第2章 『アン』とモンゴメリ ―本当に「結婚は『降伏』」だったの?(2)


モンゴメリは、大ヒットした『赤毛のアン』の続編として、『アンの青春』(1909年出版 以下『青春』)を書かされたことに不満を述べています。

「先日、二冊目の『アン』ものを書き終えて、いま筆を入れているところです。あとでタイプ清書しなければなりません。これは、出版社からの依頼があって、冬からとりかかったのですが、時間はたっぷりあるものと思っていました。ところが、一冊目が売れ出してからは、十月までに仕上げるようにとうるさく言ってくるようになったのです。その結果、この夏の暑いさなか、ずっと、死に物狂いで書きまくってきました。こういうわけですので、この本は --- 比較してのことですが --- 第一作ほど出来は良くないと思います。でも、わたしには判断できないのかもしれません --- 『アン』に首までどっぷり浸かりっぱなしだったので、アンと聞いただけで気分が悪くなるのですから。実を言うと、ここのところかなり無理をかさねてきましたので、体調は決して良くありません。気力が全くなくなったように思われるのです。 --- いつもひどい疲労感がつきまとい、キップリングの言葉を借りると、あたかも「未来永劫、バッタリと倒れたまま」、永遠の眠りが訪れるのを待っていたいような気分なのです。この本が出版されたら、ひと休みするつもりです。ちょっとどこかに旅行したいのですが、もちろん、祖母をひとりきりにしてはおけませんので、それはできない相談です。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.49)

ここからは、自分の内側から湧き出る力に突き動かされて綴る物語とは違う、求められ絞り出すような創作活動の辛さが伝わってきます。
私の大好きな3冊目の『アンの愛情』(1915年出版 以下『愛情』)についても、

「この作品が面白くてたまらないと思ったことは一度もありません。全然書きたくなかったのです。それに、今となっては、さまざまな国民が死闘に明け暮れているというのに、落ち着き払って腰をおろし、女生徒たちのために、女生徒たちのささいなふるまいについて書くなんて、ほとんど不可能と思われます。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.87)

とマクミランに書き送っています。
そこには、第一次世界大戦(1914〜1918)のさなかの創作活動の苦悩が現れています。
41歳で綴った『夢の家』の物語で、若い25歳のアンに自分とは別の選択、すなわち結婚して家庭に専念する道を選ばせたのは、このような実体験からかもしれません。

「いいえ、あたしには自分の限界が分かっているの。あたしには詩は作れるのよ。それから子供たちが愛して読んでくれて、編集者が喜んで原稿料の小切手を送ってくれる程度の、ちょっとした空想的な短編は書けるわ。でも大きなことは出来ないの。」
(村岡訳『夢の家』p.29)

様々な経験を積み重ねるであろう人生の結晶として生まれる作品でなければ、自分は取り組みたくないし書きたくはない、という作家としての美意識や自戒の念が、アンに上記の台詞を言わせたのではないでしょうか。
そういえば、モンゴメリはマクミランと文通を始める際(1903年)、次のようなことを言っています。

「わたしが文学にのめり込んでいるのは生計を立てるためなのです。散文は売れるので書いているのです。詩を書く方が好きなのですが。大作家になどなれないことは承知しています。わたしの望みは次のことだけ --- わたしが選んだ職業で立派な職人になりたい、ということ。巨匠の仲間入りなどできっこありませんが、現代の一般労働者の間でそれなりの地位を手に入れたいと思っています。それがわたしの望み、あるいは、期待することの全てです。」
(『モンゴメリ書簡集I』p.4)

「大作家になどなれないことは承知しています。」と書いていますが、本心ではないでしょう。この手紙を書く3年前の1900年の日記には、自分は必ず成功する、との信念を綴っているのですから。
そして、他者の中に大きな才能を認めることも、自分は「大きなことは出来ない」なんて言えちゃうのも、よほどの力と自信があればこそだと思うのです。
そして、「文学にのめり込んでいるのは生計を立てるため」と述べているモンゴメリは、本当はアンのようなペースで暮らし、アンのように人間を育み、そしてアンのように世界と関わることで生まれるイメージを詩に綴っていきたいと願っていたかもしれません。
ですから、

「ふたりの息子の母親となった後も、筆を折るモードではありませんでした。自分の才能の限界を感じて、結婚後創作を断念するアンとは異なる生き方を選んだのです」
(梶原由佳さんのHPより http://yukazine.com/lmm/j/Biography.html)

というのは、因果が逆だと思う私です。
アンが結婚する物語が出版されたのは1917年、モンゴメリ自身の結婚の5、6年後のことであり、彼女は自分にとってより望ましい生き方を空想の中のアンに託したのではないでしょうか。


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