第4章 モンゴメリは主戦論者!?(4)
モンゴメリとウィーバーが意見を交わした世界大戦も、1918年の秋に終結を迎えます。
1919年の2月にマクミランに宛てた手紙で、モンゴメリは不思議な体験を綴っています。
「【前略】三月の初め頃に見た夢の中で、ある新聞に《いまわしい三十の日々が近づきつつある》という見出しを見ました。そして、その翌日には、わたしがある瀕死の男の人を抱いている夢を見たのです。その人が、抱き上げていたわたしの腕(かいな)から地面に落ちて死に果てたとき、カイゼルの父親であることがわかりました。わたしの少女時代にはフレデリック皇太子として知っていた人物です。【中略】その後、六月に再び夢を見ました。わたしがフォッシュ司令官に会い、彼がひとこと《十月三日》と言ったという夢です。そのときはほとんど気にもとめませんでした。前にも述べましたように、夢を信じなくなっていたものですから。でも、形勢が一変して、二度目のマルヌ河の奇跡が起こると、それらの夢のことを、再び考えました --- なぜなら、最初に敗北を喫したのがあの皇太子の軍隊だったからです。というわけで、メモ帳を取り出し、三月二十一日から、フォッシュがドイツ軍の側面に攻撃をしかけた日までの日数を数えました。この間の戦況は箸にも棒にもかからぬほど惨めなものでした --- ドイツ軍が大なり小なり前進を続けたわけです。それがきっかり三十日間だったのです。その後の日々はすべて、ドイツ軍の動きを阻止したのですから。あなたはあなたなりにお好きなように解釈なさって結構ですよ!【中略】戦争は終わりました。でも、そのあとに残されたさまざまな問題にはわたしたちのひい孫の代まで悩まされることでしょう。さて、《十月三日》という夢のほうは、どういうことなのでしょうね?まあ、証明するなんてことはとてもできる事柄ではありませんが、次に述べることは信じています。あなたは覚えていますか、十月四日にマクシミリアン皇太子がドイツ帝国議会を前にして、停戦の申し入れをする決定が下されたと宣言したことを。あの宣言は四日に行われたのです。とすると、停戦申し入れの決定は三日になされたと考えるのが、理屈に合っていると思いませんか? 反証が出ない限り、そう信じることにしています。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.99-101)
やっぱり『夢の家』の先生のような正夢を見る人だったモンゴメリ。
おまけにこれは九つ目の夢で、これまでの八つについても全て正夢だったと記しています。(『モンゴメリ書簡集I』p.94)
こういう手紙に対して、マクミランはどんな返事を書いたのでしょうか。
ウ〜ン、気になる〜★
どこかにないもんでしょうか、モンゴメリ宛のマクミラン書簡。
ウィーバーにはこのエピソードを書いてない、っていうのも気になる私☆
というわけで、本当のアンとモンゴメリを知るために、ジグソーパズルのピース集めは続く♪