16日に執筆し始め、10月5日に完成させていることがわかります。
モンゴメリはこの作品を、なんと3か月半で書き上げているのです。おまけにその物語を描き終えた当時、

' Myself, I think the book is the best I have ever written not even excepting Green Gables or my own favorite "The Story Girl." But will the dear public think so? ' (Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II: 1910-1921 p.222)

「『赤毛のアン』や自分でも気に入っている『ストーリーガール』と比べても一番の自信作」(水野暢子 訳)

とも評しています。
しかし、驚くなかれ!
モンゴメリの最後の日記(Selected Journals of L.M. Montgomery Volume V: 1935-1942)には、


◎『幸福』は1935年8月12日〜11月25日の3ヶ月少々で書かれ、1936年の1月27日に校正が終わっている。
◎『炉辺荘』は1938年9月12日〜12月8日の3ヶ月弱で書かれ、1939年の1月16日に校正が終わっている。

ということが書かれているのです。
つまり、『幸福』は3ヶ月少々で脱稿し5ヶ月少々で校了、『炉辺荘』は3ヶ月弱で脱稿し4ヶ月少々で校了していることになります。このページの始めに紹介したマクミランへ宛てた手紙で、『幸福』を「5ヶ月間で書いた」と記していたのは、校正の期間を含めてのことだったようです。

また、『炉辺荘』を「九月一日に新作の執筆に取りかかり、大晦日に完成した」と書いていたのも、マクミランに対してキリの良い期間として表現されたものと思われます。


掛川さんが最も短い期間で書かれたとしている『夢の家』は、1916年6月16日〜10月5日の3ヶ月半少々で書かれ、1916年11月24日までの5ヶ月少々で校了しています。
それに比べ、『炉辺荘』は校正期間も含めてみても一ヶ月も短い期間で描いた作品ということになります。
『夢の家』の前後の物語として、後年になって補完するように綴った『幸福』と『炉辺荘』。
彼女の現実の時間では20年もの時を隔てながら、アンの結婚の前後の物語を驚くべき早さと満足感を持って仕上げたモンゴメリ。
彼女が、アンの人生を通して描き出したいと願ったものは何か、自ずと判ろうというものです。

さて、モンゴメリの最後の日記を読み進めて驚いたのは、『幸福』や『炉辺荘』へのモンゴメリの想いが、私の想像以上であったこと。


'I finished Anne of Windy Willows today. I have enjoyed writing it. I think I recaptured the old atmosphere reasonably well but that is one of the things a writer cannot judge for herself. ' (Nov.25, 1935)

「今日、『幸福』を書き終えました。楽しみながら書きました。あの頃の空気をかなりうまく捕まえていると思いますが、その点は、作家が自分でジャッジできないことの一つでもあります。」(水野暢子訳)


' I have been reading over the MS. of Windy Willows and find it better than I had thought it. '(Dec.3, 1935)

「『幸福』の完成稿を読み返してみて、思った以上によく出来ていると思います。」(水野暢子訳)


' On this hot dark muggy day I sat me down and began to write Anne of Ingleside. It is a year and nine months since I wrote a single line of creative work. But I can still write. I wrote a chapter. A burden rolled from my spirit. And I was suddenly back in my own world with all my dear Avonlea and Glen folks again. It was like going home. But my eyes bothered me a good deal while writing. '(Sept.12, 1938)

「こんな薄暗くて蒸し暑い日に、私は座って『炉辺荘』を書き始めました。1年と9ヶ月ぶりに創作に値する1文を書いた訳です。でも私はまだ書けるようです。一章を書きました。心の重荷が取り除かれました。そして私はすぐさま再び、愛するアヴォンリーとグレンの人々のいる私自身の世界へと戻りました。まるで家に戻ったように。でも私の両目は、書いている間中、私を悩ませました。」(水野暢子訳)


' Wrote another chapter today and hated to stop. It is heavenly to be able to lose myself again in my work. ' (Sep.13, 1938)

