第1章 文通相手がモデル!?(3)


ところでアルバータといえば、1993年に松本侑子さんが出版された新訳『赤毛のアン』の「訳者ノート〜『赤毛のアン』の秘密」という注釈で、先に引用した「本土西部のアルバータへ行くことになって」(本文 P.170)の箇所の説明として、

「モンゴメリ自身も、十四歳の時、再婚した父親のすむアルバータ州へ渡った。」

と蘊蓄(うんちく)を傾けておられます。
しかし先にも書いたように、再婚した父親が住んでいたのはサスキャチワン州のプリンス・アルバートであり、アルバータ州ではありません。
おまけに、モンゴメリがプリンス・アルバートへ渡ったのは1890年だから、十四歳のときではなく「十五歳」!
松本さんは、モンゴメリは自身の生い立ちの一部分をギルバートの設定に投影していると解釈されているようですが、かなり苦しいものがあります。
同じく「訳者あとがき」で松本さんは、

「『赤毛のアン』でのアンは、聡明で、誇り高く、それでいて心優しくて、夢や憧れを大切にする少女だった。私はそんなアンを愛しているし、彼女が生き生きと描かれている本書もまた好きだ。そのアンが、そのまま大人の女になり、働き、恋をする姿を期待していた。しかし、アンは最後に、中学校校長の職を捨てて結婚し、五人の子供の育児に追われ、夫ギルバートの心変わりを気にやむ平凡な女になる。女は個性や自我を捨てなければ大人になれないとでも言うように・・・。アンの家庭は、もちろん不幸ではない。しかしその平穏な家庭の陰で、アンは、どこかしら憂うつに沈んでいる。『赤毛のアン』のアンは、心弾むような喜びに満ち溢れていたのに、その輝きはどこにもない。」
(松本訳『アン』p.530)

と述べておられますが、アンが手塩にかけた子供の数は5人ではなく、生まれてすぐに亡くなったジョイスを除いても6人。
「アンが、そのまま大人の女になり、働き、恋をする姿を期待していた。しかし、アンは最後に、中学校校長の職を捨てて結婚し、五人の子供の育児に追われ、夫ギルバートの心変わりを気にやむ平凡な女になる。女は個性や自我を捨てなければ大人になれないとでも言うように・・・。」という解釈を読むと、ご自分の人生観を勝手に投影しようとして叶わなかった無念さのあまり、アン・シリーズを最後まできちんと読むことができなかったのでは・・・と思えてきます。


もっとも、このような捉え方をしているのは松本さんだけではなく、アンやモンゴメリについて綴っているHPや本には、

「モンゴメリーは、アンの結婚式の日に、自分の才能のなさをはっきりと認めさせ、結婚を「降伏」だと書いている。これは自分自身のことだった。」
(miyamotoさんのHPより http://160.29.86.21/miyamoto/literary-anne.htm)

「ふたりの息子の母親となった後も、筆を折るモードではありませんでした。自分の才能の限界を感じて、結婚後創作を断念するアンとは異なる生き方を選んだのです」
(梶原由佳さんのHPより http://yukazine.com/lmm/j/Biography.html)

など、シリーズ2巻目以降、徐々に社会的な活動から退き家庭に入っていくアンを否定的に解説するものが目につきます。
こうなってくると、私の読み方のほうが間違っているのかと心配になってきちゃいます。
というわけで、本当のアンとモンゴメリを知るために、ジグソーパズルのピース集めを続けたいと思います♪


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