成田山と団十郎
なかでも七代目団十郎は、文化文政から幕末にかけて活躍した名優として知られますが、それまで大名や武士の芸能であった能を歌舞伎の中に取り入れ、「安宅」の題材を「勧進帳」に芝居化して初演したり、荒事を中心とした歌舞伎十八番を制定するなど、それまでとは違った斬新な発想で江戸歌舞伎界に新風を吹きこみました。 その一方で一千両をもって成田山に額堂を寄進したり、成田の人々に芝居や俳句を教えたりして、成田山参詣の隆盛に寄与し、この地方の文化向上にも大きく貢献したといわれます。 ◆ その七代目市川団十郎が建てた石碑が佐倉市井野の成田街道沿いにあります。 佐倉市に建つこの石碑には、近くに湧く加賀清水の冷水を賞美して、この清水を飲めば子のないご夫人も懐妊するという御利益を説き、それに自身の詠んだ俳句を刻んでいます。 (正面) 成田山道 是れより北へ半丁 清水原中有 (右面) 天はちち 地はかかさまの 清水可那 七代目団十郎敬白 (左面) 成田山御参詣の御方様御信心被遊此清水御頂戴被成候御夫人様方御懐胎被成候事 (背面) 無疑私御利益を蒙り候間御信心の御方様へ差上度御子孫長久大願成就
◆ 加賀清水とは、佐倉藩主であった大久保加賀守利常が必ず駕籠を停めて賞味したことから、俗に「加賀殿清水」と称されたと「佐倉風土記」にあります。団十郎の句は、この加賀様と、母(かか)様をかけて詠んだものです。 この碑を建てたのは天保2年(1831)ですが、その後天保改革の奢侈禁止令に触れて、団十郎は江戸十里四方追放となり、一時成田山内の延命院に蟄居していたこともあります。 このようなことを思い浮かべながら石碑を眺めてみると、また別の感慨が湧いてくるのではないでしょうか。 左の写真は同額堂内にある七代目団十郎の石像。 |