2000年11月12日 演奏の最中は、途中でいかなることがあっても躊躇するわけにはいかない。 他の人やパートがとちったからって気にしていたのでは、自分までおかしくなる。 自分の役割をこなさないといけない。 そんなわけで、演奏会が終わると、とりあえず自分自身に破綻がない限り 終わったという満足感にひたれる。 今回は、低音主導が少しできるようになってきたと思う。この点については 大澤先生の指導の影響が大きい。 一方で、本番が近くなるにつれ、全体の音楽的な作りがどんどん変化していった。 これは、河地先生の思い入れに拠るところが大きい。 例えば、1楽章の終わりに向けて、ためらうことなく一直線に突き進むような 演奏は、本番に近くなってから出てきた。 これは、晩年のストコフスキーの演奏と似ている。以前、私はストコフスキーの 演奏を変だと言ったが、よくよく考えてみるとそんなこともない。 なかなか理にかなったところもあるなと考えを変えていた。 河地先生は、この熱っぽい演奏こそ上野浅草フィルの持ち味にしようと 考えていたのではないだろうか? ホルンのソリストの西条先生も、シュトラウスのホルン協奏曲に関して、 「歌心あふれる演奏で良かった。プロのオーケストラでは味わえないことだ。 上浅フィルはソリストを無視してもっと歌ってもらっても良かった。」 とおっしゃっていた。 もちろん、普段の練習からいつも熱っぽい演奏をするわけにはいかないと 思うが、本番に向けての心構えみたいなものを今回特に強く感じた。