第8章 モンゴメリの旅路の果て(2)
伝記作家や研究者によって、今ではすっかり「アン・シリーズにうんざりしていた」と信じられているモンゴメリ。
それでは何故、死の数年前に描いた物語が一旦書き終えたはずのアン・シリーズだったのか?
何故、シリーズの途中となる4巻目と6巻目に位置づける『幸福』と『炉辺荘』を後から書き足したのか?
という私の当初の疑問も、自ずと答えが出たように思います。
「わたしは『アン』シリーズの新作 --- 『風そよぐポプラ荘のアン』!!(邦題『幸福』) --- を書き終えて、出版社に渡したところです。
出版社のほうがぜひともそれを書いてほしいといってきていたのです。 --- 例の映画が放映されたあとですので、商売的に絶好の企画と考えたわけです。
というわけで、いやでいやで仕方がなかったのですが、承知しました。
最初は『アン』シリーズの世界に《引き返す》ことなどとてもできないと思いました。
もう別世界であるように思われたのです。
でも、いったんその仕事に突入してみると、世界が発狂する以前のあの黄金時代に引き返す道をまるで本当に発見したかのように、それが可能であると思いはじめた --- いえむしろ、それを楽しみ始めた --- のでした。
『島のアン』(邦題『愛情』)と『アンの夢の家』にはさまれた三年間、つまりサマーサイドで教師生活を送るアンの物語を書きました。
たとえ部分的にせよ、当時の気風・雰囲気をうまく思い出すことができたかどうか分かりません。
この点に関するあなたのご意見を、首を長くして待っております。
この本は今秋出版されることになっています。わたしはこの作品を五か月間で書きました --- 『赤毛のアン』を書いてからというもの絶えてなかった離れ業です。
もちろん、現在は以前よりも執筆時間を多く持てますが、それにしても息のつく間もないほどの苦行でした。
これで十九冊目というわけです!!」
(1936年3月『モンゴメリ書簡集I』p.218)
「九月一日に新作の執筆に取りかかり、大晦日に完成しました。
『炉辺荘のアン』という作品です。
その通り、またまた『アン』シリーズの一冊です。
不承不承だったのですが、執筆を請い続ける出版社に応じたというわけ。
でも、アン・ブックスを書くのは利益になるようです。
ハリウッドのRKO社が、ほんの二、三日前に、『風そよぐ柳荘のアン』(幸福)の上映権を買ったのです。
これはうれしい刺激でした。
その上、RKO社は『アンの夢の家』のオプションをほしがっています。
『風そよぐ柳荘のアン』(アメリカ版は『風そよぐポプラ荘のアン』)です)をどんなふうに映画にするつもりなのか想像もつきません。
この作品は、一連の相互につながりのない話を、アンを縦糸にしてつなぎ合わせたものなのですから。
でも、多分原作にはない話をたっぷりとでっち上げて注入するのでしょうね。
『炉辺荘のアン』は実のところアンよりもアンの子供たちを扱ったものですので、『アン』シリーズの他の作品には《及ばない》と思います。」
(1939年3月『モンゴメリ書簡集I』p.241)
出版社に乞われて仕方なく執筆した、というのはきっかけとしては事実なのでしょう。
しかし本当に書きたくなかったのなら、書くべき理由が感じられなかったのなら、断ることもできたでしょう。
モンゴメリはこの時すでに、イギリスからは勲章を授与され、フランスからも芸術院会員に選ばる、カナダを代表する作家でした。
儲けたがる出版社の期待に応えて書いた、というのは彼女一流の謙遜であって、「世界が発狂する以前のあの黄金時代に引き返す道」を楽しみながら書いたというのが本当のところだったのではないでしょうか。
確かに1929年の大恐慌の後、モンゴメリは資産的な苦境に見舞われていたことが想像されますが、最期の二作品の執筆の原動力は経済的なものというより、やはり作家が求め続けた「不滅の真理」への挑戦だったと思います。