西北旅行<6>


朝・・・チベットに向けてゴルムドに旅立つD君を見送った。
さすがにチベットからネパールそしてタイ(だったかな?)へと抜ける彼と再び会うことは無かった。
後に彼からは手紙が来て色々旅先での様子を教えていただいた!ありがとう!!
D君から送っていただいたチベットのポタラ宮の写真。
何でもD君は肺に水がたまって大変だったとか・・・。後に留学先で知り合った女性はチベットに行って意識不明とな
り入院。周りの旅行客も巻き込んで北京に航空輸送されたとか・・・(^_^;)一説には家族も日本から駆けつけ、また
命もやばかったとか・・・。高山病って怖いんですね・・・。

私はとうとうチベットには行けませんでしたが、一度は行ってみたいものです。



さて・・・、D君を見送ると私は翌日の酒泉への切符を購入した。
そして次に向かったのが待ちに待った莫高窟!中国の観光バスに乗り込んで出発した。

さすがにもう莫高窟に行くまでの記憶は飛んでしまったが、遠くに岸壁をくり抜いた洞窟群が見え始めた時は
とうとう来たかぁ・・・と感慨深いものがこみ上げた。
            
バスを降りた私は周りの中国人と同じように莫高窟へ向かう。照りつける太陽はかなり強くアスファルトが
照り返す光は目に痛かった。


敦煌に入る時、当然ながらチケットを買う!
私は留学しているから外国人チケットではなく中国人チケットをよこせ!
と事情も聞かずに中国人チケットを強引に購入!意気揚々と乗り込むことに。
しかしこれには大きな落とし穴があったのである。途中日本人の観光客と知り合った私は通訳をしてあげたりして
一緒に行動したのだが途中で強引に引き離されてしまったのである。

嘉飛「なんで俺は向こうにいけないんだよ!」

心配そうにこっちを見るその日本人を先にいかせると私は服務員に詰め寄った。

服務員「そのチケットは中国人用のチケットなんです。そのチケットでは見る事ができない石窟が
あるのです。外国人が見るコースと人民が見るコースは違うのです」

・・・(・д・)・・・

目が点になる私

私は安さを求めて墓穴を掘ったのである。
今は大分変わりましたが、以前の中国はといいますと人民元と兌換券の関係も含めてそこいらじゅうで外国人と人
民を区別していたのです。でも値段が違うというだけで見学できる場所は外国人も人民も同じという経験から、見る
ものが同じなら料金は安いに限る!と学生証を突きつけて人民チケットを購入したのだが・・・まさか、まさか外国人
と人民の見る区域まで分別しているとは・・・!ちなみに服務員の話では外国人の区域には莫高窟一番の見所の石
窟が多く、人民区域より見物できる範囲も多いのだとか。悔しいながらも開き直った私は、

「仏教壁画なんて何処も同じようなもんだ!写真が撮れるわけではないし。
写真集見たほうが綺麗だろうし。ここに来ること自体が目的だったからまぁいいや・・・」

そう自分の心を誤魔化しながら先に進んだのでした。仏教文化にそれほど興味を持たなかった私は、実際それほど
の感動も無かったのも事実なわけだ、記憶も薄いし・・・(^^;)
どちらかというと映画「敦煌」で佐藤浩市扮する趙行徳が戦乱の中、貴重な仏教の経典を
「少しでも多く、一巻でも多く・・・」(だったと思う )
と一心不乱に石窟内の内壁に隠しているシーンが思い出されたものです。
      
仏教壁画より外から見る莫高窟の方が良かったです!いや、負け惜しみじゃなく。

莫高窟ですが正式には莫高窟千仏洞というそうです。他にも前日に見学した西千仏洞や安西の東千仏洞、そし
て楡林窟は甘粛省を代表する仏教美術の宝庫なんだそうです。私と違って仏教美術に興味のある方は今のうちに
全て回ることをお勧めします。聞いたところ現在では観光客の吐き出す二酸化炭素が壁画に与える影響が大きいと
かで色々対策を立てているらしいので。



なんとな〜く不発に終わった莫高窟観光ですが一日はまだ長い!
ホテルに帰ると早速次の観光地へ!

本当は玉門関へ行きたかったのだが、一人では経済的にも無理ということもあり、陽関へ行くことにしていた。
しかし、一人旅である私はつるんで行く相手を探すのが面倒で思い切ってタクシーをチャーターして一人で決行し
た。タクシーの運転手との交渉も上手くいき早速出発・・・と行きたいところだが、自分も行った事がないので奥さん
を連れて行きたいとのことで、メンバーが増えてしまった。暫らくすると道際に城が見える。先日見損ねた映画「敦
煌」で撮影のために作られた城だ。見物したいと申し出ると先に陽関を見ることを薦められた。先日見物した西千仏
洞を左手に見ながら西に進む。途中舗装された公道から離れて砂利道に入る。道はあるのだが未舗装であるため
砂利でガタガタ車体が揺れる。

古を偲ぶ烽火台がポツーン、ポツーンと忘れた頃に表れる。

途中、オアシスがあるのであろう、小さな農村があり青々とした木々が茂っていた。トルファンを思い出すかのように
葡萄畑があり、緑色の葡萄がたくさん実っていた。近くには干し葡萄を作る小屋まであった。覗きに行って見ると小
屋一面甘〜い葡萄の匂いで充満していた。村を抜けると再び砂利だけの荒野。時折このまままっすぐ行って本当に
たどり着けるのか不安になる。運転手が一度停まってあたりを伺っていたときは正直ヤバイと思いました。だって、
一面に広がるゴビの荒野には何も見えないのですから・・・。

