第6章 モンゴメリの求めたもの(1)
モンゴメリが『エミリー』三部作で描いた、「生まれつき物を書きたいと思う気持ちにかりたてられている少女」は、11歳の時に父を亡くし、くじ引きで(!)親戚のおばさんの家に引き取られます。
そこで友達と出会い、ディーン・プリーストという旅人やカーペンター先生といった、ひとまわりもふた周りも年の離れた同類に導かれて詩を綴り始める・・・。
こうして改めて読んでみると、縁もゆかりもない年配の兄妹にひきとられ、教師、そして母親になっていくアンと比べて、両親を亡くしたエミリーが親戚の家に預けられ、やがて作家を目指すようになるというプロットは、よりモンゴメリ自身の境遇に近いものと言えるでしょう。
ただし「エミリー」三部作には、アン・シリーズよりも空想の砂糖衣が余すところなくふんだんにかけられているようにも思われます。
もしも、お父さんの最期を看取れたなら!
もしも、周りに年の離れた師がいてくれたなら!
そしてもしも、幼なじみの男の子が自分と同じように芸術家肌だったなら!
モンゴメリのかなわなかった夢がそのまま、物語にもり込まれているように感じるのです。
さて、当初は結婚するつもりはないと言っていたエミリーも、結局好きな人と結婚するという点にアンとエミリーの共通項があります。
エミリーの想い人テディに、モンゴメリが24歳の時恋に落ちたハーマンという青年の容姿を与えたことは前章で書きました。
では、アンの結婚相手ギルバートの場合は、どうだったでしょうか。
以前、文通相手のウィーバーとギルバートの間には共通点があるのでは、と書きました。
しかしそれ以上に、ギルバートにはモンゴメリの幼なじみのウィルという男の子が入っているようです。
ウィル(ウィリー・プリチャード)との出会いは、モンゴメリが16歳の時。
再婚した父親と暮らしはじめたプリンス・アルバートの地で知り合ったクラスメートでした。
「新しい生徒が入って来た --- ウィリー・プリチャード。赤毛で緑の目、ゆがんだ口!と言うと魅力的には聞こえない。たしかにウィリーはハンサムではない --- でも素敵。ウィリーといると、とてもおもしろい。」
(『モンゴメリ日記1889〜1892』桂訳 p.115)
「際立って赤い髪」「その瞳は、光線や気分によって、緑色にも灰色にも見えるようだ。」(『赤毛のアン』松本訳 p.23)というアンの特徴と、「歪んだ口元には、人をからかうような笑いが浮かんでいた。」(『アン』松本訳 p.171)というギルバートの特徴を合わせ持つ、重要人物ウィル!
このウィルについては、16歳のモンゴメリが「兄弟か、愉快な仲間のよう」と日記に記していたことから、アンとギルバートの関係に似ているのでは?ということも既に書きました。
結局モンゴメリは義母との折り合いが悪く、再びプリンス・エドワード島に戻ってくるのですが、その後ウィルとの文通は6年間続いたようです。
そしてモンゴメリが22歳の時に、ウィルはインフルエンザにかかって死んでしまい、モンゴメリが「永久にあげると約束した」指輪が遺品として送られてきます。
「これまで知り合った男性を思い返すと、ウィルよりいい同志はいなかったと思う --- ええ、ハーマンでさえもかなわない。私はウィルに決して恋はしなかった。でも、これまでに知っている中でいちばん素敵な男の子だと思った --- 今でもそう思っている。私たちの友情は完璧だった。【中略】読んで討論した本の数々、それからともに経験した無数のささいな出来事。私はウィルの死をはじめて知ったときよりも、今の方がもっと彼との友情を失ったことを残念に思う --- なぜなら、今の方がもっとはっきりとそのほんとうの価値がわかるから。でも、もし彼が生きていて、再会することがあっても、友情はもはやありえないだろうということもわかっている。彼の友情は愛をフィナーレとする男女の友情であったかもしれない。しかし、昔の同志的な友情はもはや不可能だろう。」
(『モンゴメリ日記1897〜1900』桂訳 p.175〜176)モンゴメリがこの日記を書いたのは25才の秋。
24才になる年の秋に出会いそして冬に別れたハーマンが、インフルエンザの合併症で亡くなったことを彼女が新聞で知ったのは25才の夏ですから、モンゴメリは「命をかけた恋」の余韻が冷めやらぬ中で、この日記を書いたのでしょう。
「命をかけた恋」とは別の、あるいはより深い想いとともに思い出されるウィル。
もしもあの時生還していてくれたなら・・・という思いが、アンとギルバートが結ばれるストーリーの下敷きになったのかもしれません。