第2章 『アン』とモンゴメリ ―本当に「結婚は『降伏』」だったの?(3)
「モンゴメリーは、アンの結婚式の日に、自分の才能のなさをはっきりと認めさせ、結婚を「降伏」だと書いている。これは自分自身のことだった。」
(miyamotoさんのHPより http://160.29.86.21/miyamoto/literary-anne.htm)
という解説をしている方があると書きましたが、村岡花子訳版を読む限り幸せいっぱいの結婚式の描写はあっても「降伏」なんてどこにも書かれていません。
もっとも、モンゴメリは自身が結婚した日の心境について日記に次のように記しています。
「式が終わり、ふと気が付くと夫の隣に座っていた --- 私の夫! --- ふいに私は反逆心と絶望感に襲われたような気がした。自由になりたい!まるで、囚人のようだ --- 望みのないとらわれの身の。」
(『L.M. Montgomery』p.56 桂宥子 KTC中央出版)
でもこれは、結婚から半年後の1912年1月に書かれた日記でモンゴメリ37歳、『夢の家』でアンが結婚する4〜5年ほど前のものです。
結婚する1911年までおよそ12年間に渡り、厳格な祖母を一人で世話してきたモンゴメリ。
このときの彼女は、おばあさんが亡くなったばかりであったことを思うと、このような気持ちに駆られたとしても不思議ではなく、この述懐をもってモンゴメリ(さらにはアン)が結婚を「降伏」と捉えていたというのは短絡に過ぎるのではないでしょうか。
miyamotoさんに限らず、このような解釈をされている方は女性であれ男性であれ、「結婚=降伏」という観念でモンゴメリを解釈することで、モンゴメリと『アン』をそのようなご自身の人生観(例えばジェンダー・フリーとか)の支持者に仕立て上げようとしているのでは・・・と勘ぐりたくなります。
『モンゴメリ書簡集I』には『夢の家』出版後に書かれた書簡が載っていましたが、第一次世界大戦や1912年のタイタニック号沈没の話ばかりで、『夢の家』に関する記述は見当たりませんでした。
なぜアンの結婚に託した思いが記されていないのか、あるいはなぜ『アンの青春』のときのような「アンと聞いただけで気分が悪くなる」といった愚痴が聞かれないのか、そのわけはこれから探していくとして、ブリテン・ケルトの雰囲気溢れる『夢の家』のお話には、「物語を読めばわかるでしょ♪」というモンゴメリの自信と創作への情熱が満ち満ちているように思う私です。
というわけで、本当のアンとモンゴメリを知るために、ジグソーパズルのピース集めは続く♪