暫らく進むとようやくそれらしきものが見えてくる。やはり人の住む建造物というのは人の心を落ち着かせるものが
あるらしい。ホッとしました。


陽関跡には赤茶けた寂れた烽火台しか残っていない

西出陽関無故人──西のかた陽関を出ずれば故人無からん」
唐の詩人・王維が友人との別れを惜しんで詠んだ歌でも有名な場所である。


 
陽関の記念碑
記念碑の後ろはまさに大荒野!当時と今では風景もそれなりに違うとは思うが、ここを出でて更に西の都
トルファンまで馬やラクダで行けといわれたら中原こそ天下の中枢と捉えていた人はさぞかし凹んだ事ろう。


 
かつてここには古代シルクロードの軍事通商の重要関門が設けられ多くの人間が住んでいたといわれる。
もはやその面影も烽火台一つである。


 
ここでは馬に乗って遠乗りさせてもらえる。ここはかつてこの地に住んでいた人々の残した文物が風に吹かれて出
土すると言う話を案内に見たので現地の案内人と交渉しよく文物が出土するという骨董砂地に案内してもらった。
案内人は馬を付近の背の低い木に繋ぐと

「ここら辺に落ちているものは皆文物よ」

そう言って目の前の石を拾う。見せてもらうとなんと土器の破片ではないか!?私も適当に拾ってみると土器の破
片がそこいらに転がっている。

嘉飛「うおっ、すごいなこりゃ〜」

色々拾っては眺めて楽しんだ。
そのうち案内人が喜び始めた!何かと思って近づくとその手の中には緑色の石があった。
なんと首飾りなんかに使っていたと思われる玉石だったのだ。

嘉飛「よし、おいらも大物探すぞ!」

そう決心してあたりを探すが土器や鏃と思われる小さな鉄の破片ばかりで玉なんて出やしない。時間ももったいない
と思った私は再び馬に乗ってあたりを疾駆した。

 馬を走らせて砂と砂利の台地を走るのは実に気持ちが良かった。ところどころ段上になっている砂地は風に吹か
れて色々な風紋が出ており綺麗である。照りつける太陽の下、耳に入るのは奔る馬の息遣いと馬蹄音、そして奔り
切る風の音。しかし・・・暫らくして私は自分の置かれている状態に違和感を感じ始めました。この場所に「音」が無
いのです!立ち止まり馬を降り馬から離れると自分の鼓動の音さえも聞こえる静寂の世界。自分の出す音以外で
は時折聞こえるには風の音だけ。あまりに何も聞こえないので耳が聞こえなくなったのではないかと思うほどです。
声を張り上げてもあっという間に吸い込まれてしまうかのような感覚は日々音に溢れた現代社会ではまずありえな
い感覚だった。無風時には太陽の照りつける「ジリジリ」した表現さえ「音」になって聞こえるかのようでした。ちょっと
した恐怖感を覚えた私は馬にまたがると馬にムチを入れながら声を出して奔り回っていたのでした(^^;)

ちなみに中国にも日本にも馬上での掛け声がある。私がここで教わったのは漢字は分からないが、確か馬を促すと
きに「qu」、腹を蹴りムチを入れ速度を上げるとき「zha」、馬を停める時、落ち着かせるときに「yu〜」でした。日本で
はそれぞれに当てはめると「ハイ、ハイヤ〜、ドウドウ」になるのかな?

陽関に戻る途中、泉を見つけた私は馬に水を飲ませてあげようと立ち寄ったのですが、水の流れる音や養殖されて
いる魚の跳ねる音を聞くと妙に落ち着いたものです。何気ない音って結構いいものですね(^^)
 
まさに砂の滝。風に吹かれると上から砂がサラサラーっと流れ落ちてくる。
どうしてこういう形状ができるのかわかりませんが、綺麗でした。



二時間ほど馬を乗り回した私はタクシーの運転手に急かされて敦煌撮影城に向かった。
この城から敦煌市内はすぐなので結構ゆっくり見物できた。
   
私にとって映画敦煌は印象深いものだったので結構うれしかったですね。

   
城内は区画ごとに担当する城が違っていた。こちらが敦煌城、あちらが甘粛城(蘭州城だったかな?)といった具合
に。画面で見ると壮大な作りも眼前で見ると結構せこかったりする。ハリボテも多かったし。人民の管理が悪いの
か、はたまた気候環境のせいなのか建築物の保存状態もかなり悪そうだった。城内の建物の中には敦煌撮影時の
写真展覧室が用意されていた。


城内ではライフル射撃のコーナーもあったので私もチャレンジ。実弾射撃はやはり緊張します。
おまけにこのライフルボロボロで暴発しないかそっちのほうが心配でした。
ちなみに的は空き瓶。当たるとパリーンと弾けます。十発撃って三発当てました。


城門に登ると遠くに大きな砂丘が見える。鳴砂山の一角との事だ。




敦煌城の遠望


陽も暮れ始めたため市内に戻った私は少し休んでそのまま屋台で食事。
朝から晩まで楽しんだ一日でした(^o^)b



西北旅行<7>