第8章 モンゴメリの旅路の果て(1)


モンゴメリが没する6年前の1936年に出版された7作目のタイトルは『Anne of Windy Willows(風そよぐ柳荘のアン)』。
『アンの幸福』と邦題がつけられたこの物語の舞台はプリンスエドワード島のサマーサイドという町です。
アンが22〜25歳の3年間を過ごす場所にサマーサイドという実在の地名をあてたのは、誰の人生にも訪れる美しい季節のかたわら、という意味も込めたかったからでしょうか。
アンのギルバートへの恋文という形式で綴られたこのお話。
モンゴメリというジグソーパズルのピースをあれやこれやと集めるなかで、あらためて読み返してみた私ですが、いつの間にかマクミランやウィーバーへの手紙を読んでいる錯覚に陥ってしまい困りました。

『幸福』は、アンの下宿先の柳風荘、サマーサイドの町を牛耳るプリングル一族の長老婦人二人の住む楓(かえで)屋敷、アンが校長を勤める中学校、そして柳風荘のお隣にある常盤木(ときわぎ)荘など、様々な昔ながらの建物を舞台に多様な人物たちが老いも若きも、アンとの日常の交流を通じてそれぞれの精神の自由に目覚めていくというお話です。
中でも常盤木荘の囚われの少女・エリザベスが、父親と再会して幸せになるというストーリーには、エリザベスがアンと同じ誕生日という設定からも、作者自身の幼少の心をアンを通じて解き放ちたかった思いが感じられます。
いずれにしろ、一筋縄ではいかないリアルな人間模様を縦糸に、モンゴメリ一流のユーモアを横糸にして小粋に織り成された『幸福』というタペストリーには、世の中そんなに捨てたもんじゃない、という気分が溢れていますが、そこに漂う空気はモンゴメリの祖母の時代のものなのかもしれません。

そして、モンゴメリが最後に仕上げた作品もやはりアンでした。
アン・シリーズ8作目の『Anne of Ingleside(炉辺荘のアン)』が出版されたのは1939年。
『リラ』のタイトルにも使われていた「Ingleside」という言葉は、「炉辺」のことですが、転じて「家庭」という意味もあるそうです。
両親と早くに離別するという寂しい幼少期を過ごしたモンゴメリ。
だからでしょうか。
その生涯の最後に描いた物語は、村医者の妻であるアンが悩んだり迷ったりしながら子供たちを育む「普通」の家族の風景でした。
愛し合う両親の揃う家庭にも起こる「事件」の数々。
ひとつひとつは小さく見えても、家族にとってはかけがえのないドラマであることを『炉辺荘』の物語は語りかけます。
このお話にふんだんに登場する「スーザンの手作りお菓子」は、モンゴメリが忙しい仕事の合間をぬって実際に子供たちに作ってあげたものでしょうか♪
そういえば私が高校生だった遠い昔、再現レシピを見つけた親友に誘われて作ってみちゃった「お猿の顔のクッキー」。
あの真っ黒焦げの味も忘れられない・・・。

母親であるとともに有名な作家でもあったモンゴメリ。

「1923年の冬、英国王立芸術院がわたしを《会員》に選んだということは、もうお知らせしましたかしら? 
従ってわたしには、もしそうしたいと思えば、署名のあとにF・R・S・A(英国王立芸術院会員)と書く権利があるわけです! 
大変な敬意の表現だと思います。
カナダの女性でこの栄誉を授けられたのはわたしが最初なのです。
男性会員は何人かおりますが。かなりこっけいでもあり、少なからずうんざりしたことでもあるのですが、そのためにカナダの何人かの作家たちが嫉妬の念を抱いたのです。
その栄誉はだれか他の人に与えられてしかるべきだった、と思っているようでした!
まあ、わたしとしましては、そのことにほんのちょぴりは満足いたしました。
でも、何と言っても、先日、下の息子のスチュアートが、厳かな口調で次のように言ってくれた時に感じたような満足の半分ほども感じさせてはくれませんでした。--- 『もしぼくがもう一度生まれてくるとしたら、お母さんがやっぱりぼくのお母さんになるんだったらいいな。』本当にかわいいことを言ってくれたものですね!?
スチュアートはいつもわたしどもを笑わせています。
先日の夜、座っていたかと思うと、いかにもまじめな顔つきをし、突然大きなため息をついてこう言うのです。--- 『ああ、お母さん、ぼくがおとなで、結婚していて、すっかりカタがついてるんだったらいいのになあ』」

(1924年『モンゴメリ書簡集I』p.136〜137)

マクミランに宛てて書かれたこの手紙には、文学的な名誉よりも子供たちからの愛の言葉を喜びとする49歳の母親の姿があります。
この手紙には出てきていない長男・チェスターとは、成人してからは折り合いが悪く苦しんだといわれていますから、そのあたりの思いを『炉辺荘』を書くことで昇華させたかった、という面もあるのかもしれません。
それはちょうどモンゴメリの次男ヒュー・アレグザンダーを、『愛情』の執筆にとりかかる直前の夏に死産したことへの無念を、続く『夢の家』で「夜明けと共に生まれた」アンの長女ジョイスの「小さな魂」が「日の入り時に」この世を去ってしまった悲しみの情景で昇華させたように・・・。

このように、モンゴメリ自身の家族への思いが重なって見える『炉辺荘』ですが、私的にどうしても気になるのは「Ingleside」と「England」の最初の発音が同じであること。
ウィーバーに宛てて書いている手紙に、

' You might not even like them, Since you no 'scotch' in your veins and have never heard the 'Doric' talked.
I think Mrs. W. would feel more at home with them. I love them! They leave such a good taste in my mouth. '

(1933年7月『ウィーバー宛書簡』p.205)

「あなたにはあまりピンとこないかもしれません、だってあなたには『スコッチ』の血が流れていませんし、『ドリック』(スコットランドの方言)を聞いたこともないはずですから。奥様なら懐かしく感じられるのではないでしょうか。私は大好きなんです! それを口にした後に残る甘美な味わいといったら。」
(水野暢子 訳)

と書いているところから察すると、モンゴメリはアンが子供たちを育む家の名に、自分の源流である英国のかたわらという意味も込めたとも思われます。
いかにも詩的なタイトルではありませんか!





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