道標について

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道標」とは、言わずと知れた道しるべの事です。

reikokan-mae現代の道標と言えば、どなたも道路交通標識を思い浮かべるに違いありません。そのほとんどは、車を運転する人のためにあり、いわば車両のためであって、歩行者のためにあるのは、登山道など限られた所にしかありません。

近世まで、人の移動は馬に乗るか、歩くより方法はありませんでした。街道の整備は時の権力者によって進められていきましたが、旅人達はずいぶんと道を間違えたり、不安な思いをしたことが多かったのではないかと思います。niomiti
江戸時代の中期以降、庶民の生活が少し安定して、信仰や観光を目的とする旅が盛んとなるにつれて、次第に道標が各地に建てられるようになります。

道標と言っても、単に行き先を示す目的のものだけではありません。地蔵尊や供養塔、庚申塔、道祖神などと兼ねたものを、集落の辻に立てたり、石灯篭に道しるべを示したものまで、色々あります。建立者も伊勢講、成田講など講の連中であったり、江戸の豪商であったり様々です。

これらの多くは石造物ですが、石灯篭や、仏像を刻んだものは、比較的大事に保存されているのに、単なる道端の道標は消えつつある運命にあるのです。区画整理、道路拡幅、再開発工事などの際に撤去され、あるいは埋もれてしまい、次第に私達の目に触れなくなってきています。

嘆いてみても仕方のないことかも知れませんが、かつて旅人達が足を止め、残りの距離を確認し、一息入れたであろう、その息遣いが聞こえなくなっていくような気がしてなりません。

ちっぽけな石の塊であっても、旅人の心が宿っている立派な文化財に違いないと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

今回旧成田街道を歩き通してみて、当然のことかも知れませんが、東京都心に近いほど、また開発の進んでいる所ほど、道標は見付かりませんでした。あらかじめ調べて出掛けたのですが、つい最近まであったものでも、幾つかはなくなっていました。行政や、地元の人のちょっとした配慮があれば、消失を防ぐことが出来るように思います。

今度歩いた街道筋で、私が確認できた道標の数は、全部で32基ありました。見落としがあるかもしれません。そして、そのすべてが佐倉・成田道のものばかりではありませんが、沿道に建っていたものを含めた道標の数です。

これらの道標に幾らかでも関心を持って頂ければ幸いです。
                                   
                       2001年3月   駕籠舁(Webネーム かごかき)

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参考図書

成田参詣記「成田名所図会」 
成田街道   山本光正 聚海書林
宿場と街道  児玉幸多 東京美術
成田みち今昔  森田 保  崙書房
「成田参詣記」を歩く 河田壽 崙書房出版
房総の道標 資料編  金田英二  東洋ビジネス印刷
佐倉の道標 木村雅夫 佐倉市中央公民館蔵書
成田街道酒々井の歴史散歩 相京晴次  図書刊行会
参勤交代道中記 忠田敏男 平凡社
東京史跡ガイド21 足立区史跡散歩 足立史談会  学生社
街道を行く JTBの旅ノート首都圏-11 JTB出版事務局
広重の大江戸名所百景散歩 人文社
郷土資料事典 東京都・千葉県 人文社
成田山の歴史 成田山霊光館
近世の佐倉  佐倉市
ガイドブック佐倉市 志津の史跡と名所 宮武孝吉
江戸川区の史跡と名所 江戸川区教育委員会
足立風土記資料「金石文2」道しるべ 足立区教育委員会
その他 葛飾区、市川市、船橋市、八千代市、佐倉市、酒々井町、成田市、各市町村発行の史跡マップなど
一部写真取材 八千代市立郷土博物館
  
 以上を参考にさせて頂きました。


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