「今日もうひとつの章を書き上げ、そのまま書き続けていたいと心から思いました。再び仕事に没頭できるなんて天にいるような心地がします。」(水野暢子訳)

' I had another letter today from a woman who had just read Windy Poplars. She said in conclusion "Thank you for the simple charm of people, humor and quaintness---for a wisp of fairyland---for the scarlet, purple and blue!"
When dreariness and fear threaten to overwhelm me I shall remember this letter and say to myself, "Take heart my child. As long as you can bring a little delight or comfort into the lives of others life is worth living. And there are countless lives waiting for you yet in the years of eternity and in stars yet unborn." '
(Sep.24, 1938)

「今日はまた別の、アンの幸福を読み終わったばかりの婦人から手紙をいただきました。彼女は末尾で『人々の素朴な魅力やユーモア、そして古風で趣のある世界をありがとう---それは妖精の国の一束のようでした---深紅と薄紫と青色の!』と言っていました。
侘しさと恐れに圧倒されそうになる時、私はこの手紙を思い出して、自分にこう言ってやるつもりです。『元気を出しなさい。他の人々の人生に喜びや慰めを少しでも運び込むことが出来る限り、あなたは生きる価値があるのです。そして永遠なる時の中、いまだ生まれえぬ者たちや、いまだ生まれ得ぬ星々の、数えきれない命たちがあなたを待っているのです。』」
(水野暢子訳)


' I have about half of Anne of Ingleside written. Some days I enjoy writing it---other days I am just draggy enough. ' (Oct.17,1938)

「『炉辺荘』の約半分を書き上げました。書くことが楽しい日もあり---ずるずると重たく感じられる日もあり。」(水野暢子訳)


' I finished Anne of Ingleside today---my twenty-first book. I always wonder now if I will ever write another one. There are lots I want to write---but I am getting a little tired. I love to write still---I will always love it. But--- ' (Dec.8, 1938)

「『炉辺荘』を書き上げました---私の21冊目の本。また別のを書くことがあるのかしらといつも思います。書きたいことはたくさんあるのです---でも、私は少し疲れやすくなりました。書くことをまだ愛しています---これからもそうでしょう。でも---。」(水野暢子訳)


なにより私が嬉しかったのは、モンゴメリの最後の住処である「旅路の果て」に『アンの夢の家』の表紙絵が飾られていたことです。("The Selected Journals of L.M. Montgomery" VOLUME V: 1935-1942 p. 14)
出版社から届けられた初版本を手にしたモンゴメリは、その表紙絵を評して「25才のアンが17歳の娘のように若く描かれ過ぎている」と言っていました("The Selected Journals of L.M. Montgomery" VOLUME II: 1910-1921 p. 222)が、その表紙絵の原画をずっと大切に飾っていたんですね。
やっぱり『夢の家』は最後まで、彼女の一番のお気に入りだったということではないでしょうか。

ところで、先にモンゴメリの日記(Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II: 1910-1921)から引用した


' Myself, I think the book is the best I have ever written not even excepting Green Gables or my own favorite "The Story Girl." But will the dear public think so? ' (Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II: 1910-1921 p.222)


という箇所のなかでも、私的にツボだったのがこちらの一文。

' But will the dear public think so? '

「でも愛しの世間さまは、そう思ってくれるかしら?」(水野暢子 訳)

松本侑子さんや梶原由佳さんを筆頭とする新解釈派の方々のように、アンは結婚などせず、よしんばしたとしても仕事を止めない「自立した」女性であって欲しいと願う読者には、自分が描きたかった大人のアン像は不評であろうことが、千里眼を持つモンゴメリにはお見通しだったのかも。松本さんのようなファンの方たちこそ、今も昔もモンゴメリが苦手とした「the dear public(愛しの世間さま)」だった、ってことなのかもしれません。

というわけで、本当のアンとモンゴメリを知るためのジグソーパズルのピース集めも、いよいよ佳境に入ります!





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