第5章 モンゴメリのありのままの恋愛(1)


ファンの間で「モンゴメリが生涯ただひとり愛した男」とされている、ハーマンという人物がいます。
「黒髪に、青い瞳、女の子と同じくらい長くつややかなまつげ」をして「二十七歳くらいだが年より若く見え、少年ぽかった」ハーマン。「知性、教養あるいは教育のかけらもない --- 自分の農場や彼がよく行く若者のサークル以外のことには、とんと興味がない」ハーマン。(『モンゴメリ日記(1897〜1900)』p.96)
そんなハーマンのことを、既に婚約者のあった24才のモンゴメリは愛してしまったのです。
彼女は1907年4月にマクミランに宛てた手紙にこう書いています。

「大げさに言えば、命をかけた恋でした。でも、いいですか --- 私はその方を尊敬していませんでした --- 賞賛の念なんて全然持ち合わせていなかったのです。こんなことがある前には、人が尊敬しない男性を愛することができたなどとは、考えただけでも、一笑に付していたでしょう。」

「でも、確かに愛したのです。どんなことがあっても、その人とは結婚しなかったでしょう。あらゆる点でわたしよりも劣っていたのです。【中略】この人は亡くなってしまい、わたしとしてはこの恋がそういう結末を迎えたことについて感謝しています。もし生きていたら、おそらく結婚しないではいられなかったでしょうし、そんなことになったらほとんどあらゆる点で悲惨きわまりないことになっていたでしょう。」


「愛は全く別もので、それは最良のものを置き去りにして、最悪のものに走るということがいかにも起こりえるのです。まあ、なんてややこしい話題なんでしょう。考えているうちに頭がくらくらしてきました。愛は気質の違いによって大いに異なるとわたしも思います。わたしにとって真実であることが、違った気質の女性には全く偽りであるかもしれないのです。でも、わたし自身経験したことは、人生の奇妙で複雑な出来事の多くを理解する方法を教えてくれました。」

(『モンゴメリ書簡集I』p.33〜35)

1907年9月には、やはりマクミランに

「『二人の人間を引き付けあう力を生み出すのは何でしょうか』というあなたの質問に関しては --- そうですねぇ、残念ですけれど、そのことについてはわたしも口ごもるばかりです。それは肉体的な --- 性的な吸引力でしかない、と言う人たちもいます。わたしはこの意見が正しいなどとは思いません。あなたもおっしゃっているように、それでは同性同士の場合が問題になりますから。【中略】大ざっぱに言って、女性同士、男性同士の間では、似ていることが引かれる原因であり、男性と女性の間では似ていないことがその原因だと思います。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.38〜39)

なんて書いてるモンゴメリ。
私の手元には『誕生日事典』という、ホロスコープとたくさんの人物の伝記調査に基づいて誕生日ごとのパーソナリティを整理した本があるのですが、この本でモンゴメリの誕生日「11月30日」生まれの項を引くと、この日生まれの人は

「子供っぽい面があり、気取りのない提案や申し出に、かえって心を動かされることがあるようです。世の中のあらゆる脅しや巧妙な理屈には頑固に抵抗しますが、あけっぴろげな正直さにはころりといくでしょう。」
(『誕生日事典』p.746 角川書店)

のだそうなんです。
モンゴメリにとっては、ハーマンの「知性、教養あるいは教育のかけらもない」態度が、あるいは教養のなさを恥じることなくアプローチしてくる姿が、「あけっぴろげな正直さ」や「気取りのない申し出」と映って魅入られてしまったのかもしれません。

ところで、『アンの夢の家』に出てきたレスリーが、作家志望のジャーナリストと結ばれたことは既に書きました。
そして1921年に出版された『アンの娘リラ』では、レスリーの長男ケネスがリラの想い人として登場するのですが、成長したケネスの仕草や行いにどことなくハーマンを彷佛とさせるものを感じるのは私だけでしょうか。
無口なケネスがリラを誘う時に口にする言葉は、一見ぶっきらぼうそのものですが、作家の父の血を感じさせる何かがそこには含まれているようで、その点がハーマンよりもずっと粋な、モンゴメリ好みの像になっていると思われます。
無邪気な美少女リラが、戦争が終わって大人の女性に成長し、想い人だったケネスと結ばれるお話を描いたのは、モンゴメリの心の昇華のひとつだったのかもしれません。




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