第6章 モンゴメリの求めたもの(3)
出版社に急かされて執筆しなければならなかった二冊目の『アンの青春』について、カナダ在住の梶原由佳さんは自著で次のように述べています。
「前作とは比べものにならないほどの難産となった。大衆には受けるかもしれないけれど、文学作品としての質は落ちると自認し、仕上げた数カ月後の一九〇八年九月には、『もし、残りの人生がアンという' 暴走する馬車(チャリオット)'に引きずられてゆく運命だとしたら、アンを創造したことを痛烈に後悔するでしょう。』とペンフレンドに書き送っている。皮肉なことに、こう書いたとおりにモードの人生は、アンの存在に良くも悪くも一生つきあっていくことになる。」
(『「赤毛のアン」を書きたくなかったモンゴメリ』p.19〜20)
『もし、残りの人生がアンという'暴走する馬車'に引きずられてゆく運命だとしたら、アンを創造したことを痛烈に後悔するでしょう。』という箇所は、梶原さんの本のキャッチコピーとして使われました。
この「1908年にウィーバー宛に書かれた手紙」文の真意を確かめたくて、別の本を注文してしまった私★
でも、「暴走する馬車」って「チャリオット」のことだったんですね。
チャリオットといえば、イギリス映画『Chariot of Fire』!
私だったら「炎の二輪戦車」とでも訳したいなぁ♪
ローズマリー・サトクリフが描くブリテン・ケルトのお話にたびたび登場する、逞しい筋肉が躍動する馬に牽かれ、炎に包まれながら敵陣に突っ込んでいく勇ましい二輪戦車です。
スコットランドを心の故郷としていたモンゴメリにとって、チャリオットはそう悪いイメージではなかったはず。
良くも悪くも、読者の期待という鞭で猛烈に駆けていくチャリオットを生み出したのだ、という自尊心が見えかくれするこの一文も、売れっ子作家になったモンゴメリのなかの「ユーモアの小悪魔」が書かせた謙遜の表現だったのではないでしょうか。
先に引いた1909年のマクミラン宛の手紙に「『アン』はわたし自身の文体で書き上げました。彼女が受け入れられた秘密は、それだと思います。」と記しているのですから。
そもそもモンゴメリが「馬車」という時には「buggy」とか「carriage」という言葉を用いてますしね♪
ちなみに、マシューがアンを駅に迎えにいく時乗っていたのはbuggy!
もう一人の大御所、作家の松本侑子さんは、
「『私は書きたくもないアン・シリーズを出版社と読者のためにいやいや書いている。本当はもっと価値のある大人むけの文学を書きたいのに』というジレンマだった。」
(『誰も知らない「赤毛のアン」』p.153)
「モンゴメリは、彼女が侮蔑する『一般大衆』に気に入られようと、少女の描き方を手加減している。そうした創作態度は、モンゴメリの言う『一般大衆』をあざむく前に、まず彼女自身をあざむいている。それはやがて、自分が心からもとめる文学世界の創造をあきらめ、商業的な妥協、そして自分への失望と嫌悪へとつながっていく。」
(同 p.177〜178)
と自著に書いています。
また、彼女が訳した『赤毛のアン』の「訳者あとがき」では、
「二冊目の『アンの青春』以降、作品の筋書きはともかく、アン自身の魅力は大きく損なわれていく。常識的で、協調的で、妙におとなしい。恋愛においても優柔不断ではっきりしない。」
(『赤毛のアン』訳者あとがき p.530)
とか、『赤毛のアン』を訳したことで、
「私の役目も終わりに近づいた。【中略】私は、しばらく遠ざかっていた私自身の小説の世界へ帰っていこうと思う。」(同 p.532)
とも書いています。
『赤毛のアン』以外の作品は全て『一般大衆』、いえ "public"(世間)におもねて書かれたものであるとする松本さんにとって、文学作品として認められるのは『赤毛のアン』だけで、それ以外のアン・シリーズはとるに足らないものという評価なのでしょう。
でも、モンゴメリ自身がウィーバーに対して記しているように、『赤毛のアン』もいわゆる "public"(世間)を意識して書かれたもののようですが、松本さん的にはどうなんでしょう、そこのところは?
その後、再びご自身の小説の世界からモンゴメリの世界に戻られて、続々とアン・シリーズを訳し始めておいでなのを拝見するたびに、「自分が心からもとめる文学世界の創造をあきらめ、商業的な妥協、そして自分への失望と嫌悪へとつながって」いきはしないかと、他人事ながら心配になってしまいます。
おっと、私のなかの皮肉屋の小悪魔が騒ぎ出しました。
いったん筆を置いて、本当のアンとモンゴメリを知るための、ジグソーパズルのピース集めに戻ります♪