第3章 『アンの夢の家』はモンゴメリ の夢(3)


さて、『夢の家』のお話には他にもレスリー・ムアという美しい乙女と、最後にレスリーと結ばれる作家志望のジャーナリストが登場しますが、このジャーナリストは『夢の家』の初代住人である「先生」の子孫なのです。
そして、小麦のような輝く髪とまっかな唇の丈高い、しかし少女のようなレスリーには、母親が借金のかたに縁組みしたという「夫」がいますが、旅先で事故に遭い気が触れてしまってからの11年もの間、ずっとその看護をしているのでした。
しかし物語のラストで、正気に戻れる可能性があることを知ったギルバートが手術を勧めた結果、男は「夫」にそっくりな従兄弟で「夫」はすでに死んでいたことがわかります。
12年間の看護を「責任の神聖」(p.275)の教えどおり立派に果たしたレスリーに「真実」「自由」を与えた(p.285)という『夢の家』のお話。
「偉大な愛と非常な苦痛がどんな奇跡を起すか、われわれには量り知れませんからね」(p.62)と物語の序盤でギルバートに語らせたモンゴメリは、この物語を書くにあたってどのような「空想」の翼を羽ばたかせていたのでしょうか。

モンゴメリは1911年に結婚するまでの12年もの長い歳月を、両親を亡くした自分を育ててくれた祖母の世話に費やしていたことにはすでに触れました。
そんな彼女と重なる境遇の女性やエピソードを描いた『夢の家』が上梓されたのは1917年。
こうしてみると、モンゴメリは自分が果たせなかった花嫁の姿をレスリーに託したのではないかと思えてきちゃう私。
だって、レスリーと結ばれる作家志望のジャーナリストは「先生」の子孫=元英国 人ということになりますが、モンゴメリが1903年から文通していた詩人志望のジャーナリスト・マクミランも 英国人なのですから。

現実の世界でモンゴメリが結婚した相手は牧師・ユーアンでした。
牧師の夫は1919年に精神の病を発症します。
このあたりのことも、『夢の家』に出てくるレスリーの「気が触れてしまった夫」と重なって見えますが、それより私が気になるのは「これから起ころうとすることが見える先生」の描写です。

『夢の家』の冒頭に、こんなシーンがあります。
結婚式の支度をしながら、ハーモンという小母さんに「中学校の先生をしているのに較べたら、結婚生活はあんたの思ったほど気に入らないでしょうよ」と言われたことを思い出したアンは「ハーモンの奥さんは、知らない困難に飛び込むより現在しょってる苦労のほうがましだというハムレットの意見に賛成してるのよ」と言って朗らかに笑います。
するとダイアナが言うのです。

「『ハーモンさんの言うことなんか気にかけることはないわよ。』ダイアナは主婦生活四年の貫禄を示して慰めた。『勿論、結婚生活にはいいこともあれば悪いこともあるわ。万事が必ずうまくいくものと考えてはならないのよ。でもね、アン、結婚生活は幸福なものだということは確かよ、自分に合った人と結婚すればね』」
(村岡版『夢の家』p.11)

いっぽう現実の世界では、自身の結婚式での心境について「自由になりたい!まるで、囚人のようだ と日記に書いたモンゴメリ。
もし、結婚式の時モンゴメリに訪れてしまったものが、これから生涯を共にする夫が「自分に合った人」ではないという直観と、夫の発病の予感だったとしたら・・・。
新婚旅行先のスコットランドで、初めて対面した文通相手のマクミランに「同類(キンドレッド)」を確認してしまったとしたら・・・。

『夢の家』を執筆した際には、いつものように「スケジュールがきつすぎる」とか「気が乗らない」といった愚痴をマクミランへの手紙に書かなかったモンゴメリ。
「不滅の真理の輝き」を求めるがゆえの人には理解されない「精神的苦闘」や、現実と空想のはざまで揺らぐ心の葛藤が、物語の創作を通じて昇華される感覚を味わい始めていたのかもしれません。

「ジム船長が生きていてこの本の驚くべき成功を見ることができないのをレスリーは歎いた。『批評を読んだらどんなに喜んだか知れないのに【中略】ジム船長の生活手帳がベストセラーの筆頭にあるのに --- ああ、それだけ見るまで生かしておきたかった、アン!』
然し、悲しみにもかかわらず、アンの方が賢かった。『ジム船長が望んでいたのは本そのものだったのよ、レスリー ---
本について言われる言葉じゃないのよ --- で、その望みを達したわけよ。あの本を読みおわったのですもの。【中略】ジム船長は満足したのよ --- わたしには分かっているわ。』」
(村岡版『夢の家』p.345)

人から望まれて書いたり、人から高い評価を受けたりすることで心が満たされるのではなく、自分自身が思い描くイメージが望みどおりの形となることで得られる満足感の尊さを、モンゴメリは『夢の家』のラストで描いてみせたのではないでしょうか。





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